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福田翁随想録(19)

 「影法師」にみる死生観 

 昭和史の超一級の資料といわれる『昭和天皇独白録』に、私の郷里に関係する五人の将星が出てくる。私はいずれの人も実際この目で見ている。
 五人とは、斎藤実元首相、米内光政元首相、及川古志郎元海相、板垣征四郎元陸相、そして東條英機元首相で、私は盛岡のタウン誌・月刊『街もりおか』に平成三年二月号から「昭和天皇独白録と五人の岩手人」を連載し、十一年十二月号の一〇六回で完結させた。
 五人のうち東條の項は約二年間の長きに亘った。もちろん雑司が谷霊園も訪ねた。
 墓石は見上げるばかりの安房石でできた半球型で、奇しくも処刑された巣鴨プリズン跡地に建てられたサンシャインの高層ビルが、木の間から望見された。
 墓石の左側に初代東條英政の作といわれる次の句が、英機の父英教の筆で彫られていた。
 われながらすごし
 霜夜(しもよ)の影法師
 よりによってどうしてこんな薄気味悪い句が墓碑に刻まれたのか。東條英樹自身はこの「影法師」の句をどう解していたのだろうか。
 東京裁判で教誨師(きょうかいし)として最期まで東條と面会を続けてきた花山信勝東大名誉教授は「今にしてあの句の意味が理解できそうに思う」と語っているが、その真意は伝えられていない。
 シェークスピアの四大悲劇作品のひとつである『マクベス』に、「影法師」が二度登場する。シェークスピアから四百年も後の東條家が『マクベス』を念頭に置くはずはないが、「影法師」に托した人生観、死生観とはいったいどんなものだったのか知りたくなる。
 第五幕の終幕でマクベスはダンカン王を暗殺し、自らが国王に即位するが、亡霊にさいなまれ孤独のうちに死す。
「人生は歩く影法師。哀れな役者だ。束の間の舞台で派手に動いても出場が終われば跡形もない」
 この影法師観は、そのまま東京裁判で被告席に座っていた東條の姿とだぶらせないではおられない。時空を超えた偶然とはいえ、摩訶不思議である。
 マクベスは侵攻してきたノルウェー軍を撃退してダンカン王から親任を得ていた。『昭和天皇独白録』には「東條は話せばよく判る。仕事はやるし平素思慮周密でよい所があった」とある。
 宣戦布告の夜は天皇の意を体し、官邸でひとり号泣(『東條秘書官機密日誌』赤松貞雄)している。戦局が進むにつれ軍政軍令を一手にし、東條幕府とまでいわれて怨嗟(えんさ)の的となる。
 マクベスは「明日が、明日が、そのまた明日がゆっくり過ぎてやがて最後に行きつくのだ」と呻いているが、東條もまた自力では制御できず行きつくところまで行かなくてはならなくなった。
 マクベスは「毎夜悪夢にうなされるより死人と一緒にいたい」と悶え苦しみ、「気味の悪い影法師! ありもしない幻、消えろ」と叫ぶ。
 東條は寒夜鉄窓から差し込む月の光にふと「影法師」の墓碑の句を思い出したかもしれない。
 マクベスは「自らを破滅に追いやり、人間の過去も現在も未来も否定して絶望のうちに敗残の死を遂げ」なくてはならなかった。
 花山教誨師によれば、東條は手錠を掛けられ刑場に臨む時一切恨むような気配がなかったという。
「影法師」という虚像の後ろには月に照らされた本体がある。虚像と本体は一体だから「無」は「有」であり、『般若心経』の「無即有、有即無」となり「色即是空、空即是色」に通ずるではないか。
 五尺の身体を無限の時空に乗せることを悟った時、永遠の生命を達観したのかもしれない。
 マクベスは「影法師」を幻としたが、東條には東洋的、仏教的な思惟が働いたと思われる。
 私は法廷取材で死刑宣告を受けた被告たちに「死の願望」があることが窺えた。
『半身棺桶』で山田風太郎は、死の型として「悲惨、無残、壮烈、醜悪、静寂」を挙げているが、私はさらに「従容(しょうよう)」を加えたい。被告たちにはまさに「従容」がふさわしく思われた。
 東京裁判について被告たちを美化するような物言いをすると時代錯誤と批難される向きもあるが、あえて取材記者の生き残りとして伝えたいのは、いまは失われた「もののふの心構え」といった嗜みであり、「権化(ごんげ)」とも言いたい彼らの最後の後ろ姿である。 

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