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シズカとコズエと ⑧


 8 コズエの朗報とシズルの迷走

 コズエに幸運が訪れた。
「ハリウッドからオファーレターが届いたのよ。有名な監督さんからの手紙で、もう事務所中が大変な騒ぎになっちゃって。劇団の人もみんな信じられないってとても驚いてて」
 コズエは来訪するなり興奮冷めやらずの様子でシズルに報告した。
「すごいじゃないか」
「それも、主役をフォローする重要な脇役」
「どんな話? ジャンルは?」
「まだ詳しい情報はいただけてない」
「そうか、ハリウッドか……言葉の問題は?」
「あたしは、帰国子女なのよ」
「そうだったんだね。それじゃあなんの問題もない」
「そのことがとても重要だったみたい。選考の際に優利に働いたみたい」 
「遠い世界の人になるんだな、コズエは」
「なに言ってるのよ。あたしはなにも変わらないよ」

         *

 早いもので、限界集落に籠ってすでに三年になる。
 もうこれからは、かつてのような心躍る感動も感激も得られないように思い始めている。
 いつそここを離れようか。シズカと一緒に、人知れぬ無人島へでも行ってみようか。
 底知れぬ濃紺の海と果てしない水平線が、いまシズルを誘っているように思える。

 シズルに不吉な胸騒ぎと予期せぬ幻覚が突然立ち現れるようになった。
 かつて自分が知っていたはずの世界が丸ごと消えてしまっている……。
 見知らぬ奇妙な空間に、得体の知れない姿に変身した自分が、ただひとり立ち竦んで泣いている……。 

 コズエに訪れた幸運。これから華々しい未来を築いていくだろうコズエ。
 その輝かしい活躍の障害になりたくない。
 別れを告げようとするシゲル。
「どうして? あたしがなにか悪いことした?」
 抗うコズエ。
「なんでそんなことを言い出すの? 本当にそうしたいの?」
「俺がコズエと一緒にいたんじゃ、うまくいかなくなる」
「………………」
「これまでの俺のしてきたことは、すべて逃げることばかりだった。いろんな口実をつけて自分をごまかしてただけなんだ」
「あたしはシズルのいいところも悪いところもすべてがスキなんだよ」
「………………」
「シズルのためならなんだってできる。してあげられる。シズルが拘ってることなんて、あたしたちにとって、ちっぽけなことだよ。そう思わない?」
 ………………………………
「俺が悪い。俺がこんなだから……。殴ってくれ」
「えっ! なんで?」
「いいから殴れ。殴ってくれ」
「なぜ? なぜ殴らなきゃいけないの?」
「いいから、殴れ」
「そんなことしたって、なにも変わらない」
「いいから、殴ってくれ」
「わからず屋!」
「ああ」
「殴られたいのなら殴ってあげるわよ。でもそんなことで解決するの? それでなにもかもがうまくいくと思ってるの?」 
「………………」
「シズルの本当の気持ちは知ってるから。別れたりなんかしない、絶対に。絶対に別れない。別れたくなんかない。いつまでもシズルとシズカと一緒にいたい」
「………………」
「あたしたちしかいないんだよ、この世界に。こうやって生まれたままの恰好で肌を寄せ合ってる。お互いがお互いのすべてをかけ替えのないものに思ってる。
 そうよ、あたしたちの結びつきこそが大切なんだよ。その結びつきが固ければ固いほど、きつければきついほど、どんなことでも乗り越えていける」
 そのときシズカが尻尾を振りながら近づいてきて、鳴きもせずふたりの前でゆっくりと伏せの姿勢をとった。悲しげな眼で見上げている。
 シズカのからだを初めてシャンプーで洗ってやった時のことを思い出した。あの時と同じ眼だ。 
 自分の匂いを失うということは、シズカにとって大変なストレスだったんだよな。
「シズカ、こんな確かなことってないと思わない?」
 シズカが立ち上がって、コズエの顔を舐めた。

 ――⑨に続く

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