改めて、私が精神疾患について発信する理由
こんにちは、きょうこと申します。
2015年にうつ病と診断されて以来、アメブロやnoteなどで「精神疾患のリアル」を発信してきました。
診断が双極性障害に変わってからは、うつ病との違いや躁との付き合い方などもお話ししています。
なぜ発信するのかというと、「同じような悩みを持つ人たちの力になりたいから」「精神疾患の人とそうではない人の相互理解を進めたいから」です。
今日は、この思いについて改めて整理してみたいと思います。お付き合いいただければ幸いです。
世界から取り残される感覚
20代半ばでうつ病と診断されたとき、私は新人看護師でした。
手術室に配属されていたこともあり、「メンタルが強くないとやっていけない」という風潮がありました。
「病院に行くほどの体調不良でなければ休んではいけない」「勤務中に具合が悪くなっても、休むのは1時間まで」などのルールがあり、「心身ともに健康な人しか必要ない!」と暗に言われている環境だったのです。
そのような職場があることが悪いとは思いません。手術室という過酷な環境で、確実に患者さんを守るためには、心身ともに健康でないと難しいからです。
ただ、私には無理でした。
ある日仕事に行けなくなり、うつ病と診断されて休職を指示された時は、世界から取り残されたような感覚がありました。
周囲にうつ病などの精神疾患の人がいなくて、自分だけが欠陥品のように思えたからです。
精神科医は「完璧を目指してはいけない」と言いますが、明らかに周囲(特に職場のメンバー)が完璧を求めてくるのです。
私はその期待に応えられないばかりか、自己管理ができず重い病気にまでなってしまった。
誰も理解してくれない、誰も辛さをわかってくれない。
もはや「普通」ではなくなってしまった。
そんなふうにグルグルと思いを巡らせ、これまでにないほどの孤独を感じました。
家族や友達など、優しくしてくれる人がいたのは救いでしたが、もう一瞬たりとも生きていたくないほどの絶望を理解してくれる人はいないと感じていました。
そんな時に見つけたのが、インターネットで発信する精神疾患当事者たちの声でした。
精神疾患当事者たちの声が力になった
休職中は暇だったので、どうしてもネットを見る時間が多くなりました。
うつ病のことや、自分が飲んでいる薬のこと、薬以外の治療法のことなど、たくさん調べました。そうしてネット上をさまよっているうちに目に入るようになったのが、精神疾患当事者たちの声です。
私と同じように休職している人、絶望している人、病気と折り合いをつけながら前向きに生きている人など、一口に「精神疾患」といっても色々な人がいます。
当事者たちが紡ぎ出す言葉を読んでいるうちに、少しずつ孤独が和らいでいきました。精神疾患は理解されにくいけれど、決して特別なものではない。誰でもかかる可能性があり、本当にたくさんの人が当事者なのだと知りました。
精神疾患はとかく特別視されがちですが、1つの「属性」に過ぎません。過半数より少ないのがマイノリティだとすれば、例えば「日本人」という属性は、世界全体でみればマイノリティです。日本の中でみても「20代」という特性はマイノリティですし、「看護師」という特性もマイノリティなのです。
そんなふうに思えるようになったのは、たくさんの当事者の声、精神疾患持ちのリアルな生き方を目にしたからです。
間もなく、私もブログで発信をするようになりました。やがて実名のSNSでもカミングアウトするようになると、リアル友達や知人が「私も実はうつ病なんだ」「うつ病になりかけている気がするんだけど、どうしたらいいかな」と明かしてくれることも増え、ますます孤独が和らいでいきました。1人が発信することは、他の人が発信するきっかけにもなるのです。
「同じような悩みを持つ人の力になりたい」という思いは、当初からずっと変わっていません。
精神疾患ではない人たちに伝えたいこと
当初は精神疾患の人たちに向けて発信をしていましたが、少しずつ「精神疾患ではない人たちにも伝えたい」と思うことが増えました。
なぜなら、非当事者の理解を深めることはお互いの幸せにつながる、Win-Winだと思うからです。
精神疾患に対して理解がない人というのは、決して悪い人ばかりではありません。
「いつまでも泣いていないで、笑顔になろうよ」
「物事はポジティブに考えればいいんだよ」
「もっと辛い人もいるんだから、元気出して」
「意外と元気そうで良かった。そろそろ仕事したら?」
このような言葉は、うつ病の人にとっては死にたくなるほど激しい痛みを引き起こすことがあります。
しかし、言っているほうは全く悪意がないことも多いのです。
むしろ「元気になってほしくて言っただけなのに、どうして拒絶されるの?」と、言ったほうも傷ついてしまいます。
しかし、うつ病について理解を深めていれば、お互いに傷つけることは減るはずです。
うつ病は「こころの病気」と言われますが、「脳の病気」あるいは「全身の病気」と言ったほうが正確であろうと私は思います。
抗うつ薬などの薬が効くことからもわかるように、身体に異常が起きているのです。
うつ病の人が頑張れないのは、足を骨折した人が走れないのと同じです。
うつ病の人に「頑張ればできる」「できないのは甘えだ」と言うのは、足を骨折して苦しんでいる人に「頑張れば走れる」「走れないのは甘えだ」と言っているのと同じです。
また、うつ病の人が不眠や頭痛、腹痛、倦怠感などの身体症状を呈することがあります。これらは「気の持ちよう」「気のせい」ではありません。脳内の変化、自律神経の乱れ、薬の副作用などによって実際に(物理・化学的に)起きていることです。
また、うつ病の人はしばしば「死にたい」と考えます。これは、命を粗末にしているからではありません。生きたくても生きられない人がいることも重々承知しています。それでも、ただただ生きることが辛く、地獄の苦しみから逃れるためには死ぬしかないと考えているのです。苦しみから解放されて幸せに生きられるなら生きたい、けれどそれは絶対に無理だという考えです。そのような思考も、脳や全身の変化から生じています。
なので、死にたい人に「命は大切」「生きたくても生きられない人のことを考えて」などのわかりきったことを言っても、「理解してもらえない」と受け取られてしまいます。
それよりは、黙って話を聞いたうえで「私はあなたに生きてほしい」と伝えたり、現実的な解決策を一緒に考えたりするほうが良いと思います。例えば、職を失ったから死にたいという人には、一度ハローワークに行ってみることを提案する。うつ病が良くならないから死にたいという人には、薬のコントロールについて主治医に相談することを提案する。お金がないから死にたいという人には、障害年金などの福祉サービスを紹介する。たったこれだけで、死にたい気持ちが和らぐこともあるのです。
精神疾患ではない人たちが、うつ病などの思考の特徴や対処法を知っておけば、いざという時に役立ちます。精神疾患持ちの家族や友達と喧嘩をしたり、傷つけ合ったりすることも減ります。これはまさにWin-Winと言えるのではないでしょうか。
精神疾患の人とそうではない人、相互理解を進めたい
最初はただ「精神疾患当事者の孤独を和らげたい」と思って始めた発信ですが、今ではそれに加えて「精神疾患の人とそうではない人の相互理解を進めたい」という思いが強くなっています。
人間には、自分と同じ属性の人に惹かれ、違う属性の人を排除する性質があると言われています(もちろん例外はありますが)。これは必ずしも悪いことではなく、オリンピックで自国の選手を応援したり、同年代でグループを作って活動したりするのを問題視する人はほとんどいないでしょう。
しかし、精神疾患はとにかくネガティブな特性だと思われがちです。「みんな甘えているだけ」「犯罪リスクが高い」など、事実とは異なる烙印を押されることもあります。そして、精神疾患というだけで採用されないなど、社会的な排除を受けています。精神疾患への理解を広めることは急務です。
一方、さらに進んでいないと感じるのが、「精神疾患の人からの、精神疾患でない人に対する理解」です。
精神疾患になるととても苦しいので、「理解してほしい」という欲求がとても強くなります。理解のない人が目につきます。しかし、そんな私たちは「精神疾患でない人」を理解しようと努めているでしょうか。
精神疾患を含む病気の人は、何らかの形で健康な人に助けてもらわなければ生きていけません。休職すれば他のメンバーがフォローせざるを得ません。寝込んでいれば誰かが代わりに家事をしてくれます。病院に通えば医療費は3割負担(自立支援医療を使えば1割負担)ですが、主に健康な人が収めた税金でまかなわれているわけです。
そういうことで自分を責める必要はありませんが、助けてもらうのを「当たり前」ではなく「有り難い」と受け取るべきです。
また、一見理解がないように見える人でも、「なんとか助けてあげたい」と思っている人は多いものです。助けてあげたいけれど、知識や経験がないためにうまくできないだけです。精神疾患のことを理解してほしいなら、説明をしたり、わかりやすい資料を渡したり、こちらから歩み寄るべきだと思います。何事もギブアンドテイクと言いますが、こちらから先んじてギブするのです。
そして、精神疾患が辛いということは、「大切な人が精神疾患で苦しんでいるのを見ている人」も必ずいるということです。大切な人が苦しんでいるのを見るのはものすごく辛いことですし、特に親であれば「育て方が悪かったのだろうか」などと人知れず自分を責めて、罪悪感に苦しんでいることもあります。どう接したらいいのかわからないという戸惑いや、精一杯のことをしているのに病状が良くならないという無力感やいらだち、将来への不安、大切な人が別人になってしまったような感覚など、多くの苦悩を抱えています。
一言で言うと、「傍から見ている人も相当辛い」ということです。
精神疾患の当事者は、このような事情をよく想像し、精神疾患ではない人との相互理解を進めていきたいものです。
以上、私が精神疾患について発信する理由について改めて整理してみました。
最後まで読んでくださってありがとうございました。
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