成田 響純 | KYOJUN NARITA

FOOTBALL Coach

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最近の記事

『忘却』

抜けきらない、忘れきれない。 失ってから気付くなんて、分かり切った決まり文句。 これほどまで、身体中を痛みつける。 どれだけ望んでも、目の前から消えた。 心にいるなど無い。会話は出来ない。 結局は思い込みで消化するしかない。 あの日、電話で呼ばれた日。 次に見た母の顔はもうこの世の世界を見ることをやめていた。 目を合わせたが、それはただの眼球でしかなかった。 3時間前まで、LINEが来ていた。 ただ、最後の文は途中で途切れていた。 特に気にする訳でもなく、寝たのかなく

    • 『ポートレート R.I.P KOHTARO』

      今回ある方がこの世を去りました。 非常に野心家であり、人間味があり、素直だけど何処か正義のために身を削って人のためにただただ真っ直ぐに生きる、そんな人でした。 少し自分を見ているかのような方でした。 もう一つ、その方な僕の教え子の女性のお兄さんでした。 当時その子はお兄さんとどこか似ていて、でも中々自分の想いを表現したり伝えることが苦手でした。 でも確かに何か内に秘めた想いを持ち、何かを成し遂げたい姿は確実にあり、気が付けば今は遠く離れた地で、同じ指導者として多くの未来を

      • 『母のいなくなった1年』

        2021年4月10日。 昨日で母がこの世を去って1年が過ぎた。 僕は宇多田ヒカルを聞くのが好きなのだが、この1年、そして最近はより聴くことが多くなった。 正直、亡くなってから憔悴した時間はほとんどないくらい早く日常のサイクルに戻り、そして今日までひたすら指導の現場に走り巡っていた。 ただ、昨日ばかりは少し悲しみの時間が長かった。 唯一ずっと後悔していることがある。 上の写真はなくなる当日の最後のLINEのやりとり。 この日亡くなった時刻は19時ごろ。 見てわかる通り、亡

        • 『うつを乗り越える』

          2020年5月14日にこの文章を書きました。 一度は公開しました。 しかし、やっぱりうつ病になっていた自分を知られることが嫌だと感じ、記事を見られないようにしました。 ただ、今後生きていく上で、この期間は今生きる上でも重要な期間であったこと。 うつ病でも指導者としてまた現場に立つチャンスがあること。つまりは再び人生の一歩を踏み出せること。 そんな想いが誰かに届いてくれればと思い、当時から題名を変えましたが、再び投稿しました。 そして、この文章を当時提案、構成して頂い