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松田宣浩選手との思い出Vol.2

皆さん、こんばんは。

前回は、完全にただの「熱男リレー」だけのnoteになってしまいましたが、今日は、書きます。松田宣浩選手の思い出を。

その前に「熱男リレー」でInstagramで「なんか見たことある顔だなぁ」と思って、クリックしたらあの福クンでした(笑)

広島東洋カープの小園海斗選手から熱男リレーが回ってきました!
@kozocarp51
おうち時間楽しみましょう!
熱男〜!!! #熱男リレー
#ひとつになって乗り越えよう
#おうち時間
次はあなたの番です!
@18_maeken
@inamura_ami
@tokusan_no.0_appare @no.8_right_fielder
@nicchiro5.1
@watanabenaomi703

メンションしている人達に前田健太選手とあの渡辺直美氏がいるというw

「熱男」したらすごいなぁ。前田健太選手からMLBの外国人選手まで伝播したら本当に面白いw

ということで、本題の松田宣浩選手との思い出です。

松田宣浩選手とそもそも私の前に弊社としての出会いは、当時のスポーツマーケティング部の担当者が選手名鑑を見て「ドラフト1位(希望入団枠)だし、顔もカッコいい」とのことでアプローチに行ったそうですw

当時のスポーツマーケティングの担当の方々に野球出身者がいなかったために毎年「選手名鑑を見てドラフト上位からアプローチ」をしていくことをしていたそうです。すごいですよねw

今は、ちゃんとアマチュアからの成績を独自に算出したりして確立の高い戦略をとっております。

松田宣浩選手がドラフトされたのが2005年。私が株式会社ドームに入社したのが2005年。私は、2005年の12月に休職し、翌年の2006年から独立リーグに行ったので松田宣浩選手に挨拶をしたのが実は、2007年のプロ交流戦でした。

下記は、独立リーグ時代の回想録です。まだ完結していませんw

2006年は、特に接点はなく、休職中でもドーム動きは知っていたので松田宣浩選手にアプローチをして、リストバンドなどから使ってもらっていることは把握しておりました。

そして、松田宣浩選手が2年目の2007年には、確かバッティンググローブとリストバンドとアパレルを使ってもらえるまでになっておりました。

4月か5月くらいにプロ交流戦なるものがあり、アイランドリーグは、高知と愛媛、香川と徳島、の2チームの混合チームでソフトバンクと交流戦を行いました。

その時の試合後に松田宣浩選手に挨拶に伺わせていただき「松坂恭平と申します。実は、独立リーグにくるまでは、株式会社ドーム、アンダーアーマーで働いておりまして、今は休職中になります。いつもアンダーアーマーをご使用頂きましてありがとうございます🙇」と伝えたのを今でも覚えております。

昨年末に松田宣浩選手と食事をする機会があり昔話をしていると松田宣浩選手から「恭平さんとは、恭平さんが独立リーグ時代に会ったのが初めてでしたよね。あのオレンジと黒のチームとやった時の」ということで松田宣浩選手が覚えてくれていて、しかもかなり鮮明に覚えてくれていることにビックリしました。

松田宣浩選手との思い出も時系列に戻します。

2007年に初対面をし、私が2007年12月に休職から復職をし、直ぐに松田宣浩選手の担当者になりました。

当時松田宣浩選手は、ミズノさんとアンダーアーマーを併用している形ではありました。

バッティンググローブ、リストバンド、アパレルは、アンダーアーマー。その他のアイテムは、ミズノさん。

そんな状況でした。

私自身は、松田宣浩選手のことを亜細亜大学の1年生から知っていたので「この選手は必ずすごくなる」と確信しながら担当させて頂いておりました。

これも更に昔話になりますが松田宣浩選手が亜細亜大学の1年生の頃に法政大学のグラウンドでオープン戦があり、1年生ながらスタメンで出場。かなり有名だったので我々は、注目してみておりました。確か、1打席目に弾丸ライナーでレフトフェンス直撃の2塁打を放ち、みんなで驚いたのを今でも覚えております。

アンダーアーマーとしては、当時は、持っているアイテムを全て使ってもらっていたので継続して使ってもらうことやDNSというサプリメントを株式会社ドームは、自社ブランドとしてもっていたので、それらで松田宣浩選手のパフォーマンスの最大化のお手伝いが仕事でした。今のようにSNSが発達していたわけではないので選手のパフォーマンスがそのまま購買に繋がるような時代だったと思います。

そんな中2009年の暮れに我々は、スパイクに参入を表明しました。

当時のCMです。

実際には奴は直ぐに来なくて、メチャクチャ納期遅れをしたというw
今では笑い話ですが当時の営業は相当大変だったと思います。ブランド力も凄くてイケイケの時代だったので展示会やその後の受注も好調、好調。ただモノが来ない。奴は本当に来ませんでした。

それから数カ月後にようやく奴は来まして、奴が来たときには、当時ソフトバンクに在籍していた多村仁志さんがこのスパイクを着用してくれていました。

これです。なんと革底!ローテーショナルトラクションという母指球を軸にした回転運動をサポートするのが特徴。

この時は、かなり大変でした。なんせ革底だったので。多村仁志さんも道具にはかなりの拘りをもっている選手。

でも、この年多村仁志さんは、ソフトバンクでは、キャリアハイでした。

多村仁志さんに履いてもらい、次の我々のターゲットは、松田宣浩選手。松田宣浩選手に履いてもらわないことには、始まらない。ここからアンダーアーマーベースボールの全てをかけて松田宣浩選手にスパイクを履いてもらうことに注力していきました。(セリーグは、阿部慎之助選手です)

松田宣浩選手は、当時から既に革底は、履いておらず、履いているのは樹脂底の固定歯。

でも我々の持っているのは革底。

直ぐに樹脂底固定歯の開発に入りました。ここでは、既に革底を着用頂いている多村仁志さんの意見も聞いて、兎に角現場に開発担当者と足を運びフィールドテストを何度も何度も繰り返しました。(サンプルを作成するときに一般的には、27.0cmから作りこんでいきます。多村仁志さんは、27.0cmであり、サンプルサイズズバリだったので作りやすさもありました)

そこで2011年の5月頃には、プロ野球選手が履けるレベルにまでなっており、そこからグレーディング(サイズを拡げていく作業)し、松田宣浩選手も履けるサイズに。そこからは、猛アプローチです。何故ならばプロへの提供と同時に一般販売用も進めていたからです。

翌年の2012年の春季キャンプ、まだ松田宣浩選手は、決めかねており、更には、オープン戦の成績が思わしくなく不調の矛先がスパイクに向かっておりました。

開発担当者と「今年は、厳しいかもなぁ」と諦めかけていましたがなんとオープン戦の最終戦の広島戦で2打席連発の本塁打を放ち、当確に。

無事に開幕でも着用頂き、安堵したのを覚えております。

これが当時の開幕戦の写真です。

試合前に写真。開幕戦の試合前とは思えない松田宣浩選手w
そして試合では、開幕弾。

試合前の話で言うと、ソフトバンクは、昔からオンオフが凄いです。やる時はやる。って感じです。ただ小久保さんだけは、ちょっと違った雰囲気をお持ちでした。試合前のロッカーでも読書をするような方でした。因みに数年前にたまたま飛行機で近くの席になったことがありましたがその時もずっと読書をされていました。野球選手で試合前に読書をしている姿は、小久保さんと鳥谷さんしか、私は見たことがありません。

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なんとか着用頂いたスパイク。そして、インタビュー動画。これを全国の販売店の店頭で流したりと販促に使います。

ここまでが2012年の松田宣浩選手です。

先ほどの開幕戦の写真でグラブを手に持っておりましたがグラブについては、まだ使用することは、確定ではなかった気がするのですが、実際に持ってますね(笑)ちょっと過去の記憶を遡ってみます。

本日のVol.2は、ここまでになります。

Vol.3で完結。という感じですのでVol.3もお楽しみに。

最後に。(大切です、毎回言います)
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読了ありがとうございました。

松坂恭平

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