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「場の連続性」と「〈生〉の連続性」とはなにか――【用語集】『〈自己完結社会〉の成立』


「場の連続性」と「〈生〉の連続性」 【ばのれんぞくせいとせいのれんぞくせい】

 「われわれが過去との連続性を理解しようとする際、そこには必ずある種の媒介物が必要とされるということである。そのひとつは、〈自己存在〉が立脚している何らかの“場”であり――それは土地でも、家でも、地域社会でも、国家でも、惑星でもかまわない――それが現在とは異なる“過去の場”として、確かにそこに存在していたという「場の連続性」である。そしてもうひとつは、そうした“過去の場”に縛られながらも、われわれと同じように何かを感じ、何かを思い、生き、そして死んでいった“過去の人間”が、確かにそこに存在したのだという人間の「〈生〉の連続性」である。」 

下巻 13

 特定の歴史的事実が、〈自己存在〉への明確な連続性のもとで「意味のある過去」として捉えられる際に、両者を媒介する二つの要素のこと。

 「場の連続性」とは、その過去の事実が、〈自己存在〉が立脚している何らかの“場”(それは土地でも、家でも、地域社会でも、国家でも、惑星でもかまわない)を起点として、“かつてそこにあったはずの場”として想像されること。

 「〈生〉の連続性」とは、その過去の事実が、かつてそこにあったはずの“人間の〈生〉”(〈この私〉と同じように何かを感じ、何かを思い、生き、そして死んでいった過去の人間による)として想像されること。

 なお、こうした時空間的な連続性を実感するための実践的な手段として、「時間の地図の比喩」「一世代25歳の比喩」がある。

上柿崇英『〈自己完結社会〉の成立――環境哲学と現代人間学のための思想的試み(上巻/下巻)』(農林統計出版、2021年)

 このページでは、筆者が2021年に刊行した『〈自己完結社会〉の成立――環境哲学と現代人間学のための思想的試み(上巻/下巻)』(農林統計出版)に登場する用語(キーワード)についての概略、および他の用語との関係について説明したウェブ版の用語集のnote版です。

 (現在リンク先は、すべてウェブ版を借用していますが、徐々にnote版に切り替えていく予定です。

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