チケットノルマは完全な悪なのか?

チケットノルマはいけないと言うけれど

チケットノルマという制度がある
つまり、出演者は設定されているチケットの枚数を売る必要があり
その枚数に満たなかった場合にはそのチケット代分の費用を支払う必要があるということだ

演劇とチケットを売るという行為は切っても切り離せない関係にある
そして、このチケットノルマが悪であるというのはそもそもチケットを売るって俳優の仕事なの?という点もあるように思う

俳優と聞いてどんな仕事だと想像するだろうか?
まぁ、舞台に出て演じる仕事であるわけである
そして、それを仕事としている、つまりプロフェッショナルはその対価としてお金をもらっているわけである
つまり、チケットノルマが悪であるというのは経済活動として俳優を捉えた時の観点としてという意味である
なるほど、確かに経済活動という観点で言えば圧倒的に不利な契約であるように思える

ここで、一つ考えて欲しいのだけど
演劇は経済活動以外ではなり得ないのか?という点である

舞台という商品(正確にはそれを鑑賞するための権利なのだけど)をチケットという形で販売し、そこから収益を得ているというビジネスモデルであると言えるので、そういう意味では経済が関わっているのは確かである
しかし、ビジネスという側面から考えた時に演劇はかなり問題がある

ビジネスにおける商品、この場合はチケットなのだけど
当然ながらこのチケットには料金が設定されている
通常、市場においてはこの料金は需要と供給のバランスによって決まる
つまり、買いたい人がどのぐらいいて、市場にある商品がどのぐらいの数があるのか?ということである

商品が100個ある時にその商品を買いたい人が1000人いたとすれば、この商品は高い値段を付けることができる
それでも買いたい人がいるからだ
逆に商品100個に対して買いたい人が10人しかいない場合、この商品は安く設定される
買いたい人が少ないので、とりあえずマイナスにならない程度の値段に設定するわけである

そして、通常この市場に出る商品の数というのは顧客の購買意欲に合わせて上下する
最新型のゲーム機が出るとその需要は高まるので生産数を増やす
逆に、旧型のモデルは需要が下がるので、生産数を減らしていき、あるタイミングで生産をストップする
そうすることによって経済活動を成り立たせているわけだ
(ちなみに、転売が問題なのはこの一旦市場から離れた商品をもう一度市場に戻すという行為によって正常な価格競争を妨害、経済活動の破壊に繋がることが問題視されている)

では、演劇にはこれができるか?
答えはNOだ

多くの場合、劇場のサイズは自由自在に変更することができない
キャパシティ1500の劇場が今日はお客さん少ないから500ぐらいのサイズの劇場になりますとはできないわけだ
そのため、単純に決まった数を売り切らなければならないということになる

次にストックできるか?という問題がある
これは、つまり売れ残った商品の価値についての話だ
先程の例に戻ってみるとしよう
新型のゲーム機が出たことによって旧型の需要が下がるわけだがこの旧型は価値が下がるのに合わせて値段を下げることができる
そうすると、一部には購入したい人が出てくるので売れる可能性がある
また、そもそも旧型のゲーム機が気に入っている人がいたとしたら、今持っているゲームソフトを長く遊ぶために壊れた時用に購入するかも知れない
つまり、新しい商品が登場したとしても価値を完全に失わず
むしろ、新しく価値を生み出す可能性があるか?というのがストックできるか?である

では、演劇はどうだろう?
言うまでもなく価値はない
昨日の舞台のチケットを買う人がいるだろうか?
何らかの方法で過去に飛ぶことができる人なら買うかも知れないが、非現実的である
つまり、演劇は時空を捻じ曲げる方法を生み出さない限り、ストックできないということになる

市場に出る数の調整もできなければ、ストックもできない
こうなった場合に考えられるのは原価を下げるという方法だ
一個あたりの値段を高く設定するか、もしくはその商品を作るための原価を下げれば需要が供給よりも少なかったとしても結果的に回収、利益を出すことができる
原価を10%以下ぐらいまで抑えられれば可能だろう
これならできそうだ!と思うかも知れないがこの原価は

劇場代、スタッフ・出演者の給与、衣装、小道具、大道具の製作費用
宣伝費に電気代、運送費なんかが含まれる

よく、小劇場の客席単価(使用料を席数で割ったもの)が300円程度なんだからチケット代は安くできるだろう!という言説があるが上記のように考えると劇場の使用料は収益の1%以下に抑えたいので30000円ぐらい取らないと成り立たないことになる
非現実的だ

こういったように、演劇を経済という観点だけから見て成り立たせるのはかなり難しい
しかし、こういった文化活動がもたらす効果が実はかなり高いということが多くの国はわかっているので助成金が出たり、あるいは企業なんかが出資してくれたりしているわけである
文化・芸術が人間の育成にどのぐらい影響を与え、それが個人の生産性に影響を与えるのか、つまりは国全体の生産性に影響を与えるのか?に関しては是非とも調べてみてほしい

さて、話が戻るのだけど
上のことを踏まえて考えた時に「チケットノルマ=悪」という単純な言葉が少し違って見えてくるのではないだろうか?
つまり、「金がないなら舞台なんてやるな」である

要するに、新規参入の拒絶である
チケットノルマについて言及する以上は当然ながら現在の市場の仕組みと経済の仕組みをわかった上で言っていると思うのでその前提で話を進めるが

この考えでいくのであれば、現在日本で上演されているほとんどの舞台は上演すべきではないことになる
というか、そもそも経済的に成り立たないのだから、存在そのものが悪いということになる
まぁ、資本主義の考えに基づけばそうだろう
しかし、そこにだけ注目していては、演劇の経済的な効果以外の側面を十分に享受できないことになる

教育としての側面、心理的なヒーリング効果、ストレス解消、文化の成熟、政治批判である

もちろん、個人があるいは事業、団体が自分たちの目標としてチケットノルマを廃止しようと努力することは重要である
マーケティングとしての効果も期待できるだろう

しかし、そもそも経済活動として成立しないシステムがあり、資金がない人が誰も参入できないとしたなら
一体、誰が文化としての成長を促すのだろうか?

小劇場の演劇は基本的にほとんど赤字になる
満席になってやっとトントンぐらいのことも多いだろう
うちの団体はチケットバック(チケットを売るとその収益の一部を売った人の報酬にするというインセンティブ)によってのみ行っているのだけどその比率は25〜40%
これは80%〜90%が売れた時の純利益の100%である
つまり、主催者は91%以上チケットが売れないと利益が出ない仕組みになってる

これは、各出演者を個人化する狙いがあって行っている
つまり、出演者はチケットを売ってお金を払わない、報酬を得るという選択もできれば
チケットを売らない代わりにお金を払って出演機会を得るという選択ができるようになっている
もちろん、後者が多くなれば団体主催者が損害を被るが、まぁ出演者にとってはどうでも良いことである

これと反対のシステムを考えるとすると、全員でチケットを売るようにする
その結果として利益が出たら全員で分配するという考え方がある
しかし、このシステムは人間の脳の仕組みに対して良くないデザインであると思う
チケットの売れ枚数にばらつきが出た場合、フリーライダー(自分のリソースを割かずに利益だけを貪る人)が登場する可能性がある
本人にその意識がなかったとしても、人間の脳はこのフリーライダーを排除するための仕組みが組み込まれている(これが過激化するといわゆるいじめになる)
そして、これは脳の仕組みであり、自分で自覚することも治すことも基本的にはできない
つまり、出演者内でのいじめを誘発する可能性が非常に高いと言える

また、これは没個性化の仕組み(自分を個人ではなく、なんらかの団体・組織の一部であるという風に捉えるようになること)になっている
この没個性化が進むと、自分の属していない団体・組織の者に対して反社会的な行動を取るようになるという仕組みが人間にはある
つまり、チケットを売っている側とフリーライダー側に没個性化することによって自分と違うフリーライダーに対していじめという反社会的な行動を取る可能性が高いのである
(ちなみに、これを国単位で行ったのがあのヒトラーである)

俳優という職業は基本的に雇用とは違う
一人一人が個人事業主であり、彼らの交わす出演契約は請負である
その一個人として経済的に成立しない舞台に立たないという選択をするのは自由だ
だが、そもそも経済活動を目的としてはいない団体に対して単純に悪であるという考え方をするのは危険であるように思う

つまり、経済的に成立している舞台人という概念に没個性化し、その結果として社会の仕組みや経済・市場の原理を無視して意味のない言葉を使うだけになっていて根本的な解決にはならないどころか、文化という文脈で見た時に害にしかなっていない可能性があることを自覚できなからである(もっとも、それがマーケティング戦略なのかも知れないが)

もちろん、僕自身もこのチケットノルマという仕組みをなんとか無くせないだろうか?とは考えているし、そうなることが理想だ
何よりも出演者、スタッフが経済的に恵まれ、観客が安価で演劇を観れる社会が理想であるということもよくわかっている

しかし、だからこそ今の日本が、法律が、システムがそれを推奨していないという点について我々は考えていかないといけないのではないだろうか?

2020年、1月の時点では日本の総理大臣は「今だけ金だけ自分だけ」であるわけだが
はたして君たちもそうなってはいないだろうか?
実際に今、起きていることから目を背けていては問題の解決には繋がらない

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