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菌糸瓶に足りないのは発酵 - 3

 前回に解説いたしましたように、発酵に関してクワガタ・ブリード界隈で語られる文脈、それは「好気発酵」なんですよね。これは、発酵マット製造に基づいた認識によるものなのです。一方、嫌気発酵についてはあまり云々されることは少ないと思います。一部、言われるのも、発酵マットの切り返し以降の処理操作に嫌気発酵を用いるなどの説明でしょうか。
 要するに、わたしがここで強調して言いたいのは、一般的な市販クワガタ用発酵マット製造に関するテクニックは、事、オオクワガタと共生酵母による発酵との関連性を探るにあたり、殆ど無意味であるということです。

通性嫌気性とは?

 ポイントはですね、「通性嫌気性」です。この語句、見覚えありませんか? 前回の投稿記事(2)の発酵菌種の特徴のところで出てきていますので、是非、復習していただきたいのですが、クワガタ・ブリーダー界隈では聞き慣れない(見慣れない)言葉だと思います。しかし、これがオオクワガタ幼虫の自然界での生育環境に於いては非常に重要な意味合いを持っているんです。
 この「通性嫌気性」とはですね、その微生物の生理特性として好気性であるが、無酸素環境下では嫌気性に切り替えられる種のことを言います。タイトルのテーマに通底関連する菌類で言えば、乳酸菌と酵母菌がそれにあたります。納豆菌は好気性のため、酸素の無い環境下では活性がありません。
 そこで、ワイルド・オオクワガタ幼虫が生育する天然白色腐朽材中の環境について、以前の別タイトル投稿で言及させていただいているわたしの解説ですが、

——"気密ではないものの、ほぼ密閉された天然材中は大気の導通が極僅かに制限された環境であることから、生物叢からするとむしろ嫌気性環境にほど近いわけです。"——

木肌色と褐色の食痕の真相

 これは、天然の白色腐朽材の中の自然環境を言っているのですが、共生酵母の活性環境として正に合致するわけです。また、酵母菌は活性温度帯が比較的低く、15 - 28℃で、40℃以上では死滅します。これにも天然腐朽材の中の環境はマッチします。更に、pHですが、pH4(弱酸性)くらいからpH7(中性)くらいまでの間の域であり、これもマッチします。つまり、すべてに於いて高親和性を示しているということです。これが何を意味しているのか、もうお解りだと思います。
 白色腐朽菌は、木材の炭素を酵素分解してグルコースを産出します。その際、腐朽菌はそのグルコースを菌体外に水に溶けたかたちで溜め込む性質があります。これを酵母菌が分解して、好気環境の場合は酸素呼吸によってピルビン酸化して脱炭素化を行い、嫌気環境の場合はアルコール発酵をします。
 ワイルド・オオクワガタ幼虫が生育する天然白色腐朽材の内部では腐朽菌による酵素分解と共生酵母菌による発酵が同時並行的に行われており、幼虫はそれらの生成物を餌とした栄養補給によって有為成長していると考えられるのです。また、幼虫の糞と酵母菌の生成物もまた、腐朽菌に窒素源として再利用されていると考えられます。つまり、これら三者の共利共生循環が天然腐朽材中で見事に成立しているわけです。

発酵甘酒臭の正体と食痕の木肌色の謎解き

 ずっと白色腐朽菌の匂いだとわたしが思っていた甘い香りの元は、腐朽菌の菌体ではなく、実は、腐朽菌が分解したグルコース(単糖)の匂いだったのです。そして、アルコール発酵臭は、酵母菌が嫌気発酵時に発する正にアルコール臭そのものだったわけです。
グルコース → ピルビン酸 → (脱炭素) → アセトアルデヒド → エタノール

天然腐朽材中のワイルド・オオクワガタ幼虫の坑道に固く詰め込まれた糞(食痕)
——これを幼虫が食べ返したようには観察できない

 そして、ワイルド幼虫の食痕が美しい木肌色なのは、腐朽菌の酵素分解によって脱リグニン化(白色化)されていること、更に酵母菌の発酵による分解がされていること、そしてまた、更に白色腐朽菌による再発菌も発生する場合があること、これらの複合作用によって食痕があのような美しい木肌色に成って維持されているのだと考えられます。

菌糸瓶飼育で蛹化した♂オオクワガタ
褐色化した食痕、及び、蛹室内部——薄っすらと硫化水素臭を確認

 他方、市販菌糸瓶飼育下で幼虫の食痕が褐色化してしまうのは、添加剤による富栄養培地のために腐朽菌が窒素源の分解を優先させてしまう結果、オガの脱リグニン化が不完全であること、そこへバクテリアなどの雑菌類が大気中からコンタミし、増殖してしまうことによる腐敗分解が原因と考えられます。その確認は、匂いを嗅いでご自身で分析されることをお勧めします。自分の鼻を使って臭気を調べることは十分に分析に値する行動です。薄っすらとアンモニア臭や硫化水素臭がすれば、それを確認できるでしょう。言うまでもなく、それは腐敗の初期段階を示しています。

「バクテリア = 有益」というインセクト業界神話

 クワガタ・ブリーダーを含むインセクト業界隈では「バクテリアによる発酵」などという言葉が常套句として非常によく使われていますが、それを正しく理解されている方は少ないと思われます。バクテリアとは真正細菌類の総称でしかありません。なので、菌類に関する記述や説明を非常に曖昧な表現にしたいときには大変便利な用語なのです。炭素を分解したり、タンパク質を合成したり、空気中窒素固定する細菌も居ますが、菌糸瓶に使用される白色腐朽菌は担子菌類であって、バクテリアではありません。発酵を行う細菌も居ますが、酵母菌は子のう菌類に分類され、バクテリアではありません。
 今回のテーマでわたしが力説しているのは、正にこの問題でもあり、特にオオクワガタの菌糸瓶飼育に関しては、このバクテリア群(不明細菌類)こそは元凶なのであって、百害あって一利なしな存在と考えているのです。
 是非一度、簡単な実験をしてご自分で観察してもらいたいのですが、その一例として、正常な白色腐朽菌糸培地(白色腐朽菌が活性状態)と、菌糸瓶で育てた幼虫の褐色化した旧食痕(大気中からコンタミした不明バクテリアが活性状態)とを1:1で混ぜ込んでいただき、その結果を観察していただきたいのです。さて、どちらが勝つか、です。この結果を自分の目で確かめられれば、菌糸瓶交換時の旧食痕導入の浅はかさが理解できることと思います。

菌糸瓶飼育による3令幼虫の褐色の食痕——天然腐朽材中の食痕の色との違いは何を示すのか?

 一部の専門家やプロの業者さんが主張されていますように、バクテリア群の中にもオオクワガタに対して有益な物質を生合成する細菌(善玉菌)はもしかしたら居るのかもしれません。がしかし、わたしは専門家ではないので設備もありませんし、とてもじゃないですが、細菌類を同定・分類したりすることはできませんから(危険ですらあります)、どの細菌がオオクワガタにとっての悪玉菌で善玉菌なのかまでは特定することはできません。がしかし、上述のように、培地内の食痕などの環境変化観察、色と臭気の分析からだけでも、少なくとも腐敗菌の増殖の有無くらいの大凡の判断は十分可能だということです。考えてみてください、それは、みなさんが夏場の食品管理で、安全かどうかを判断されるのと要領はまったく同じなのです。

天然腐朽材中のワイルド・オオクワガタ3令幼虫——やはり食痕は美しい木肌色

 これはオオクワガタの飼育に限ったことではないのですが、要は、その個体種が、どのような食性を適正としているかということなんですよね。つまり、木材という強固な高分子体の炭素分解の過程を川の流れとして比喩すれば、どの位置が好適地なのか、ということなんです。オオクワガタはクワガタ種の中でも最上位(川上)を好適地としている種だということなのです。大型血統と称されるオオクワガタ購入してブリードを楽しまれている愛好家たちは、ここを正しく理解されていない方が大半なのだと思われます。それは、実際に生息している現場をご覧になったことがないからだとわたしは思います。大きく育てることに心血注ぐことを悪いとはわたしは思いませんが、他の生態観察などにも興味を持てば更なる大型化への道も拓けるやもしれません。
 クワガタは採るものではなく、買うものだとする人も今や多いらしいですし、国産オオクワガタは絶滅危惧種なので全国的に採集禁止だと大きな勘違いしている人も居るらしいです。わたしはそのような誤った認識を正したい思いでこのように記事を執筆しております。

共生酵母菌の利用による可能性

 どうでしょうか? わたし個人としては、これで長年抱えていたワイルド・オオクワガタ幼虫の生育環境についての謎の幾つかが解けたのですが。
 しかし……、そう、しかし、です。これですべての謎が解けたわけではありません。未だ理解を深める必要のある問題があります。けれども、その足掛かりとなる幾つかの答えがこれで得られたとわたしは思っています。今回のテーマについてはこれで一先ず締めたいと思います。

 そして、今回、ワイルド・オオクワガタ由来の共生酵母菌単離培養に成功したことで、新たな実験検証の可能性が拓けました。
 この酵母菌を使用した実験によって、幾つもの未解明な点についての検証が可能となります。この共生酵母による有為性が、ロストした幼虫個体との比較検証によってどのようなかたちとして表れるのか、それとも、実質的な有為さは有るのか・無いのか、ここが最も興味深く、一番の根本的問題になってきます。果たして成虫の大型化に直接的に寄与するファクターの一つなのかどうか。
 また、幼虫のみならず、♀成虫に餌添加投与するかたちで産卵から子孫に共生酵母が実際に垂直移譲が成される筈ですし、この検証も実用性が高いものとなる筈です。いや、ひょっとすると、成虫の餌としても栄養素としての効果が期待できるのかも知れません(有り得る感じがしてきました……)。
 オオクワガタ幼虫の発育には、——幼虫と白色腐朽菌、共生酵母が本来、1 Setでなければならない——というのが、今回のわたしの自説と主張なわけでして、当然ながら、オリジナル菌糸瓶開発にも勿論使用試験するつもりですが、この実用化には物理的にまだ難しい問題点が幾つかあると考えており、そのハードルは決して低くはないとも思っています。これについては、オリジナル菌糸瓶テーマで随時記事にしてゆくつもりでおります。

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