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広島水辺探訪(その一) 京橋川

広島に来ている。街中を流れる川や大通りの先に、抜けがあって山を望むことができるのが素晴らしい。南の山塊は、瀬戸内海に浮かぶ似島の安芸小富士。ちょうどよい距離感で山に囲われた感じの街だ。山水都市という言葉が想起される。

京橋川の水辺

京橋川の岸辺を歩く。八月末の太陽が照りつけるが、大きな緑陰樹が木陰をつくっていて救われる。緑地になっている堤防の法面に接してマンションが連なっており、バルコニー部が緑と水面に向いており、気持ち良さそう。この立地は、マンションの価値にプレミアムを与えているのではないだろうか。

広島の水辺には水面に降りるための雁木と呼ばれる階段が無数に護岸に取り付けられている。
潮位の変動が1日に4メートル程度と激しく、それに対応して、船を発着する施設として造られたのが歴史的な経緯。
この雁木がいろいろな種類があり、実に魅力的な水際空間となっている。

ちょっと降りてみたくなる階段でしょ。
降りてみると、

干潟が広がっていて、カニがいる。感潮域なので海の魚がゆったりと泳いでいるのをすぐ近くに見ることができる。ボラの稚魚の群れもいる。
自然界へのアクセスゲートみたいな感じだし、花崗岩の風合もいい。
ちょうど二人が座るのに適したサイズだし、陸上からは視線を遮られるので、雁木を覗いてみるとカップルが座っているなんてこともよくある。

オープンカフェ区域

京橋川のオープンカフェ空間には、素晴らしい蕎麦屋・香り屋がオープンしていた。建築がとてもモダンで河川堤防の上に絶妙なレイアウトを見せる。犬走りとタタキが自然に堤防天端の草地に擦り付けられているところがいい。

堤防と神社建築

京橋川の堤防上には、橋本町厳島神社がある。江戸時代に勧請されて、この岸辺は明神の浜と呼ばれていたらしい。宮島管絃祭と併せて神事が行われ、管絃船のお供をする御供船が繰り出されていたとのこと。

神社はここ以外にも猿猴川と京橋川の分岐点に秀玉稲荷神社が堤防の上に存在する。毛利元就が分岐点に台奥の鼻という突堤水制を築き、堤防を建設したことにちなんで、秀玉稲荷神社は建立されている。そこは治水の要所だ。神社建築は、堤防を守るシンボルと言える。

京橋川のオープンカフェは2005年に、河川空間利用として日本で初めて広島市が制度化した。これはもちろん水の都協議会など、水辺利用を推進させてきた人たちの努力によるものであることは間違いがない。

だが、京橋川の堤防の上に神社建築がずっとあり続けてきたという風景の履歴は、もしかすると建築と堤防が共存する原型として、後押しする何かになっていたのかもしれないと、ふと思った。
戦前には料理屋や飲み屋が水辺にひしめいていて、公共空間も無かったという。民を排してきた公共空間が一定のルールの下で、民をもう一度取り込んでいこうという取り組みは、これからもより一層、広島の水辺で展開されていくことと思う。


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