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#03 ストーリーテラーになろう

はじめての交渉

海外大学院への出願は、入試を突破して進学する日本の受験システムとは大きく異なる。筆記試験がなく、経験や能力重視の書類審査で合否が決まる。自分の経験と学力状態と志望校にどれほど差があるのか?合格するために何をすればその差を埋めることができるのか?ありとあらゆる情報をネットで調べた。日本人で海外大学院に進学した社会人はまだ少数派で、圧倒的に体験談が少なかった。何から始めたらいいのか正直よく分からないまま、死に物狂いでやるしかないという覚悟だけだった。

ソーシャルメディアで暇つぶしをしていた時間を英語対策に切り替え、仕事終わりの夜間と休日は予備校に通った。なかなか期待通りにTOEFLのスコアが伸びず、自分の英語力に絶望する日々が続いた。出願締切直前の12月になってもスコアを達成できず大苦戦していた。追い込まれた私は、オンライン説明会で積極的に質問し、アドミッションに名前と顔を覚えてもらい、本来であれば提出しなければならないスコアの免除交渉を持ちかけた。今でもあの時のエネルギーがどこから沸いて出てきたのか不思議に思うくらい必死だった。結果的にGRE試験の免除を勝ち取ることができたのは幸運だったが、自分が欲しいものを手に入れるために真剣に交渉した経験は、あの時が生まれて初めてだった。

ストーリーが身近にあるアメリカ

アメリカ人は自分の体験談を語って自己開示するのがとても上手い。おもしろいとかオチがどうかも気にする様子はない。相手がどう思うかなんて恐れずに、先に自分が心を開くことで自然に相手のことも引き出してグッと距離を縮める。

日本の歌自慢大会のように、アメリカでは知識人が壇上で話をするTEDや、普通の人が個人の体験談を共有するTHE MOTHというイベントが存在する。それくらいアメリカではストーリーを聞いたり、語ったりすることが身近にある。映画界にとどまらず、アメリカで「ストーリーテリング 」という概念が生まれた。そして次第にビジネスの世界でも、集客やブランディングにつながる手法として注目されるようになった。

アップルの広告を見ると、魔法のようにがっちりと心を掴まれて引き込まれてしまう。その理由は、情報があふれた時代に、かっこいい言葉や論理を並べるよりも、ストーリー仕立てで物語を伝えた方が相手の感情に訴えかけやすく、共感を得やすいからだ。脳科学的にも記憶に残る仕組みになっているらしい。リモートワークを題材にした最新のアップルの広告動画は7分あるのに見ていて全く飽きない。

ヒーローズ・ジャーニー(英雄の旅)

私はもともと自分の話をするのが苦手で、弱みを含めて人前でさらけ出すことには抵抗があった。自己開示が上手なアメリカ人に囲まれると、自分の口下手さが際立つ。相槌を打つことくらいしかできず、何度ももどかしい思いをした。そんな苦手意識を抱えて臨んだストーリーテリングの授業は、一番強烈なブレークスルーを感じた。

ギリシャ神話からハリーポッターまで、あらゆる人気作品のストーリー展開にはいくつかのパターンがあることを学んだ。その中でも「ヒーローズ・ジャーニー(英雄の旅)」と呼ばれているものが有名だ。もともと米国の神話学者であるジョセフ・キャンベルが、世界中の神話を研究する中でストーリー展開の共通パターンを発見し、それを独自にまとめたものだ。

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ストーリーを作る際、この考え方を取り入れることで物語風になりドラマチックな展開を演出できるという。「主人公が自分」のストーリーを3分間で語ってみよう!という課題が毎週のように出されたが、実際にやってみると、これがまぁ難しい。どんな冒険に出かけるのか?どんな困難が立ちはだかるのか?悪役はいるか?聞き手に伝えたいメッセージは?テーマがなかなか思いつかなくて、ずいぶん頭を悩ませた。

ビジネスへの応用として、商品やサービスを売り込もうとする場合も、このヒーローズ・ジャーニーの雛形が役に立つ。ストーリーテリングを使ってコミュニケーションの課題を解決しよう!という宿題を通して徹底的に基礎を叩き込まれた。

社会にムーブメントを起こす

ストーリーを組み立てる手法とテクニックを用いれば、誰でもストーリーテラーになれることが分かった。小説家や脚本家になろうと思えばそれも夢ではないかもしれない。では、普通のストーリーテラーと優れたストーリーテラーの違いはどこにあるのだろう。教授のこの言葉が印象に残っている。

「優れたストリーテラーは、社会をより良い方向へ変革のムーブメントを起こせる人だ」

ナイキは長い歴史をかけてブランドを築きながら、一貫して「全てのアスリートを応援する」という強いメッセージを発信している。コロナ禍の混沌とした状況を鑑みて、逆境を克服したアスリートたちの姿を映した「You Can't Stop Us」というキャンペーンを打ち出した。

ナイキは、全人類で力を合わせてこの難局を乗り越えよう!と応援した。すると他のブランドが追随して、次々と社会に前向きなメッセージを発信した。そんなナイキの社内には90年代からCSO(チーフ・ストーリーテリング・オフィサー)という役職が存在しているらしい。コロナや人種差別などの難しい社会課題に対して素早く反応し、ブランド主導で社会にムーブメントを起こしている。まさに優れたストーリーテラーの事例だと思った。

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