木下長嘯子「石枕記」原文

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底本:「校注挙白集」藤井乙男著、文献書院
1930(昭和5)年

山の南はれたる所に、はなれたてるひとりの庵あり。鳥羽田の面の春の早苗、秋のほなみもかぞふばかりさやかに見わたされて、いとをかしければ、やがてゑぼうしさせて。鳥羽觀《テイウクワン》といはんとおもふ。よもかしらはふらじなどいひたはれて、目もはるに四方をみやれば、西に大江山、屏風を引ひろげてたてたらんやうなるに、かたぶく月の入りかゝれるほど、さながら是に繪がけるなりけり。南によこをれる峯は、八幡の宮いどもかしこし。なほそれよりをちのつゞきは、見つゝをゝらむとながめし、生駒《イコマ》の嶽《ダケ》ぞかし。ともすれば雲かすみにきえ行く、今もいさめつべし。かくて常にあそぶ所とす。おける具はあまたあるべけれど、先雲孫ウンソンは石の枕なるべし。安祥《アンシヤウ》寺と云所よりもとめいでつ。色はふかみどりにて、えもいはぬ百のあやしき見どころおほかり。舟におきて水をたゝへ、底に五色の沙をしきたれば、立田川の秋のもみぢもよそならず。伊勢物語に、山科の禪師のみこ、嶋このみたまふきみなればとて、なにがしの大將たてまつられし、紀國の千里濱のためしもおもひいでらる。在原なりけるをのこ、あかねども岩にぞかふるとよみし時のことにや。されば、なれもおなじすぢになりいでたれば、かれがとほつおやにぞあらましじ、さる名はつけたりける。すこしおのがたのしみをのべて
  夏きては夜床にならすいはまくら秋にぞむすぶゆめのひとすぢ
此ごろ長雨ふりつゞきて、ものむづかしげなるゆふつかた、れいのかしこにのぼりてみれば、たゞ此麓にそぼちぬれて、あやしくむくめきくるもの、なにならむど目をつとつけたれば、このわたりちかき蓑虫《ミノムシ》なりけり。かゝるつれ/″\なぐさめむとなるべし。やう/\すべり入て、むかしいまのをかしきふし/″\うちかたらひ、おもふことつゝみあへぬついでに、源氏物語とて世にもて興ずる、五十四帖の草紙とやらん、こゝろみになにごとぞとくりひろげてみしかば、みだれたるいとすぢのロなきやうにて、更によみとかれ侍らぬは、いかにととふ。さかし、たゞなれよ、後々見もてゆかば、さながらまどひははてじ、たとへていはゞ、六月ばかりいどあつき日影をしのぎゝたらむ人の、うちに入てはやみのうつゝのさだかならで、ものゝ色ふしあやめもわかれねど、をる事ひさしくなれば、じねんにかの器、此調度と、こまかに見わかるゝがごとし、しちをいるものゝまとにかけて、二とせのぞむ事あれば、車の輪ばかりみゆるに矢をはなてば、やがて其なかばをつらぬくとかやいへる、かれこれしかなり、すべて此物語、むかし今此國のたからとかいひのゝしる、更にこそうけられはベらね、しのびてうち/\みんはつみゆるしつべし。はて/″\は、三五經のうへにおきて、たふとみすし、なべて人にしめさんはかたはらいたく、こゝろをさなかるべし、かゝるたぐひ、さのみもてあそび、よみきかせずともありなんかし、そも光源氏の、須磨の浦にしづみたまひしころほひ、頭中將身をすてゝ、ふりはへとぶらひまうでたまひけんこゝろざし、いみじうあはれふかく、そこひなき契にもありけるかな、たかきもくだれるも、なべて友どちはかうぞあらまほしく、なみだもこぼるばかりおもひたまふる、小竹と、天野のはふりがあはひは、あがりての代の事ならし、ちかくはたれかおはする、鹿なほむれゆく、雁なほつらはなれず、此道月に日に跡かたなくおとろへはてぬるさま、いかゞいたましからざらん、さるすぢのまじらひは、千々の金もかたみにをしむやうやはある、花もみぢのなさけはさらにもいはず、夜中曉どなく門たゝきあけて、かゝる月みぬ里もありけり、いぎたなしやなど、むごにいりくる音すれば、あるじいまぞおきさわぐ、そゝけたる鬢《ビン》つかねあへず、帶しどけなく、かうし、手づからおしやり、妻戸はなて、灯そなたにといふもつき/″\し、もろともにながめあかして、なほつれなく柱によりゐつゝうちねぶる、日たかうなれば、いひよそひいでゝ、鮑一すぢ、たかうなのあつもの、ことそぎてありのまゝなり、まへにとりすゑたれば、こゝろよくのみくひて、いでぬるもたれかしらん。もしよき酒あり、さかなもえたるをり、獨のまむもさう/″\しく、したまたれずしもあらねど、空は雪こぼすがごとふりて、庭もふみ分がたければ、おもひがけぬにふとたづねとぶらひたる、又みすべきことありて、それかれとよびにやりたらんに、いつもさはらずとくきあひたるうれしからめ、そこにはさやおぼえたまへらぬ、所々ことばくはへたまへ、さらばいどほいなし、春の山に鶯のなかぬ朝、秋の池に月のうかばぬ夕にてこそはベらめなど、せめきこゆれど、なにの翁の、しゞまとかやつくりて、やみぬるもかひなし。ねぶたくなれば、たゞかの雲孫《ウンソン》をひきよするまゝに。

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