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写真がきらいだった

子どもの頃の私が写った写真は
いつでもどこか緊張して怖い顔をしていました

それはカメラマンだった父に
「もっと笑え」
「歯を見せるな」
「もう少し顎を引きなさい」
色々と注文をつけられていたから


シャッター音が鳴り
撮影が終わる瞬間が待ち遠しく感じていました

父はアマチュアのカメラマンでした

実家の二階の押し入れを暗室にして
学生の頃から撮影した写真を
せっせと現像していたそうです

まだ赤ん坊だった私が
やっとおすわりできるようになった頃の
お祭りの法被を着せられた写真は
父の撮影時間が長すぎて
斜めにかたむいて倒れる寸前でした

小学校の入学式では
大きなカメラと本革の撮影カバンを持ち込んで
知らない親子にも「撮りましょうか?」って声をかけて
挙げ句の果てには教頭先生にも声をかけて
プロのカメラマンさんを差し置いて
クラス写真を撮る始末


後から教頭先生にはお礼を言われたけど
それでも私は恥ずかしくて
ずっと父を見ないようにしていたっけ


そんなわけで私は
写真を撮られるのが苦手でした

だけど


本当は写真を撮られるのが嫌なのではなく
父にダメ出しをされ続けていた感覚が
嫌だったのかも

最近はそんなふうに思います

もっともっと
今の私をそのまんま受け入れてほしい

あれこれ注文をつけられたことで
今の私を否定されたような
気持ちになったのかもしれません


思春期になった私は父からも離れるようになり
やがて父は人物を撮影しなくなりました

私が嫁いでからは
私の誕生日ごとに
自分が撮った実家のバラの写真を
送ってくれました


父が残したデジタル一眼レフのカメラ
私には重たすぎてちょっと持て余しています

スマホの方が綺麗に撮れる今の時代

それでもこのカメラを手放せないのは
父が撮りたかった景色を
代わりに切り取ることで
父のカメラから逃げ続けた思春期の
罪滅ぼしをしたいからかもしれません

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