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数学も作曲もパズルである。

よく「数学できるのすごい!」「作曲できるのすごい!」と言われる.賞賛されるのは気持ちいいのだが,その反面,私のやっていることはそこまで難しいものでもないので,こんな簡単に賞賛を得ても良いのだろうかと思う部分がある.

個人的にはパズルゲームをやっているような感覚なのである.パズルはある程度やれることが限られていて,定石が整備されている.例えば,ジグソーパズルを解くときはまず外枠を完成させる.また,ある程度色の似たピースを集めておくのもセオリーだろう.テトリスをやるなら極力平坦な地形にしつつ,4行消しよりもT-spinやRENなどの短手数で高火力な技を放つのがセオリーだ.ナンプレだったらマス目や行・列を単位にするのではなく,数字ごとに見てどこが埋まっていないかを見るのが定石である.

数学も同じことである.やれることが限られている.2次関数を見たら2次方程式を解くか判別式を計算するか平方完成するかの3択.整数問題を見たら因数分解するかmodを使うか不等式で抑えるかの3択.漸化式を見たら等比 or 階差 or 等差数列のいずれかに帰着させる変形をするしかない.積分なら部分積分するか置換積分するか微分形を無理やり作るかの3択.自然数に関する命題の証明であれば帰納法か背理法の2択.3次以上の関数を見たら因数定理か微分で様子を見る2択.

整数問題で微分しようとはしないし,漸化式を見て因数分解しようとはしないし,積分するのに不等式で抑え込むなんてことはしないし,3次以上の関数を見てmodを取ろうなんてことはしない.一般的な「数学が出来ない人」というのは,たかが高校数学までの範囲で出来ることなんて限られているということに気付けない人だと思う.2次関数で出来ることが3択しかありませんよと言われたらみんなそれを覚えるのに,その3択しかないことに気付けないから数学が苦手になるのだろうかと思う.

流石に大学数学に入ってくると1つ1つの道具を習得するのに時間と理解力を要するためここまで一筋縄にはいかないが,それでも「道具さえあればある程度やることは限られてくる」という点は変わらないと考えている.

作曲も同じようなことが言える.必要な道具立てはせいぜい「調の理解」と「何らかの楽器を弾けること」という2点だけ.例えばハ長調だとして,いきなりBm7(♭5)から曲を始めるなんてことはしないわけだ.最初の相場はC, F, Amで,Dm, Em, Gがたまにある部類.Bdimなんてものは普通使わない.この「ありえない」和音の並びを整備したものがいわゆる「コード進行」である.逆に言えば,このコード進行の調に合わせて鍵盤を適当に鳴らせば案外それっぽく聞こえる.特に変ハ長調にすると黒鍵だけ適当に鳴らしておけばそれっぽくなる.

よくある伴奏形というものや,よくあるコード進行というのは,先人たちの譜面を大量に摂取して得られる経験則である.無論,どの音をどのように配置するか,どの楽器をどのように使うか,という点は各個人のセンスによるものであり,これらのセンスがプロとアマを区別している点なのだろうが,「曲を作っています」と言いたいだけならセンスなぞ不要である.

極論を言うと,現代音楽は変に先鋭化し過ぎて,適当に弾いていても正直バレないのではないかと思う.Arnold Schoenbergという作曲家がいるのだが,正直私には「それっぽいリズムに乗せて鍵盤を適当に弾いているだけ」にしか聞こえない.

今年から廃止になったが,吹奏楽コンクールの課題曲Vもこの手の無調の現代音楽である.たまに2015年の「きみは林檎の樹を植える」や2017年の「メタモルフォーゼ〜吹奏楽のために」などの良作が出てくることはあるが,ほぼ私には理解不能である.

この手の音楽の存在からして,正直それっぽいリズムさえつけておけば,適当に鍵盤を叩いても,「作曲が趣味です」と言えないこともないとは思う.

つまり趣味に「作曲」を標榜するハードルというものは,意外と高くないのである.

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