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「人生を終える」ではなく「人生を終わらせる」ということについて(長めのつぶやき)

今朝も著名な方の訃報がニュースで流れた。

室井滋の主演ドラマが偶然ついてたテレビでやってたので見かけた時
学校か病院かの屋上で話してるシーンをやっていた時にその方を初めて知った。

主役ではなかったし儚いけど存在感があってきれいで。
きっとこの若い女の子は高いところに行くなと直感した。
それくらいその時のお芝居は少なくとも私を惹きつけた。
そんな初めて見かけた時の昔話をふと思い出した。

自分が生きる理由や生きている理由だなんて
生きているうちに一生分かり得ることなんかないっていうのに
自分ではない人の生を終える理由や原因を毎回知ることになるなんて。

死ぬことで「スベテガオワル」と頭で分かっているはずなのに
理性を超えてしまう選択は当事者にとっての正解になり得てしまうのかと。

このような形で自ら死を選ぶ人の報せに接するたびいつも虚しくなる。

そしていつも「なんのために私は生きているの?ここにいるの?」と
3歳の頃初めてこの疑問という名の暗闇にぶつかって泣き喚いた疑問が
死ぬまで解けないんだということを感覚で悟ってしまい
全然泣き止めなかった・その時の記憶がいつも鮮明に蘇る。

世の中は永遠に不公平だ。

今日も改めてそう感じた1日。

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