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「ヤリを投げたら届く?」私たちが持っている距離感 【ユタカジン】

今回は noteマガジン「ユタカジン」への寄稿となります。


突然ですが、大草原で原始人が狩りをしているとします。獲物の姿が見えて、ヤリを構えます。さて「届くor 届かない/投げる or 投げない」どう判断すると思います?

獲物までの距離を割り出し、自分の腕力とヤリのスピードと空気抵抗、重力  etc. という緻密な計算をして…なんてことはまずナイと思います^^;
もしかしたら脳内で近いことが起こっているのかもしれないけど、それは別として、周りの状況から「イケる!」「微妙」「無理」を感覚として捉えているのではないでしょうか。

もっと身近なもので言うと、例えばボール投げ。
的(まと)まで300mくらい離れていて「当てられる?」と聞かれたら、多くの人は即座に「NO」と判断するでしょう。
30cmの距離だったらもちろん「YES」。
その中間に「当たるかな~、どうかな~?」というグレーゾーンが存在します。

このグレーゾーンは位置も幅も人それぞれだと思いますが、例えば野球選手だとか、普段からボールを投げ慣れている人は、一般の人より幅が狭く「できる/できない」の判断がより正確だと想像できます。
繰り返しが培う「経験や慣れ」によって感覚が鍛えられていくのではないでしょうか。

ただボール投げの経験がまったくない人でも、無理かどうかの感覚はある程度持ち合わせているのではないかと思います。それがDNAに刻まれた祖先の経験なのか、赤ちゃんの頃からの何らかの積み上げなのかはわかりませんが。

人が持つこの距離感って、締め切り感覚とも似ているところがあるんじゃないかなと私は思っています。
「終わりそう」とか「無理そう」とか。

経験のあるものは、かかる時間がだいたい想像できます。先ほどの野球選手の例です。でも経験がないものでも「え?これって、ほんとにいける量?」なんて思ったりする。
自分のなかでグレーゾーンの判定は、ちょっとしたアラート。それがNOに近ければ近いほど不安が募り始めます。

ここまま「終わるかどうか」だけを気にしていると、その不安に飲み込まれてしまうので、まず、ちょっと手をつけてみて…

すると「このペースなら終わりそう」とか「もうちょっと作業時間とらないとまずいんじゃない?」なんて、ふわっと思いはじめる。
「誰かに手伝ってもらわないと無理!」っていう場合もあり。

現在の地点から、締め切り地点までの距離感で、自分の中でなんらかの判断が下され、調節機能が働く。
そう考えると脳の中で毎時、何かが目まぐるしく再計算され続けているのかもしれないけれど、無意識なので自分としてはいわゆる「感覚」の類だと思っています。

こういった「感覚」って、意外と大事だと思うんですよね。
内在する生存本能(危機管理)の進化系というか、自己調節機能というか。

頭の中だけで考える癖がついていると、感覚というものは徐々に鈍ってきてしまう。
仕事をしていると、どうしても論理的思考を求められるシーンが多いけれど、せっかく生まれ持っているものも、もっとうまく使っていけたらいいのではないかなと思います。

自分の中の「ん?これで大丈夫?」といった、ちょっとしたアラートと調整を促す声に早めに気づいてあげて、不安が小さいうちに日々対処してあげる。
経験値も活かして、感覚をもっと育ててあげる。

それが「自分らしい時間の使い方」にもつながっていくのではないかなと、なんとなく思っている今日この頃です。


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