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氷は春の光で溶け、宝物となる

3月に入りました。
七十二候では「草木萌動(そうもくめばえいずる)」とされ、草木が芽吹き始める時期であると示されています。

私の住む長野では、まだ雪が舞うこともありますが、よくよく見ると辛夷の蕾が膨らみ始めているのを見つけ、寒さの中にも確かな春の訪れを感じたところです。

私ごとではありますが3月1日は長男の誕生日でした。

今年で12歳。十二支がちょうどひと回りしました。
私も母となって12年です。子育てはあっという間、とよく聞きますが本当ですね。朝から晩まであれこれ世話を焼き、目まぐるしい日々を送っていたのに、気づけば息子の背丈は私を越していました。ひとりの時間も以前よりは持てるようになりましたが、同時に、少し寂しい気持ちもあります。

子育てをする中で気づくことはたくさんあり、この12年で自分の意識が大きく変化したことを実感しています。けれど振り返ると、私の場合は子どもが生まれてからというより、生まれる前から既に学びが始まっていたように思うのです。

今日は少し、昔話をさせてください。

一見、辛いと感じる出来事も最後は宝物になる、という私の経験談です。


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私は26歳で結婚をしました。そして子どもはすぐに持ちたい、と思っていました。

私の母は3人の子を産みましたが末の弟を出産した年齢は30歳でした。だからなのか30歳までに出産は済ませたい、と頭の隅で考えていたのでしょう。ところが、私の意に反し赤ちゃんはなかなかやってきませんでした。

「子どもは授かりもの」とはいうものの時間だけが過ぎ、自分の年齢がひとつずつ上がるたびだんだんと焦る気持ちが膨らんできました。

当時はまだ20代だったということもあり、周りからは「まだ若いから大丈夫よ」と言われましたが、私としては「まだ若いのにも関わらず授からないというのはどういうことなの!?そちらの方がおかしくない!?」と解決策のわからない状況に半ば怒りにも似た葛藤を抱えていました。

いわゆる、「不妊」というやつです。

今では「妊活」という言葉がありますが、当時はまだ馴染のない言葉でした。少しずつ使われ始めた頃だったかもしれません。

この「不妊」という状態がかなりキツかった。何がキツいって、頭で考えていることと腹で思っていることがバラバラなことです。

「気楽にいた方がいいですよ〜」なんて言われたところで簡単にそう思えない。けれど、「気楽にいなくては」と無理やりポジティブでいようとする。心の中はとても悲しいのに表向きは平気な顔をしている。そんなチグハグなことを続けていると体までおかしくなってくるのですよね。頑張れば頑張るほど望む未来が遠ざかるような。

ある時、プツンと心の糸が切れまして。どうして自分には子どもができないのかと、ひとり大号泣してしまったのです。

ところがおもしろいもので、散々泣きはらしたことでようやく「私は今、辛い、悲しい、そう感じているのだ」と認めることができたのです。

そこから事態は好転してゆきます。

まず、自分の気持ちの向く方向が変わりました。

これまでは「子どもは授かりもの」と思い込み、待ちの姿勢でいましたが、もうこれ以上待てない!待つのではなく迎えにいく!!と誓いました。

どうやったらいいのかはわかりません。それでも自分にできることは全部する、と決めたのです。

それまでは自分の体のことなんて考えたこともなかったけれど、いろいろな本を読み漁り勉強をしました。もちろん、病院へ行き検査もしました。そうして自分で色々と動いている中で辿りついたのは東洋医学の世界でした。

人の体が季節とともに変わること。季節によって対処の仕方が違うこと。また人の一生を季節に例えるなら、女性の機能はこの年齢で成長し衰退する。ということが書かれていて、人は自然と同じなのだ、ということを知りました。算命学とまるで同じですね。

そしてある本で「体を温めると不妊は治る、それには鍼灸が有効だ」ということを知ります。

私は早速、自宅から通える鍼灸院を探しました。本には「できれば不妊に特化した鍼灸院がいい」とありました。けれど、不妊に特化した病院すらそれほどない長野で、そんな鍼灸院が見つかるのか。一抹の不安を抱えながらも探してみたところ、ある女性鍼灸師さんに辿りつきました。

この出会いが、後に私の人生を大きく変えることになります。

病院での検査では「どこも問題はありません」と言われた私ですが鍼灸師の先生は私のお腹に手を当てるなり「これは・・・大変だったね」と優しく言ってくれました。

その頃の私のお腹は固くて冷たかったようです。

「体質や食生活の影響もそうだけれど、他にもいろいろなストレスがありそうね。これまでよく頑張ってきたね」 

この言葉を聞いて涙が出そうになりました。

これまでひとり密かに抱えていた辛さを汲み取ってもらえた気がして、心がじんわりと温かくなりました。そして、「何をしたらいいかわからない」ともがく中、改善できる点が見つかった。これは私にとって希望の光のように感じられたのです。

先生の手は柔らかな春の光のようで、固く冷たく張った氷を溶かすかのように私の体にじんわりと入ってきたのを今でもはっきり覚えています。

それから私は鍼灸院に足繁く通い、自宅でも自分で毎日お灸をするようになりました。

奥の深い東洋医学の世界は本当に面白くて、私の好奇心を目覚めさせるのに打ってつけだったのです。

早く子どもがほしい、という当初の思いはどこへ行ったのか。

いつの間にか、自分の体がどう変化していくのかを観察することに夢中になっていました。

ようやく頭も心も体も「気楽」になることができたのです。そして気づきました。私には知りたいことや、やりたいことが山のようにある!と。

子どもがいないのならむしろ自由に動けるじゃない!!そういう人生もすごくいい!!もっと自分の好きなことを楽しんでいこう!!

子どもを迎えにいくんだ!と握りしめていた想いが自然となくなり、自分のこと意識が向いた瞬間でした。

そしてこの決意をした途端、霧が晴れるのを待っていたかのように、私のお腹には赤ちゃんがやってきました。それが長男です。

「自分を生きる」

私の「不妊」はこの答えを得るために仕組まれたものだった。そんなふうに思えてなりません。

そしてゴールのように思えていた「妊娠」というのは単なる通過点でしかないことも知りました。

「出産」を通過し「育児」をしている今も、「自分を生きる」ための訓練を子どもと一緒にしているような毎日です。

この訓練は、とにかく体力がいります。私は元来、それほど肉体値が高くありません。にもかかわらず、やりたいことはたくさんあって、家事育児をしながら仕事もと趣味も、と欲張りすぎて動けなくなる、ということがしょっちゅう起きてしまう。そんな私の願いが叶えられる「体」であるよう、鍼灸師の先生は今もサポートしてくださっています。

妊娠前からですから、もう13年のお付き合いになりました。

この間に、先生のご縁で私は算命学に出会いました。

また、私は以前ヒプノセラピストとして活動していましたが、ヒプノセラピーの師匠も先生のご縁で出会えた方です。

そして何より地方企業に勤めるただの会社員だった私に新しい女性の働き方を見せてくれました。

手に職を持ち自営業という働き方をしながら母として子育てもする。「こういう生き方もあるんだ!」という新鮮な驚きと希望を与えてもらいましたし、技術を磨き続ける姿、コツコツと事業を継続する姿は地に足がついていて現実味がありました。

私の「やってみたい」の基盤となるものは、ここで造られたと言っても過言ではありません。

もし、私が結婚をしてすぐに子ども授かっていたら・・・

鍼灸師の先生との出会いはなかったでしょうし、先生と出会わなければ私が算命学を仕事にすることも自営業という働き方を選ぶこともなかったかもしれません。

「不妊」で悩む、というこの経験があったからこそ今ここに辿り着いているのです。 

なんとうまくできたシナリオなのでしょう。

そして導いてくれたのは紛れもなく長男です。お腹の中に入るのをよく待っていてくれたなぁ、なんて親孝行な子なのでしょう!と彼が誕生日を迎えるたびにここまでの奇跡を思い出してはうれしくなるのです。

私は算命学の鑑定をする上で、「今が辛くても、それは必ず好転するので大丈夫です」とお伝えることがよくあります。

もちろん、その方の命式や運の流れを読んだ上でお伝えしていることなのですが、長男の妊娠、出産までの経験は、その「読み」に自信を与えてくれるのです。

何があっても最後は必ずうまくいく。

これは、子どもと一緒に授かった私の宝物なのです。

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