”ほめる”ということ

 小学校現場において、やれ子どもを褒めろだの、個性を尊重しようなどという聖人ぶったセリフを耳にします。

 子どもたちは、ほめられることによって、一時的な快楽・幸福が得られるのだと思います。しかし、褒められ方、その言葉がけがとても重要なように感じます。

 たとえば、「Aさんは、字を丁寧に書く人なのですね。」という、いわゆるラベリングするかのような言葉がけをされた子どもは何を思うでしょう。

 子どもは学級担任に好意をもつ傾向があります。子どもは担任を選べない、1日数時間いっしょに過ごす担任に見捨てられては、困ることが増えるかもしれない。いわば、好かれるに越したことないといった意識が働くのかもしれません。

 となると、子どもたちは今後も字を丁寧に書き続けなくてはならないと感じる人もいるのでは…と危機感を持っています。

 危機感というのは、妙に社会性を身に付けすぎた人間を大量生産しかねないのでは、という危惧です。

 実際、大人社会において、人との協調性を強いられる(かのような)社会生活において、鬱になり、職場を離れる人もいます。人と一緒が安心安全、と思わされる一方で、人と一緒でいるための労力に疲れれば、「はみだしもの」とレッテルを貼られ、生きづらくなる…かもしれない。

 大人が子どもたちにすべき言葉がけ、どんなものがあるでしょうか?

 私は、「Aさんは、~をしていたね。」と、その人がしたことを言語化し、「見ていた」ことを伝えることかな、と考えます。もう一歩、踏み込むならば、「Aさんは、~していたね。どうして、~したの?」と尋ね、相手に自分の行為のプロセスを言語化させることなのかなと考えます。

 あなたなら、子どものために、どのような言葉がけをすることがベターだと想像しますか?


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