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おおざっぱなコラム まとめ~考古学編~

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考古学に関する自筆コンテンツと関連コンテンツをまとめました。 お楽しみください。
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2024年3月の記事一覧

プレ皇室研究 最近知ったこと。

なんか、本を読んでいたら、ちょっと気が付いたことがあったので、書き留めます。そんな大きな話ではないのですが・・・。 1つ 「天の安河」って、”安”は別の字があるらしくて、天八せ(せは、サンズイに端の右側)河原(あめのやせのかわら)それは「多くの瀬を持つ(たぶん支流があるってこと)」という漢字なのだそうだ。 忌部氏の本に書いてあった。「古語拾遺」だ。 (ついでに「安原」と言っているひともいた。もし「夜須」なんだけど、「安」でないなら、安河が残ってもかまわないかなあ・・・。)

欠史八代研究: 纏向遺跡の謎。

纏向遺跡は何回もずーっと発掘が続いています。 一部は箸墓古墳で有名です。 じゃあ、それ、誰の都なの? と考えると、どうみても単純に景行天皇じゃないの? 「考古学上、実在したとすれば4世紀前期から中期の大王と推定されるが、定かではない。」 仲哀天皇が350年前後だから、それより前だからOkだけど、天皇の期間がなんか短いよなあ・・・。早死にした人いるかな? 「宮(皇居)の名称は、『日本書紀』では纒向日代宮(まきむくのひしろのみや)。伝承地は現在の奈良県桜井市穴師。」 纏向

プレ皇室研究: 未発掘の王墓は?

原田大六先生が、 「他の王墓もあるはずだ」(そのうち発掘したい) と本に書いてあって、結局お亡くなりになって未完なのであるが、もう一度、資料を読み直したら、なんだ、糸島市教育委員会とかはどうやら、あてがあるらしい。 「遺跡範囲は南北1500メートル×東西750メートル、居住域と墓域を合わせて約60ヘクタールの規模を持ち、伊都国の中心地と考えられる拠点集落で、以下の3地区に区分されている[2]。 南小路地区(三雲南小路遺跡):伊都国王の墓(一辺30メートルの大型弥生墳丘墓)

プレ皇室研究: 本当の”日向三代御陵”を探す。

さて、本物の日向は糸島市日向峠であると解明し、小戸も阿多(吾田)も愛宕だと見つけた。笠沙は矛盾した言葉でちょっとおかしいことも説明した(砂浜なのに岩でごつごつの高い位置の”岬”はおかしい。”御前”と書いてあるのだ。地名とちょっと違うのかも?) 宮崎でも鹿児島でもないのは、前に書いた。明治の小役人の陰謀というか、暴走だった。(しかも実は忖度だったらしく、当時の鹿児島県民には喜ばれてはいなかったらしい。) 残るは、日向三代の墓である。 瓊瓊杵尊 筑紫日向可愛之山陵 彦火火出見

プレ皇室研究: やばい。ニギハヤヒと物部氏

ハプログループで、あまり研究していなかったんだけど(あまり興味がない・・・インチキ沼に入りそうだし・・・)、「物部氏のハプログループがわかったよ」とネットに書いているのがありました。 とりあえず、まあ、いったんそれが正しいとして、その人は 「饒速日命のY染色体は、ハプログループD1b1d1(D-CTS1897)系統であると推定される」 「これは、出羽国(現 秋田県湯沢市)に移住した物部氏の子孫複数名から得られたデータに基づくものである。」 ところで、アメリカのDNA分析会

プレ皇室研究: なんでイザナミ・イザナギ夫婦は子供が多いのか?

「古事記」のイザナミ・イザナギ夫婦ってば、最初の国産みはともかくとして、その後、人間体の神様もいっぱい産みますよね。 いつものWikiによると、いやもう、伊邪那美なんで死んだあとも、ぼろぼろさらに産む産むwww イザナギなんて、男なのに子供産んじゃうwww 涙だの、糞尿まで神様が生まれるです。すごい。 でまあ、これ、考えるに、「古事記」の対外、または対内向け誇張うそつき作戦だと思うのです。 要は、外国からバカにされたくない。夫婦2人じゃないんだぜー、多産ですごいんだせ

おおー!! ちゃんと倭阿波歴史捏造者たちに切れてる人がいたっつ!!

最近、Youtubeに「阿波は倭」とかいって阿波古事記なんたら人が、捏造歴史を繰り返しております。 四国に邪馬台国があったかもっていう説とはちょっと違います。 被っている人はいるかもですが。 彼らの言い分は、「大和、倭(つまり大和王権)は、本当は徳島、阿波が先で、こっちが本家じゃ」といって、変な話をいっぱい出すのです。 (ついでに、「徳島と愛媛とで合体で、邪馬台国説で活動したらいいじゃないですか」って徳島の人にいったら、なんか、不愉快そうだった。要するに、自己中なんだわ

プレ皇室研究: 那珂川市安徳台遺跡の人骨は、Bグループ

九州の首長墓ぽいので、人骨がでているのを探すことにしました。 検索で出ているのは、次のものです。 福岡県那珂川市安徳台遺跡出土 弥生中期人骨のDNA分析 B5bだそうだ。 「縄文時代には既にこのB系統が日本列島にいたことが縄文人骨の解析などから明らかとなっており、現在では、特に東京と宮崎で多く検出される[9]。日本人に占める割合はB4(9.1%)、B5(4.3%)である[10]。」 「B5系統は華南を中心に分布している。B4系統は台湾、フィリピン、太平洋島嶼を中心に分布

プレ皇室研究: まだ見てない遺跡があったー!! ああー!

見逃したのがありました。とほほ。 「福岡県那珂川市にある弥生時代の遺跡。国指定史跡。 北部九州のクニであったとされる奴国の首長の集落であった可能性が指摘されている。」 ああー、昨日、天照大神の岩戸を探していたら、あった場所に近いー!!! と思ったけど、出土品が、土師器、須恵器、石器 だから、うーんうーん、そんなハイテクグッズはないのかなあ??? あ、こっちのほうがいろいろある。甕棺墓だし!! 隈・西小田遺跡 「隈・西小田遺跡は弥生時代を中心とした集落跡と墓地などが

プレ皇室研究: 本当の天岩戸はどこに?

さて、私の理論では、九州北部が皇室の故郷ということですが、天の安河はまあ、朝倉市 夜須川(小石原川)付近でOKとして、「岩戸隠れ」の天の岩戸は、どこなん??? 岩戸っていうからには、山の中とかででっかい岩盤で洞穴みたいなのがないとなあと思うのですが。 「福岡県那珂川市岩戸村。福岡県筑紫郡にあった村。現在の那珂川市の一部。天岩戸は筑紫にあるという伝説による[17]。」 これで福岡県近くを探すと、うーん、朝倉からちょっと遠くない? まあ、10キロ20キロの世界だけども・・・

出雲の 石倉さん、すごい!!

素晴らしいです。 「吉郎さんが所有する民俗誌『平原風土記』で三家のルーツに迫る。「西暦七三三年以前から北畑の石倉家は存在していた事も判明し、又(また)その本家である大畑の石倉家は其(そ)の上古い家柄である事が察しられる」とある。宇留布神社の石倉家は、北畑の石倉家一門の末裔(まつえい)という。  源流は大畑の石倉家で、出雲国風土記が完成した733年以前からこの地にいた可能性がある。」 「 また、『平原風土記』には、大地主だった石倉家が、江戸時代に火災で焼失した正禅寺再建の

日本一古い神社はどこ?

というはなしで、こういう動画があった。 大神神社、いいですよね。九州はあまりいってない。研究はしているが。 (当時は、平安時代が好きだったので、大宰府とかにいって、糸島にはいってないのだー。あああーーーー。残念。) うーん、これねえ、「定義」問題なんですな。 1つ、「神社」って、大和王権のものなのでー、本来は、天孫族の先祖神でないとだめなんですな。この2つ、場所が違うだけで、同一の大国主の神様を祭っている。 そして、大国主は本来は出雲族なので、スサノオの娘と結婚しているが、

プレ皇室研究: 大山津見神

コノハナサクヤヒメの父親はこの山の神の 大山津見神 なのですが、大きい元宮は愛媛県にあります。 しかし、いつもいっているように皇室の先祖は九州北部にいたので、お嫁さんのコノハナサクヤヒメたちも糸島市や福岡市あたりに住んでいたはずなのです。 愛媛県は、がんばれば船で1日ちょっとだと思いますから、大山津見神が通い婚で奥さんが九州北部に住んでいて通うのは、ぎりぎりOKなのですが、やっぱりできれば、歩いて通えるところに住所がほしい。 (まあ、お嫁さんが死んでから、愛媛県に移住したの

欠史八代研究: この人の動画面白い。

勉強になるよん!! コメントとかも、マニアの人がおもしろいことを書いていて、正しいかどうかはわからないけど、ネタの仕込みとしてはすごい勉強になるなあw