見出し画像

脚本分析セミナー第2回メモ: 脚本的なテーマはウリ文句とはたいてい違うけど両方大切

アメリカで広く教えられている脚本術にもとづいて、既存の脚本を分析してみよう、という趣旨のセミナーを、アニメスタジオで何度かやらせていただいています。
その中で、先日、自分でもこんがらがってしまって、いつもよりもいっそう、話し下手になってしまった箇所がありました。そこは実は、過去に好評だった箇所でもあるので、次回はもっとしっかり伝えられるよう、ここでまとめておこうと思います。
そういった経緯なので、アニメ制作現場に携わる、またはその周辺の方を想定して書きますが、物語の創作と表現に携わるどなたにとっても、関係のある話だと思います。

内容は、以下のとおり。

  1. 脚本的な「テーマ」と、仕事でよく言う「テーマ」は、ちがっていたりする

  2. 脚本の「テーマ」とは、作品全体で明らかになる主張のこと

  3. 現場でよく言う「テーマ」は、むしろ「ウリ」のことだったりする

  4. 「テーマ」と「ウリ」の現場での運用メモ

脚本的な「テーマ」と、仕事でよく言う「テーマ」は、ちがっていたりする

これは私の経験的な話なのですが、物語にかかわる仕事の現場では「この作品のテーマは何? がんばってそれを表現していこう」というように「テーマ」って言葉は、とてもよく使われます。一方、脚本分析においても、テーマについて考えることはとても重要。
ただし、仕事の現場で言う「テーマ」と、脚本用語で言う「テーマ」とは、意味が異なることが多いので、気をつけないといけません。どちらが合っているとか間違っているとかいう単純なことではない気がします。実際の言葉の運用の問題だし、翻訳もからんでくることだし。ただ、その2つの区別を頭のなかで明確につけておくことは重要だと考えます。そうすると、企画会議や脚本会議が、すこしだけラクになるからです。たとえば脚本家とプロデューサーの主張が延々と平行線をたどるようなことを、防げるようになるからです。

脚本用語としての「テーマ」は原則として、物語に踏み込む前には知らされません。テーマは、その物語を最初から最後まで通過することで、読者/観客/視聴者に伝わるべきことだからです。テーマをセリフでそのまま言っちゃったりは通常しないし、それをやると、良くない脚本だと言われたりします。では、どのように伝わるのがテーマなのでしょうか。

脚本の「テーマ」とは、作品全体で明らかになる主張のこと


上の図は、物語の三幕構成といわれる考え方を示しています。幕=ACT (アクト)です。
物語には主人公がいて、主人公はその物語が始まる前から、その世界で生きています。その主人公が追求している目的、それが上図の「話前ゴール」です。話前ゴールを追求しているその生き方が、その主人公にとっての、普段の世界(ACT I)です。
話前ゴールを追求するその生き方が、なんらかの理由により遂行不可能になったとき、主人公は新たなゴール「中間ゴール」を手に入れ、冒険の世界(ACT II)へと進んで行きます。
中間ゴールを追求してきたACT IIでの冒険が、またしても、なんらかの理由により遂行不可能になったとき、主人公は新たなゴール「最終ゴール」を手に入れ、最後の冒険(ACT III)へと進んで行きます。
この最終ゴールは、ACT IIでの冒険の結果として主人公が得るもので、話前ゴールとも中間ゴールとも異なるものです。ACT Iで描かれる主人公の話前ゴールと、ACT IIIで描かれる主人公の最終ゴールのちがいは、ACT IIでの冒険による主人公の成長(変身=メタモルフォーゼ)だと言ってもいいでしょう。この話前ゴールと最終ゴールのちがいが、テーマを体現するのです。このように、物語を最初から最後まで完走して初めて、テーマは伝わります。

だから脚本を考えるにあたり、テーマは「愛」などの名詞だけでは済まされません。「愛は素晴らしい」「愛は恐ろしい」「愛はややこしい」「我々は愛についてもっと考えるべきだ」といったような、なんらかの価値判断を含む文章になるはずです。そして、それは主人公の、物語の中での個人的な体験から生じる価値判断であるはずです。

現場でよく言う「テーマ」は、むしろ「ウリ」のことだったりする

そしてこれらのテーマは、それ単体だと当たり前に聞こえて、おもしろくないことがほとんどです。だからいまどきは、宣伝の表舞台にはあまり出てきません。供給過多の現代では、そんな大雑把であいまいな情報では、数多の作品のなかに埋もれてしまうからです。だからもっと具体的、またはセンセーショナルな情報を出して売っていくことになります。それが、制作現場で「テーマ」と呼ばれることが多く、それは脚本上のテーマとは異なるのです。

制作現場、そして企画会議などで、この作品のテーマは? ときくと、「派手なロボット戦闘シーン」「美少女キャラのかわいさと、さわやかな青春群像」「魅力的なファンタジー世界観」「腐った世の中を変える反逆の物語」というような言葉が返ってきがちです……これらはみんな、脚本の(物語の)テーマではありません。これから作るものによって実現しようとする魅力の表現です。スポンサー向けの企画書にも書けるような「ウリ」です。売り文句なのです。これはこれで物語のテーマとは別の、しかしとても大切なものです。

「テーマ」と「ウリ」の現場での運用メモ

この「ウリ」には出演、作家名、ジャンル、そして上記のように、作品のわかりやすい特色を挙げたりします。売り文句だから、宣伝にもその認識が表れます。たとえば劇場用映画ならば、宣伝を受けたお客さんは、その「ウリ」をあらかじめ知ったうえで、それを検討して映画チケットを買うわけです。そこからもわかるように、「ウリ」では、上記の脚本的テーマまでは伝えないことがほとんどです。そこまですると、ネタバレになって興をそいでしまいます。ウリはたいてい、ACT IIの段階の中間ゴールによって象徴されることが多いです。だから作品を売るために、クライマックス……つまりACT IIIの最終ゴールや、そこで表現される脚本的テーマまで、バラす必要はないのです。

例えば『スター・ウォーズ エピソードⅣ』で言えば、宣伝でクライマックスの戦いの「孤独だった青年は同盟軍の一員となり、戦闘機に乗り込み悪の機械惑星を爆破する!」というところまでバラさなくてもいいし、これを聞いてから映画を見たら、もう知っていることばかりに感じられてしまいます。むしろ「青年は奇妙な仲間たちと宇宙に旅立ち、お姫様を悪の帝国から救おうと奮闘する!」くらいの情報バラシが通常の運用で、それはACTIIまでの内容です。実際、既存のポスターのデザインもそういった内容が中心です。そういう内容がみたくて映画館に行くと、終盤、さらにACT IIIの同盟軍の戦闘機バトルが待っていてさらに「うおぉ!」となる、というのが満足感の仕掛けだと思います。

企画や脚本を売るための三行文、とよく言われる、ログラインも、そんな「ウリ」を表現する文章です。

ログラインとは

ログラインについては、また別の章を立てて説明したいと思います。

このように、「テーマ」という言葉の現場での運用と、脚本的「テーマ」とは、意味が異なる場合が多くあるものの、どちらも、とても大切です。また脚本打合せなど、脚本や物語の筋が中心となるような場面では、現場といえども脚本的テーマの意で「テーマ」という言葉を使うことが多いことでしょう。これはカオスです。
そのカオスの中で、いちいち「それは脚本のテーマですね」「それはウリであってテーマではないですね」などと指摘して回るのは、仕事の姿勢としてはあまり前向きではないかもしれません。それに、現場内でも職種によっては「ウリ」こそがその業務の「テーマ」~魅力を明確にしてたくさん売ろう!という努力目標~であったりもします。そこは尊重したいですよね。だから、脚本に関わる職種の者としては、できるかぎり全員が、この脚本的「テーマ」と、しばしばテーマと呼ばれる「ウリ」の区別を頭の中でつけておいて、打合せのなかで使い分けられるようにしておくことが大事なのだと思います。そうすることで、

脚本家「作品のテーマである夫婦愛の大切さを、しっかり貫いていきたい」スポンサー「そんな高尚な作品は売れないから、ド派手な戦闘シーンをやってくれ。ロボットのグッズを売るんだから」
監督「なに? ロボットアクションが高尚ではないとでも!?」

とかの典型的な不毛な議論は、避けられるにちがいありません。なぜなら、テーマとウリは別物だからこそ、対立せずに共存できるし、させるべきという共通認識を打ち立てられるからです。そうしたらあとは、前向きにその方法をさがすのみ。前向きなのです。

いきなりセミナーの途中の内容を、自分の不安にまかせて書いてしまいましたが、もしうまく伝われば、便利に使える内容でもあると思います。今後も、不安になったところがあったら書いていきたいです。もしご意見、ご質問が出ましたら、知らせていただけたら勉強になります。どうぞよろしくお願いいたします。

こぐれ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?