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無知は恥・無知の知と若気の至りで消えたくなった話

私は遅ればせながら40歳を越えてから本格的に
インテリアや建築に関する勉強を重ねている。
学べば学ぶほど楽しく前のめりになる反面、
今まで無知が故の強気で
足りない知識に気づかずに堂々としていた事が
恥ずべき姿だったと深く反省している。

若気の至りと言ってしまえば確かにそう。
若気の至りの意味を調べてみたら、
若くて無分別であるためにしでかす失敗、
恥などを意味する表現

わぁ…まさに私。
住宅販売しているときにも
大工さんに偉そうに補修依頼をしたり
お客様からの問い合わせに対しても
友達や目上の人との談話に対しても
今思えば行き当たりばったりの回答もあった。

自分の価値観が基準で正しいと思い、
感情任せで頭ごなしに決めつけて言い切る事、
お客様も気づいていて見逃してくれていたと
想像すると恥ずかしくて仕方がない。

今は逆に、調べて調べて間違い無いと確信し
法を犯していないか誰かに我慢が偏って無いか
慎重すぎる面倒な私にホッとする…
堅苦しくて面白味のない人間でもある。

街や仕事場で迷惑系マナー違反者には諭す。
若い時は偉そうな喧嘩口調だったけど
歳を重ねると、喫煙注意や割り込みなど
知らないあなたに教えてあげる・説明する
という、嫌味技が練り込んである方が高効果。
無知は恥・無知の知を優しく認識してもらう。

無知の知は精神医学学ぶ際ソクラテスの言葉で
「自分自身が無知であることを
知っている人間は、
自分自身が無知であることを
知らない人間より賢い」
との解説で知った。

まさにこれ!私はアホに気付かず恥ずかしい…
自分が知らないことを認知すること大事。
視野が狭いことも自覚し同時に多様性も受容。

私の場合、今更ながら知識を身につけることで
自分が劣っていることに気付き老若男女問わず
人の良い面に目がいき、尊敬しているし、
自分が出来ない・したくない事をしている人に
素直に感謝している。

無知の知と同時に足るを知り楽になった。
理想と誤差がありすぎる現実が辛い中、
自分の気持ちを救うのは自分の思考を知り
無理なく感謝と尊敬と気付きと教養の追加だ。

なんか堅苦しい話だけど要は
『知らないことを自覚する』
『人の良い面や優れた面を素直に感謝と尊敬』
『現状を受け止め自らの意志で自然に上昇』

若い頃の自己主張強い私、周りは咎めず見守り
振り返ると滑稽で消えたい位恥ずかしいけど
気づく時が来るという信頼もあったのかな?
私も若く勢いある子を批判せず見守っているし
尊敬することが沢山ある。
万が一の時は助ける気持ちで応援もしている。

無知は恥からの無知の知からの他者尊敬。
自然にできるようになるまで失敗を繰り返し、
学びがない自分にガッカリしながらも
心を護りながら歳月を積み重ねていきたい。

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