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2019シーズン京都サンガF.C.まとめ

 J2を8位という成績で2019シーズンを終えた京都サンガ。前年順位(19位)や人件費の規模(11位前後※後述)から考えれば、立派な成績だったと思う。シーズン終了翌日には監督退任の報道があり、11月のうちに中田一三監督の契約満了が発表された。…1年契約だったのね(京都は通常2年契約にする)。

■参考例:大分

 今、サッカークラブにおける強化部長またはGMという職のことを考えている。監督を“料理長”に置き換えるなら、強化部長・GMは店舗設計から食材調達まで手がけるコーディネーターだろうか。お店で出すメニューの方向性を決め、予算内で食材を集めてくる。もちろん料理長そのものを評価し、必要があれば代えたりする。その重要性を改めて教えてくれたのが、大分トリニータだ。“シェフ”の片野坂監督を支える強化部長はベルマーレなどで活躍した西山哲平氏。J1では断トツの低予算ながら、片野坂シェフの作りたい料理に合いそうな食材をなるべく安く仕入れ、J1昇格1年目で多くの客をうならせて一桁順位を確保した。仕入れルートはオナイウ阿道や小塚和季などJ2で活躍した選手が中心で、シーズン途中でもガンバで出番に恵まれていなかった田中達也(昨年J2熊本)を迎え入れた手腕も鮮やかだった。DAZNマネー到来以降、J1はお金を出せば高級食材が手に入る傾向が強まるが、大分が優先しているのはとにかくシェフが必要としているイキのいい食材。ブランド物ではない。

■京都の場合

 強化部長(あるいはGM)という総合コーディネーター次第で、大分のように「低予算でも躍進」できることもあるし、「逆に高予算ながら低迷」に陥ってしまうこともあるのがサッカーの面白さであり、恐ろしさ。今季の京都はそんな重要なポジションを空席のままにしていた。その経緯を、伊藤社長は昨年末の「2018シーズン総括」説明会で以下のように語っている(クラブが議事録を発表してないので個人的な走り書きのメモより)。

「(中田一三)監督は私が決めました。5時間話して彼ならば、と」

「監督は前強化部(=前任の小島卓氏)が連れてきた」

「(新しい)強化部長候補も面談したがいなかった。目がイキイキしておらず、お断りした」

「スポーツダイレクターの野見山(秀樹)が強化部長代理という認識。このままでいいとは思っていない」

「ただし監督が先にいて、後から強化部長を持ってくるととんでもないチームになる可能性がある」

「今のところは経営委員会でこの監督を活かすためにやっていく」

 シーズンが始まってもこれらの発言は覚えていたし、気にはなっていたが、予想に反して中田一三“料理長”率いる新レストランは好調な出足をみせ、たちまち評判の店となった。結果オーライで有耶無耶にされた部分もあったのだろう。監督とチーム作りを正しく評価する人物、戦力調達を行える人物は最後まで不在のままだった。

■嬉しい誤算

 そもそもクビにした前強化部長が連れてきた人物を監督に据えるという初手からボタンの掛け違えが起こっていた気がするのだが、嬉しい誤算として中田一三という人物そのものはサッカーチームの構築者として得がたい能力を持っていた。彼に与えられた戦力は、おおむね19位だった前年のままで、おそらく監督からのリクエストは反映されていない。食材的にはあり合わせもいいところ。それが個人能力任せで大味なサッカーをしていた去年から一変、決まり事が多々ある戦術的なチームを10試合そこらで仕上げてしまった。複数のコーチングスタッフに権限を与えながらマネジメントしていた点も日本人監督ではあまりお目にかからない手法だった。伊勢で小さな食堂を経営してたクセのあるおっさんかと思ったら、お箸でいただける絶品フレンチが出てきた…みたいな。

■今季ベストゲーム

 中田一三監督のチーム作りは、10節あたりまでクロスを極力使わないなど制約をかけながらチームとしての約束事を定着させ、11節徳島戦を転機としてベースとなる戦術の上に臨機応変なアイデアや個人能力を塗り足していったと考えている。ピークを迎えたのは、第23節大宮戦だった。

特に仙頭啓矢の先制点は、今季の京都のストロングポイントが凝縮したゴールであり、チームの年間ベストゴールに認定したい。個人的に。スーパーなストライカーがいなくとも、偶然や奇跡に頼らなくとも、定石となるビルドアップから、ポジション取り+パス回し+動き出しだけで強豪チームを崩しきれる。再現性も高い…はずだった。だが、誰が出てもこれが出来るほど選手層は厚くなかった。

■北陸の転機

 ターニングポイントになったのは、その10日後の第25節金沢戦だったと考えている。この節は水曜開催でもあり、中田監督はメンバーを複数入れ替えて臨んだ。限られた選手層の中で組合せのバリエーションを増やそう、可能性を試そうという狙いもあったのだと思う。対する柳下監督は見事な京都対策を見せた。ボランチ+サイドの選手で京都がビルドアップに使う進路を封鎖し、大石竜平や加藤大樹が圧倒的な運動量で逆手を取るようにサイドを蹂躙。内容的には京都の完敗だったものの、PKストップやタイムアップ直前の同点弾もあり、「下降の兆し」はこの時点ではさほどクローズアップされることはなかった。

■早すぎた大作戦

 中田監督が何かを間違えたとすれば、その2節後、27節栃木戦ではなかろうか。下位に沈む相手に0-2のリードを許すという展開。それまで禁じ手にしてきたかに思えた「FW闘莉王」をここで発動する。結果論としてこの起用も功を奏して2-2に追い付いたが、安易にゴール前へのルートを作る「闘莉王大作戦」をちょくちょく使うようになることで、それまで丁寧に組み上げてきたものが少しずつ大味に振れていった。ほんのわずかなさじ加減だったと思うが、丁寧にとってきた出汁の風味が立たなくなった気がするのだ。もし「闘莉王大作戦」を奥の手として終盤戦まで取っておけたなら…と思う。最終兵器を途中でぶっ放したことで、チームはその後、それ以上のオプションを見つけることはできなかった。

■遅すぎた問題露呈

 チームが調子を落としていることが誰の目にも明らかになったのは、栃木戦の翌28節水戸戦(0-3●)。この試合が8月17日。既に夏の移籍ウインドーは閉じていた。9月の登録期間までに可能な補強は育成型期限付き移籍のみ。9月に前線の中坂勇哉を神戸から借りてきたが、手薄だったのはCB、SB、中盤の底の選手だったのは素人目にみても明らかだった。

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※紫のグラフだけだと味気ないので黄色も入れてみました。

この水戸戦からアウェイ4連敗。暑い夏を迎え、出ずっぱりの選手の疲労も蓄積していたし、若い選手が多いため好不調の波も大きかった。また、7月には遠征中の規律違反なども起こっており、特にアウェイではチーム全体の集中力が落ち、メンタルが低下していったように見えた。元々のありあわせの食材しか用意されていなかったのだ。手薄な選手層では限界に達していたが、時すでに遅し、だった。

■上を向いたシーズン

 7月31日に石川県西部緑地公園のスタンドでうっすらと感じ取った危険信号、名状しがたい敗北感を、チーム強化の立場から読み解ける人間がいたならば…と思う。あの時点で移籍ウインドーはまだ半月残っていた。京都新聞によれば現場から補強のリクエストもあったようだが、肝心の強化部長のポストは空席。持ち込まれる移籍話は(外部の)代理人エージェント主導だったのでは?という疑念は晴れない。たとえ資金力が少なくとも、常に足りない食材を念頭に入れて準備する人物がいれば、的確な食材を用意できたかもしれないのだ。そう、大分トリニータのように。久々に「昇格」が現実的に見え、現場もファン・サポーターも上を向いたシーズンだったが、フロントは同じように上を見ていたのだろうか?上の空を見ていたのでは?もっと本気になって競技面のサポートができていたのでは?…いくつかの疑問が残るし、それが長らく昇格できなくなったチームに染みついた体質か…とも思う。中田監督は、あるいはそことも対峙しようとしていたのかもしれない。

■人件費は戦力値

 ただし、J2クラブの人件費一覧(数字は昨年ベース)をみればわかる通り、京都は今や「J2の中ではビッグクラブ」でも何でもなくて、中規模予算の地方クラブに過ぎない。人件費が多ければ多いほど戦力が高いというのは言うまでもない。それを上手く運用できるかどうかは別にして。

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だからこそ限られた戦力を調達できるコーディネーターが重要だった。今や夏の移籍で足りない戦力を補うのは長いシーズンを乗り切る上での重要な戦略のひとつ。現場がどれだけ健闘しようが、武器弾薬兵糧を的確に送り込めなければ戦えないリーグになってきた。たとえ資金力がなくとも上手くやりくりしたクラブもあった。今夏、水戸が借りてきた宮大樹(←神戸)や福満隆貴(←C大阪)、山口が借りた高宇洋(←G大阪)あたりなら京都の補強ポイントとも合致していたように思うが…。いずれにしろ自動昇格圏を驀進できるほどの戦力を整えるのは、人件費11位相当では無理のある話だった。

■監督の手腕

 最終節の13失点については、様々な条件の中でファイティングポーズをとるしかない状態で、逃げずにガードを下げたまま打ち合ったゆえの結果であり、極論してしまえば「28億×余裕 VS 6億×切迫」の差だった。あのゲーム1つで中田一三監督の手腕に対する評価が変わることはない。指揮官/戦術家として素晴らしい面はたくさんあった。それはやはり前述の大宮戦の仙頭のゴールに集約されていると思う。あれだけの崩しを論理的に仕込める監督が日本に何人いるのか、と。
 一方でマイナスに映った部分もある。
 ①構築した再現性のある攻撃を、なかなか再現できなかったこと。
 ②戦術のBプラン、Cプランの構築に時間がかかった(または出来なかった)こと。
 ③夏以降、チーム全体のメンタルマネジメントが上手くいかなかったこと。
である。①②はもうすこし戦力が与えられていれば変わった部分かもしれない。きちんと監督の思い描く戦術を理解し、体現できる選手は13~4人くらいしかいなかったのではなかろうか。特に右SBの黒木恭平は41節までフルタイム出場だった。出場停止になった最終節で歴史的大敗を喫したことが、その存在の大きさを物語る。③は戦力とは関係ない。不調になっていくとチームの士気が上がらず、プレーに些細な迷いが出たり、自信がみるみる失われていったのは残念だった。このあたりはコーチングスタッフに委ねていた可能性もあるが、いずれにしろメンタルマネジメント面には課題があった(同時に、今後の伸びしろとも思った)。

■ありがとう一三

 競技面とは直接関係ないが、中田監督が他のどの監督とも違っていたのは、自らSNSを通じて2万人の来場を呼びかけたり、結構高額なピッチサイドの席を自腹で購入して招待企画を行ったり、「クラブをこの街に根付かせよう」という思いを抱いて行動に移した点だ。監督の視野がピッチ内だけにとどまらなかった点は非常にゼネラルマネージャー的だったし、社長も「5時間の面談」を通じてチーム経営の能力まで評価したものだとばかり思っていた。あるいは強化部長を置かなかったのは、いずれ中田一三監督にGMの権限まで託すつもりでもあるのか…と。しかし結果論としてクラブはそうは考えてないかった。あくまでも推測に過ぎないが、中田監督はクラブと良好な関係を築くことはできず、今季限りで去る。せめてこの1年せっかく積み上げたものが無にならないようにと願うばかりだ。楽しさも悔しさもたくさん味わった1年を糧として、魅力的なサッカーが来季も継続しますように。

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Thanks,Nakata13!

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