見出し画像

『母のいなくなった1年』

2021年4月10日。
昨日で母がこの世を去って1年が過ぎた。
僕は宇多田ヒカルを聞くのが好きなのだが、この1年、そして最近はより聴くことが多くなった。

正直、亡くなってから憔悴した時間はほとんどないくらい早く日常のサイクルに戻り、そして今日までひたすら指導の現場に走り巡っていた。
ただ、昨日ばかりは少し悲しみの時間が長かった。

唯一ずっと後悔していることがある。

画像1
母からの最後のメッセージ。

上の写真はなくなる当日の最後のLINEのやりとり。
この日亡くなった時刻は19時ごろ。
見てわかる通り、亡くなる3時間前にはLINEが出来ていた。
しかも胸が締め付けられるのが、まだ普通に明日も生きる人の文章であること。
母は死ぬことはこの時全く思っていなかっただろう。

この時期は具合はいくらか悪かった。ただ、もう6、7年はこの状態のやりとりが普通になっていたため、普段通りと言えば普段通りだった。

もちろんこの日もまさか3時間後にもう一生目を覚さない母を目の前にすとは到底思わなかった。
しかも母の送ったメッセージには指導中の為、気が付かなかった。

亡くなる30分前くらいに来た病院からの連絡で気が付いた。

正直、ここ数年は常にその時が来てもいいように覚悟の上での生活が続いていた。
ただこの日のタイミングは中々頭がカオスになったのを覚えている。

こんなにあっさりその時が来るのかと。

そして後悔していることが、最後に会話どころか、最後の言葉も掛けれずにお別れになったこと。
これまで家族とのお別れは、祖父、祖母、そして母。
その誰とも最後にありがとうが言えぬままお別れをしている。

祖母との一枚。この頃は既にうつ病真っ最中だったが、悟られないよいに取り繕っていた。それでもいつも祖母は笑顔にしてくれた。


祖父は糖尿病で最後の死に目は合わせてもらえなかった。
祖母は脳梗塞で急に倒れた。しかもその時も亡くなる3時間前には僕の帰宅を迎えていて、普通に元気だった。
そして母もまた、日常から突如として去った。

正直、この1年悲しむ時間が無かったと誰かに言うことが多いが、恐らく、この後悔と強い悲しみに襲われるのが怖くて、その現実から逃げるように自分の日常に戻っていたんだと思う。

家族やペットを亡くされた方が感じる、虚無感は正直毎日巡る。
特に地元に戻ってから5年間、もちろん生きるのに働いてはいた。
ただ、母から頂いた命を自ら放棄しようとして、ギリギリのところでこっちに戻ってからは、ただ生きると言うより、母に生きる、日常を過ごす自分を見せるため、働く先のチームが活躍すると一緒に喜んでくれたり、働く為の目的は母の為だったと言えるかもしれない。

それが去年の4月10日を境に、働く目的がぷっつりとなくなり。
誤魔化し誤魔化しの毎日を過ごしていた。

ただ、母が亡くなって1年が過ぎるころ、今は何とか自分で向き合えるようになった。
現場での活動を続けていく中で、そうさせてくれたのは現場にいる選手やスタッフ、保護者、自分と一緒にプレーしていただいた方々だった。

正直、僕以外の人にとっては母の死というのは、他人のことのことであり、干渉の余地はほとんどない。
だから現場に行けばいつもの日常が待っていた。
喜怒哀楽を表現する選手たち。目標に向かうチーム。
目の前は1秒ごとにやってくる未来を少しでも良いものにするために励む姿が多くあった。

感傷的な時間は必要だったかもしれないが、多分未来を進む姿を目の前にして、何となくこのまま1秒後に置いてけぼりみたいな感覚になる方が、より心もキツくなるだろうから、とりあえず先に進む船に乗ってしまえ見たいな感覚で進んでいた。

気がついたら、いつからか、目の前できっかけを必要とする人にできる限り全力で向き合うようになっていた。
未来が潰えた母と僕を介し隣り合わせで、未来を待つ人たち。
紙一重の時間を過ごしているなと感じるし、だからこそ、毎日を今日が人生最後の日でも後悔がないくらい生きたいと思い、感謝と感じた時に、恥じることなく "ありがとう” を伝える。

気がつけば、深い悲しみの瞬間を、悲しみに葬るのではなく、しっかり未来を待つこどもたちに、なるべく正直に生きることや、思ったことを言葉にしたり、伝えることの大切さを説くようになった。

その瞬間では不安だったり、怖かったりするかも知れない。
でも時間が経てば、その時の不安さや怖さは癒てるかもしれない。
それよりかは、言わずしての後悔の方がより不安なものとして続いてしまうかもしれない。
だとしたら、チャレンジして仮にうまくいかなくても、それは違ったというのが明確になったわけで、また次のチャレンジが実質確保されている。

その考え方や物事の捉え方を伝える毎日。

母の死から1年経ってもネガティヴなことしか思わないのかなとも考えていたけども、こうしてまだまだ先に活きる教訓みたいなもの与えたに近い母の存在は大きい。

この記事が参加している募集

振り返りnote

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?