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出張森づくり隊@能登~能登復興支援・森づくり&修復~

2024年7月5日~7月8日
水の古民家「ぜにごけの雫」1号館(ケロン別館)泊

1日目(7/5)
その日の羽田発→能登行の便は満席だった。
能登のあばれ祭りを目指して、乗り合わせて来ている人が多いようだ。
今年元日に起こった地震の爪痕がどのようなものか、その中で開催するかしないか、もめていると言われるあばれ祭りはどうなるのか。
前回、昨年11月にお手入れした森や山は、7か月たちどうなっているのか。
そこにも地震の影響はあるのか。複雑な思いを抱えてのフライトだった。
真夏の日差しと言えど、空港に降り立ち、能登の山を見渡せるところに立てば、とても爽やかな空気が流れていた。それだけに目を向けていれば、6か月前の地震のことは思い出せない。しかし、能登空港の滑走路は細かい亀裂が入っていて、安全には問題はないが、多少揺れますとのアナウンスが入っていた。
空港から外に出て走れば道路のいたるところに亀裂や段差があって、とりあえず通行できる状態にしているとわかる。1車線通行にして補修工事をしているところもある。山が滑落して地肌が見え、木々が雪崩れているところもある。家が壊れ人の住んでいない家屋が散見できる。

道脇の崩落の様子

7月1日にテレビ各局が競うように地震から6か月報道をしていたが、6か月たったからここまで復興しているのか、6か月たってもまだ惨状が残っているのか、私には読み取れない。しかし、地震で崩壊して見えてきたのは、根本的な過疎化問題だということは、私にもわかってきた。ケロンに着くと、若村長(?)のたく君が出迎えてくれた。村長のひでちゃんはあばれ祭りの準備に忙しく、宇出津を離れられないらしい。1日目から飛ばすと滞在中でバテテしまうから、とゆうき君は言うが、どうもそのゆうき君の頭の中では今夜のあばれ祭りのことでいっぱいだ。まずは11月に植えた桜の木を見に行った。そもそも桜回廊までの長い山道、崩れているところもあれば、亀裂も入っている。水の流れにもなっていて、枯葉や枝が歩きづらくしている。はたして、みんなで植えた桜は無事に根付いていた。後で聞いた話だが、もちろん地震で倒れ、植え替えたりしたそうだが。ケロンではフォレストランド入り口のケロンの谷を整備した。水が湧き出る重要ポイントだというのに、へんに木が切られていて淀んだ雰囲気になっている。小1時間という短い時間で2人しかいないで、何が出来るのだろうとも思う。その上私ったら3、4か月森に入っていないから、すっかりお手入れの感覚を忘れている。それでも導かれるように、水が流れるように掘り、石をどかし川を通した。周りの枯れ枝を取り払い空気や風が通るようにすると、淀んでいた雰囲気も見違えるようになった。加えて、ゆうき君は座れるように丸太を設置すると、立派な子ども広場になった。

2人でケロンの谷の整備

その後、シャワーを浴び早めの夕食をとると、宇出津の町に向かった。
能登のキリコ祭りは2015年日本遺産に認定されたそうだ。その先陣を切るあばれ祭りは、宇出津の町のそれぞれの地域がキリコと呼ばれる灯篭を担いで、松明をめぐるという。地震で日々の生活すら事欠く状況で、神事とはいえお祭りなんて、という方々もおられ、こんな時だからこそ祭りを絶やしてはいけない、と思う方々と、ギリギリまでもめていたという。
しかし、町に向かうとすでに規制線が引かれ、屋台が軒を連ね、はっぴにパッチ姿の若者らが大勢いた。地震前だって閑散としていた町が、観光客は規制されているらしいが、とてもにぎわっている。

能登のキリコ
松明の周りをキリコを担いでまわる
ゆうき隊長がキリコを担いでいる

8時半、9時を回ると、花火が打ち上げられ、松明が灯され、キリコが列をなして繰り出されていく。私は朝が早かったからその辺りでフェードアウトしたが、ゆうき君はひでちゃんたちと一緒に11時過ぎまでキリコを担ぎ続けたという。 

2日目(7/6)
水の古民家「ぜにごけの雫」1号館(ケロン別館)に泊まって、土とDISCOに向かった。土とDISCOには3組のお客様が泊っていて、森の手入れをすると知り、チェックインのオリエンテーションを共に聞いてくれた。

森とDISCOの朝のオリエンテーション

森や自然に癒しを求めている方々で、ゆうき君のプレゼンに興味深く耳を傾けていた。作業は母屋のすぐ裏側の山。草が背丈ほど生えていて、一見するだけでは崩れているとは思えないのだが、山肌が崩れ落ちていた。すでに足元にはしっかりとしがらみができており、半分は草が刈られている。草を刈り、山肌にもしがらみを作っていく。

裏山に取りかかるところ(Before)
裏山をバックに振り返り(After)

土とDISCOのおかみさんさなさんに誘われてきた男性が3人プラスさなさんの旦那さんさとしさん。今日のフライトで来たがんちゃんと含め7人が競い合って作業を進めるからかなり早い。お昼前には裏山のメドがついたので、2班に分かれ、母屋の正面の川に下るところも手掛けた。
正面はまだゆうき君の調査も入っていない。さくらの木も蔓に絡まれて引き倒されそうになっているし、つつじの木も雑草に覆われて見る影もない。
「できれば川まで下りれる道すじを付けたい」
ゆうき君のその一言に私のスイッチが入ってしまった。

川まで道を作っちぁお

やみくもに雑草を刈るだけではなく、まず川まで下る道を作っちゃお。
腰上まである草を刈り、かき分けて川を目指すと、けして足場は安全ではなかったが、川の土手まで来た。それは人が1人通れるだけの道だったが、それをきっかけに、すっかり雑草が刈り払われた。
その上その雑草で、斜面にしがらみができてしまう。
お昼休憩もそこそこに3時までの作業は、重量感すら感じる成果だった。
あのがんちゃんがやり遂げたと言っている。

やり遂げた!

作業の後、あばれ祭りの雰囲気を見て、がんちゃんと二人宿に帰ったが、ゆうき君は祭り本番朝4時までと、宇出津に向かっていった。
 
3日目(7/7)
今日はシャトーノットのぶどう畑と憩いの森YUIの小径つくり。
私の背丈ほどになったぶどうには、ところどころ実がなり始めている。秋になり収穫ができ醸造したなら、この実がシャトーノット初のワインとなるのだろう。そんな初々しいぶどうの木の巻き蔓の処理と脇芽掻き。巻き蔓のせいで虫がついたり病気になるのを防ぐためだ。

ぶどうの巻き蔓の処理と脇芽掻き

今日の作業は、ゆうき君、がんちゃん、けいさん、そして私の4人だから、午前中かなり集中してその作業をしたけれど、広大なぶどう畑の10分の1にもみたなかった。でもおとうさんには、一生懸命やったっていう事実に喜んでもらえたみたい。ちなみに私は、こういう作業はちょっと苦手かも。
午後は待望の憩いの森に入った。
地震もあって事業主さんは、森をすべてつぶしてぶどう畑にする予定だったらしい。事実、11月にはかなりの広さの森が残っていたが、今では3分の1ほどになっていた。しかも、かなり荒れている。7か月前、かなり頑張って道づくりをしたはずなのに、跡形もなくなっている。

11月の小径が跡形もなくうっそうとしている(Before)
新しい小径ができた(After)
YUIの広場にベンチとcampfireを設置

ちなみに、昨日の土とDISCOで11月につくった秘密基地広場は、滑り台の緑色までそのまま残っていてほとんど変わらなかったから、その違いに愕然とする。まぁ、本格的な山林と、林レベルな小さな森との違いだとは思うが。
そうは言っても、一度ゆうき君に道筋をたててもらって、がっつりと小径つくりに専念すると、あっという間にできてしまった。
振り返りの時のけいさんの言葉。けいさんはさなさんのダンス仲間らしいが。
「ダンスのステップに『グレープバイン』というのがあって、文字通り「ぶどうの蔓」という意味のステップなのだが、若い頃何も考えずにそのステップを踏んでいたけれど、じっくりとぶどうの蔓と向き合って、ステップの意味を考えると感慨深いものがある」
それを受けて私も。
「ぶどうの蔓を切っている時は、テンションもダダ下がりで、苦手意識ばかりを感じていたが、その後森に入って、蔓が大木を引き倒そうとしているのを見て、『蔓』というものの特性を見た気がした。蔓は森づくりの天敵なのかもしれない。ぶどうの蔓をやっつけた意味もわかった」
 
そして、今日のもう一つのミッション。被災地訪問『輪島』

輪島の朝市通り、今回の被災地の象徴的な場所
輪島 被災地の象徴的な建物
行く道々でも崩落が見られる

この森づくり隊に関わっていなければ、能登とのご縁もなかっただろうし、地震も身近には感じなかった。ましてや、震災6か月というこの時期に、今回の象徴的な輪島朝市の火災後現場に立つことはなかったと思う。
それだけにテレビの映像で見るのとは違い、現実はもう日常に近いものがある。
現地の人々は立ち上がって、逞しく生きているのを感じた。
けして、悲しい、つらいばかりを言っていない。明日に向かっている。
今回「復興支援・森づくり&修復」だったし、確かに地震の被害を感じる場面もあったが、純粋に森づくりを楽しめた。成果も大きく、事業者様方にも、心から喜んでもらえて、本当に良かったと思う。
 
4日目(7/8)
朝、気がついた時には土砂降りの雨だった。
いつもなら実質のフライト時間は40分くらいなのに、天候悪化のため大きく迂回する空路を通り、1時間10分くらいかかるとアナウンスが入った。
東京に降り立つと、雨などみじんも降っていなくて、ひどく暑かった。
駅のホームに熱風が、否応もなく現実に引き戻してくれた。
 
【感想】
11月に訪問した能登が震災にあい、直後は役に立てそうになかったけど、今回訪問させてもらい、森づくりや修復に関してかなりの成果が残せたのではないでしょうか。それは災害復興の枠を超えた支援として、とても意味が深いと思っています。もちろんそれは震災後毎月訪問し、コツコツと本物の復興に尽力したゆうき君がいたからでしょう。
「訪問するだけでも現地の人を喜ばすから」
というゆうき君の言葉通り、ひでちゃんやさなさん、さとしさん、シャトーノットのお父さんも、私たちを出迎えて下さる時に、ホッとした、やわらかい笑顔になるのが印象的でした。その笑顔の裏のつらさや悲しみも感じます。でもだからこそ、その笑顔は本物で、力強いもので、明日への希望を携えているのも伝わってきました。
今回できたことは、森づくりの足掛かりに過ぎません。まだまだやり残したことがあり、自然の災害や成長に負けてしまうこともあるでしょう。だからこそ、また行きたいと思っています。
素晴らしい4日間でした。細部までとても行き届いていて、何もかもが楽しかったし充実していました。
今回の旅をコーディネートしてくれた、森の案内人ゆうき君に感謝です。
本当にありがとうございました。

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