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母の一言から1ヶ月でひのきの家を買った話。
「あんたんちの近くに家を買って住むのもいいんじゃない?」
お正月の実家のリビングで母が言った、この何気ない一言がすべての始まりだった。
静まりかえった観光地に移住した日
私が伊豆高原に移住したのは、2020年のGWの直前のこと。世は緊急事態宣言真っ只中であり、期待と不安を胸に伊豆高原駅に降り立った私を出迎えたのは、駅の端から端までを覆い尽くすシャッターだけだった。観光客のいない駅の中は静まりかえっていた。
「まーた、大変な時に引っ越してきてしまったものだなあ」と思ったことを覚えている。(引っ越しを決めたのは、まだ日本での感染者が出ていない時期だったのだ)
断食のために訪れた伊豆高原の自然や雰囲気に癒された私はこの土地に「住みたい!」という思いに突き動かされるまま、勢いだけで移住を決めた。
知り合いもいない。
仕事のあてもない。
ついでにお金もない(笑)
ないないづくしのスタートだった。
クラウドソーシングサイトでライターの仕事を受注して、事務仕事や飲食店で働きながら、伊豆高原のすみっこでほそぼそと暮らす日々。
最初は長期間の旅行しているような気分だった。しかし、少しずつ知り合いが増えて、人とのご縁が深まるうちに伊豆高原に住むことが私の日常になっていった。正直「嫌になったら実家に帰ればいい」と思っていたのだが、この土地のことがどんどん好きになっていった。
移住は期間限定と思っていた2つの理由
しかし、私の中ではこの移住は、期間限定のつもりだった。
なぜなら、懸念点が2つあったから。
1つは金銭面。
やっぱり地方は都会に比べて仕事も少ないし、給料も安い。ライターは名乗るだけなら簡単だが、食べていけるだけの収入を得ることはなかなかに難しい。仕事が軌道に乗るまでに何年かかるかもわからない状況だった。
なので何年か頑張ってみて、最終的に食べていけなくなるようだったら、情けない話ではあるが、実家に帰ることを最終手段として考えていた。
もう1つは、離れて暮らす年金暮らしの両親のことだ。
今は2人とも自分たちで生活することができている。しかし、5年、あるいは10年後。父か母、あるいは両方が介護が必要になる時がくるだろう。
兄は仕事や3人の子育てに忙しいから、身軽な立場の私が介護をすることになるだろうな。兄と示し合わせたわけではないが、そう思っていた。
だからこそ、両親が元気なうちは好きにさせてもらおう。そして、両親にサポートが必要になった時は、名残惜しいけれど伊豆高原を離れて実家に帰ろう。
両親には話していない、私のひそかな決意。
だからこそ、冒頭の母の一言は衝撃的だった。
「両親の移住……それもありじゃない?」
私は勝手に両親が今の実家を「終の棲家にしたい」と願っていると思っていたのだが、どうやら母も父もそうは考えていなかったらしい。
確かに言われてみれば、今の実家は父の勤務先に近い、という理由で選んだ場所であり、親戚はすべて県外にいる。地域の人と密に交流しているわけではないから、それほど愛着があるわけではなかったのだ。
築40年以上経った実家は、水回りや内装にあちこちガタが来ている。今後も住み続けるためにはリフォームか建て替えが必要なタイミング。その費用を考えれば、いっそのこと私の住む伊東市に家を買って、一緒に住んだらいいのでは?というのが母の提案だった。
私にとっては青天の霹靂のような話だった。私が実家に帰ることばかり想定していて、両親が私の移住先に来て一緒に住むなんて考えたこともなかったから。
しかし、その選択肢がもたらす未来を具体的にイメージしてみると「あれ?両親の移住もありじゃない?むしろ、メリットしかなくない?」と思えてきた。
私は家賃の支払いがなくなるから、金銭的に助かる。家事も分担できるから、労力や時間も減る。父か母が要介護になったとしても、一緒に住んでいれば対応しやすい。
さっそく物件を検索してみると、中古の物件なら決して手が届かない値段ではなかった。むしろ、母にとっては「思ったよりも安い!」という印象を与えたらしい。
しかし、その時点では母も私も「とりあえず気になる物件があれば見てみようか〜」ぐらいのテンションで、実際に家を買うとしても2〜3年後ぐらいを想定していた。
タイミングとご縁が重なった出会い
しかし、ここからが自分でも驚くほどに展開が早かった。
お世話になっているイタリアンのマスターに「お正月に両親がこちらに家を買っても住んでもいいかな、と話してたんですよね」と話したところ、お店の常連の不動産屋さんを紹介してくださることになった。
そして、ちょうどリフォーム中の良い物件があるから、試しに見に行ってみたら?と勧められたのがわずか数日後のことだった。せっかく紹介してくれたんだし、と気軽な気持ちで不動産屋さんに連絡を取った私を待っていたのは、、
私と母の条件にほぼほぼ合致する家だった。
今私が住んでいる賃貸は元々企業の保養所の離れとして建てられた古民家風の家であり、和の雰囲気が素敵で気に入ってる。しかし、窓が大きくて冬が寒いのがネックだった。最初は旅館みたいで素敵!と思った石風呂も、冬は湯船につかるまでは寒さで凍えている始末。
また、台所や洗面台もザ・昭和な感じのつくりであり、次に住むなら水回りはもっと新しい方がいいなあ、と思っていた。
そして、母の希望は腰が痛くて、家庭菜園や畑なんてしないから、庭は小さい方がいい。むしろいらない。そして、病院や駅、スーパーまでの公共交通機関があること。
その点、紹介された家は水回りは不動産屋さんがリフォームしてくれており、台所のガス台や洗面台は新品でピカピカ。お風呂もキレイで、畳やふすまも新しいものに交換済み。庭はほとんどなく、バス停も近くて買い物や通院にも特に困らない。
なんといってもひのきの家!
そして、なんといっても檜(ひのき)!ひのきづくりの家だったのだ!
どうやらこの家を建てた方はなかなかにこだわりを持つお方だったらしく、注文住宅らしく、建物の随所にひのきを使われていた。(家全体もなかなか凝ったつくりになっている)
和風建築が好きで、木のぬくもりがある家に住みたいと思っている私に取っては最高の物件。
やっっほーい!
そして、お値段も予算内。
やっっほーい!
テンションが上がった私は母に「いい家見つけたから見にきて!」と電話した。もちろん母はびっくり仰天。その時点で正月に話をしてから2週間も経っていなかったから、驚くのも当然だ。
まあ、私がいくらいい家だとわめいたところで、両親がうんと言わなければはじまらない。私には一括で買えるだけの貯金もないし、ぺーぺーのフリーランスだから銀行のローンを組むのもむずかしい。
つまり、金を出すのは両親だから、ここで試されるのは私のプレゼン能力である。
家の図面とともに、私が見て「いいと思ったところ」はもちろん、「気になったところ」も箇条書きにして、正直に書いて送った。
私も正直なところこんなに早く買いたくなる家が見つかるとは思っていなかった。でも、私はこの家がとても気に入った。このタイミングでいい家が見つかったということは、ご縁だと思うから私は買いたいと思っている、と手紙にしたためた。
数日後、母から電話があり「見に行ってみるかねえ」と重い腰をあげて内覧に来てくれることになった時は、思わず心の中でガッツポーズをしてしまった。
いよいよ母の内覧=勝負の時
ただ、私にはちょっとした焦りもあった。母が内覧にくるまで2週間くらい期間が開いていたからだ。物件の情報は公開されていたので、他の人から問い合わせがあってもおかしくはない。それほど高額の物件というわけでもないから、内覧に来た人が即購入してしまうかもしれない。
ただ、落ち着いてみると、逆に母が見にくるまでの間に誰かが購入を決めたとしたら、この家と縁がなかった、ということだろうなと思えてきた。
そしたら、当初の予定通り2〜3年かけてゆっくり探せばいい。
そんな風に腹に決めていたのだが、結局購入する人は現れないまま、母の内覧の日を迎えた。
駅まで母を迎えにいって、現地で不動産屋さんと合流。母と共に物件の中も外もじっくりと見させてもらった。母の様子を伺うかぎり、感触は悪くない様子。
内覧後に、改めて私の家で母とメアジの塩焼きを食べながら話し合いが行われた。どうやら、母も私と同じように家自体は気にいった、ということだった。
しかし、急展開すぎて心が追いついていない様子だった。まあ、私も全く、それについては同意見だった。なんといっても、正月に話が出てから1ヶ月も経っていない。
2-3年後の結婚を想定して付き合った彼に1ヶ月も経たないうちにプロポーズされたら、同じような心境になるのかもしれない(違うかもしれない)。
お母さんと「家を買ってもいい」と話をして、不動産屋さんを紹介してもらおうとしたら、ちょうど物件があり、ちょうど条件を満たして、ちょうど
予算内ということは「この家を買え!」ということなのでは?
私がしみじみとそんな話をすると、母は考え込んでしまい、その日の夜は結論が出ずに終わった。
私は寝床の中で「母が買わないんだったら、私ローン組めないかな?兄を保証人にして」と半ば本気で考えはじめていた。
母「やっぱり買おうか」 私「え、ホントに?」
一晩経った、翌朝。
朝食を食べた後で、母がおもむろに口を開いた。
「一晩考えたんだけど、やっぱり、昨日の家を買おうか」
それを聞いた私は、喜びで小躍りした……のではなく、
「え?ホントに?」
と腰がひけてしまっていた。
急に怖くなってしまったのだ。
人生で1番大きな買い物と言われる家を、こんなに簡単に買ってしまってもいいのだろうか?
私が今後もしも結婚することになったらどうする?
両親はこの土地に馴染めなくて、後悔したりはしないだろうか?
と恐れがむくむくと湧いて出てきていた。
ただ、急に日和り出した私を見た
「それなら、やめとく?」の母の問いかけに
「いや、買う!」と反射的に答えていた。
それが、私の本心からの答えだった。
仮住まいの移住から地に足つけた定住へ
それから、不動産屋さんと話をまとめた。後日、契約書にハンコを押して、めでたく契約が成立した。
印鑑を押す時こそ鼓動が早くなったものの、それ以外は意外なほど冷静に対応している自分がいた。家を買うって、こんなにもあっけないもんなんか、
と拍子抜けしたほどだった。
引っ越しに向けて動き出した今は、とってもワクワクしている。
移住してからもどこか仮住まいという感覚が消えなかった。いつかは去る土地だから、という思いが根底にあったからだ。しかし、家を購入して定住することに決めた今は、地にどっしりと足をつけて暮らしていけるような感覚がしている。
実家を片付けて両親が引っ越ししてくるまでは、せいぜい一軒家での一人暮らしを満喫することにしようと思う。
何が起こるかわからない。だから、人生は面白い
ある人からは
「邪魔が入らなかったということは、きっとこれが自然な流れだったんだよ」と言われた。
なるほど、これがいわゆる”流れに乗る”ということなのかな、と妙に納得した。
確かに、誰かが家を先に購入していた可能性が十分にあった。
母が家を気に入らない可能性もあった。
兄や父が強固に反対した可能性もあった。
しかし、実際は
見学は母が来た後にしか入らなかったし、
兄は全く反対しないどころか歓迎ムードだったし
父が俺はテコでも動かない、と反対することもなかった。
1ヶ月前には移住先に家を買って、両親と暮らすなんて想像もしていなかった。しかし、結果的に私が望む未来に進むためのよい流れに乗れているのかもしれない、とも思う。
人生って何が起こるかわからないものだ。
だからこそ、面白いんだと思う。
そんなわけで、ご縁のある皆さま。
これからもどうぞよろしくお願いいたします。
吉澤 香子
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