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福田翁随想録(31)

 自分に合った健康法とは

 痩せてはいたが、母は五十代後半から腰が曲がり、六十四歳で亡くなる時にはエビのようになっていた。日本の老婦人の多くが猫背でO(オー)湾曲になる傾向があるが、海外ではどうしたわけか少ない。
 かつてある雑誌記者が拙宅に取材に見えた時、いたずらっ気を起こして頭の後ろで胡坐(あぐら)を組んで見せたことがある。七十三歳の時だったが、その写真が色刷りで紹介されようとは夢にも考えていなかった(『アサヒグラフ』朝日新聞社・1990・8・31)。  
 その直後にあるテレビ局から「元気印のお年寄りシリーズ企画」に出演してほしいとの電話を頂戴した。おそらく制作担当者が『アサヒグラフ』に掲載された写真を見て「こんなに身体の柔らかい爺さんがまだ生きてござるか」と興味をそそられての打診だったに違いない。
 もちろんお断りした。博多の上人と慕われた仙厓(せんがい)和尚が指摘しているように「いい年をした老人が達者自慢気に、無様な格好を天下にご披露しては晩節を汚す」ということになるからである。
 カナダ生活を切り上げ帰国して間もなく、私は念願だった秩父三十四観音巡礼を終始笈摺(おいずり)姿で歩き通したが、一日十四時間という日もあった。六十四歳の時だったが、疲れるということをしらなかった。 
 傘寿となった今、毎日多摩川の河原を散歩しているが、普通に歩いているつもりでも後から来た人が追い越していく。三十分程度で休みたくなる。巡礼の時の健脚を今更のように思い出し、衰えを自覚する。老化は脚からくるので、朝夕の食事前には雨が降っていても自分に鞭打ってせっせと歩くことにしている。
 かつては気が向けば、散歩途中で周囲に誰もいないのを確認してから木陰で空手の型をやっていた。ゆっくりやっていてもつい力が入るので心臓にこたえる。いつしかそれは止めてしまった。 
 拙宅の二階の上がり框に鉄棒をしつらえていて、その前を通るたびにそれにじわっとぶら下がり全身ストレッチすることにしている。私が夢想神伝流の居合道の稽古に励んだのは五十代後半であるが、師範はやる前の準備運動にやかましい人だった。おかげで身体をそこねない事前準備を怠らない癖が身についてしまっている。自慢話めいていて恐縮だが、年の割に背筋がピンとしているとよくいわれる。
 先ごろこんな具合に書かれた。 
「八十歳と聞いていたので長老タイプを想像していたが、会うと飄々として足取り軽く若々しい」(畔地雄春『街もりおか』1998・7)
 年少の人から見ると「飄々」と見えるのかもしれないが、高齢者の場合は軽々と歩いているように見えても、実はフラフラするような危うげな感覚がつきまとっているものなのだ。
 高齢者のなかには一念発起してジョギングに精を出し、高血圧、糖尿病を克服したという人がいるが、片や河原を散歩していて「この人はどんな気持ちで走っているのか」と首を傾げてしまうドタバタ走法の方を見かけることがある。しかも楽しそうではない。難行苦行で、油っけのない機械を無理して絶え間なく動かしているように見える。
 四十腰、五十肩というが、一説にこれらは筋肉の摩擦からくるものだという面白い見方がある。われわれの身体は六十兆個の細胞から成り、この新陳代謝に当たって新旧細胞の交替がスムースに行われていないために起こる現象だという。
 先日五木寛之氏の『大河の一滴』(幻冬舎)を読んでいて、少しばかり気に懸かる記述に出くわした。
「東北のある有名な整骨の先生がおっしゃっていることですが体が痛いときには楽な姿勢をとりなさい。楽なほうへ体を曲げなさい。猫背になってもかまわない。膝がゆるんでいてもかまわない。体は楽なほうに曲がるのだから、その姿勢をじっと保つほうが体にはいいというのです。これは一理あると思えてくる」
 自然に逆らわないという点ではもっともなことだが、身体を痛めるケースにはいろいろあろうからその対策も一つではなく、多様であってもいいのではないだろうか。
 著者は私よりお若いが、『歎異抄』などの仏教書にも関心を寄せておられていて、人生の生き方についても深く教えられるところが多い。

 兎にも角にも、年に応じて楽しく継続できるような、自分に合った運動法なり健康法を自分で見つけるか、編み出すしかないということになろうか。


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