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悲しみを殺さない

本当は6月の終わりまでいる予定だったイギリスから帰国してもう2ヶ月が過ぎた。
帰国して東京で2週間隔離生活して、その後に地元へ戻った。


「あなたは恵まれているんだから」と言われて

落ち込む理由なんてない、と言い聞かせていた。
もちろん感染の不安は常につきまとったけど、世界的に感染者が少ない国にいるし(検査数はさておき)、その中でも感染者数が極端に少ない地域にいる。それに、部屋はあるし食べるものだってある。ライフラインは整っているし、生活には困らない。渡英前に退職していたから仕事へ行く必要もない(仕事のストレスはまた別の話だけど)。
この生活で文句を言ったら、「もっとひどい国や地域だってあるんだから、高望みしすぎだよ」「あなたも家族も無事でよかったじゃない」って返されるレベルなのは知ってる。実際に何度も言われたし。

だけど、他人にそう言われても自分で言い聞かせようとしても、納得し切れずモヤモヤと余計に苦しくなるのだ。それはわたしの喉にまとわりついて、声にしたい気持ちを堰き止める。そうしてその外に出せないままの気持ちを、また胸の奥深くに戻し閉じ込めて自分でも見ないふりをする。しばらく、あらゆる感情がにぶくなっていた時期が続いた。普段ならうれしいはずのことも、うれしいと感じているのかどうかさえ自分でわからなかった。気持ちの微細な揺れが、わたしのどこにも伝わらないのだ。いや、気づくのがいやで、重たく分厚い毛布で何重にもくるんで縛っていたのかもしれない。


「じゃあ、わたしの悲しみはどうしろって言うんだよ」

世界の多くの国でロックダウンが始まり、家の中で過ごす人たちの成果物がSNSを占拠し始めた。
「今この時間があることに感謝しましょう!」と前向きなバイブスに包まれた写真や言葉のメッセージは、疲れ切って何もしたくないわたしのやる気を余計に削っていった。わたしも!何か!しなきゃ!と思わせるのに、かったるいとしか感じない時のトリセツは見当たらない。何もしたくない。何もしたくないんだよ、バーカ!!なんてどこにも八つ当たりさえできない気持ちをまたしまい込むしかなかった。

そうだよね、大変だよねって誰かに言って欲しかった

それでもやっぱり生身の人間に、言葉をかけてほしかった。優しい言葉を聞きたかった。
「同じ場所にいてロックダウンを迎えたのと、その時期にまた新しい環境に移動したのでは違いますよ」
ある人に相談した時に、言ってもらえた言葉だ。これを聞いて、やっとわかってもらえた気がした。「帰国できる場所があってよかったじゃない」とぐうの音も出ないような立派な言葉で励まされたこともあった。その時は、底のない砂場に足をとられていくような、救われない気持ちがしばらく消せなかった。

わたしにとって、帰国は治りかけた傷のかさぶたを引っぺがすような行為でもあった。少し英語が話せたって数年海外で暮らした経験があるからといって、イギリスに行ったのは大きな決断であったし大きな労力を伴った。やっと慣れてきたところで、また環境を日本スイッチに切り替える。言語や習慣の違いの差が大きいほど、この切り替え作業は恐ろしく膨大な力を使う。自分で気づかないところまでHPがすり減る作業だ。それが楽しくもあるのだけど、無意識に消耗している部分もあるから注意も必要なのだ。
そして、自分で「大丈夫」なんて言えたとしても、何がどこまで大丈夫なのか気づけていないこともある。きっとわたしは、大丈夫じゃなかった。


感情は抑えるものじゃない

外に出るのも知ってる人に会うのも嫌で、家の外へ出るのは、車で食料品の買い出しくらいの日々を送った。でも、その日の夕方、ふと散歩へ行った。家から出てすぐ近くのお寺の裏を通り、西に向かう小道を歩く。日が落ちた直後の薄墨に染まりつつある空気の中を進んでいった。周りには小さい頃から勝手知った景色が広がる。畑を傍に見ながら、水田の広がる方へさらに進む。周りには誰もいない。風が軽く吹いていて髪を揺らす。足下は砂利道でそれでも春の緑がそこかしこに増えた。春独特の青くて甘い香りが混じる。一歩進む度、硬く凝り固まっていた感情がほぐれていった。思い出せば恥ずかしいのだけど、気づいたら目元が濡れていた。頬の上からあご先まで拭ききれないぐらいになったが、そのままにして歩き続けた。その時初めて、抱えていた感情が重くなりすぎていたことに気づいた。

「何事もなくてよかったのだ」
誰かに言われたことを忠実に言い聞かせて、自分の感情を無視していた。辛い、と言えない状況にしていた。それを言ったら誰かの迷惑になるかもしれない、また否定されるかもしれない。その不安もあったし、何よりその時持っていた感情を感じ切るには、わたし自身が
耐えられる状態じゃなかったかもしれない。
でも、あの日の散歩以降、少しずつ重たい感情と共存できるようになっていった気がする。

誰かにとっては平気でも、自分にとっては一大事かもしれない。誰かは「そんなこと」って言うかもしれないけど、自分にとっては大変なことだったかもしれない。
逆も言えるしね。だから誰かの感情に合わせる必要もないし、誰かの”大丈夫”と自分のが違ってもいい。辛くて大変だって感じてもいい。思い切り悲しくなってもいい。平気だって言い聞かせなくていいし、大丈夫なフリをしなくてもいい。そんな自分をダメなやつって思わなくてもいい。
自分の感情は自分の中から出てきたもの。それを、抑えなくていいのだ。


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これを書き始めたのは、帰国から2ヶ月経ったあたり。自分にとっては、まだ生々しすぎて公開せずにいた。
それからまた2ヶ月経った7月の今は、だいぶ落ち着いてきたかな。それでもやっぱり、先行きの見えない現状に時々心が折れそうになる。でも、それでもいいんだと思う。そして「それくらいで」なんて言われたら、やっぱり「あ!?」って返しそうになるだろう(笑)それでいいんだ。


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