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男女問題を親子に持ち込まない


昨日は共同親権関連の院内集会に参加した。学びのためはもちろんだが、どうしても行きたかった理由がある。それはサンドラ・ヘフェリンさんの講演があるからだ。

友人に勧められて手にしたサンドラさんの本には、男女がお互い自立し対等な立場で何歳になっても恋に生きるドイツ人の生き様がつづられている。

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私自身、次の人生はこうありたい!そう思えるエッセンスがつまったサンドラさんのエッセイを読みすっかりファンに。


本を握りしめいざ会場へ。講演の内容も非常に興味深いものだった。
本にも書いてあるが、あらためて驚かされるのが、ドイツは浮気の慰謝料がないことだ。人の気持ちが移りゆくことは仕方のないことという整理。

 
日本ではこの価値観がない。不倫ともなれば袋叩きにあう。こちらの記事でもサンドラさんがドイツとの違いを綴られている。


そして、不倫はあくまで夫婦の問題。不倫が原因で離婚したとしても、それゆえ子どもを会わせないというストーリーは毛頭ない。男女問題と親子は全く別物だからだ。不倫したことよりも子どもから親を奪うことの方が断じてならないという価値観だ。

そして、離婚するには別居2年の期間を経ることが必須なドイツ。その間に気持ちの整理、子どもの養育含めあらたな生活の準備することができる。


さて、私は別居離婚後も両親で子育てをする「共同養育」という考え方の普及活動や、共同養育を実践するために親同士がどのように関わっていくか気持ちの面でのサポートとしている。

多くの相談を受ける中、「子どもに会えない、会わせたくない」に陥りやすい離婚原因の多くは、「モラハラ」だ。
むしろ、浮気といった男女問題のケースは会わせていることが多い。
 

これはなぜかと紐解いてみると、浮気など明らかに黒な要素があると「謝罪」という行為が生まれ、謝られることで次第に気が済むからだろう。借金など金銭問題も同様だ。

一方で、モラハラは相対的価値観であり、受取手がモラハラだと感じても相手に自覚がなければ謝罪や改善は生まれない。
「離婚してもモラハラが続くことが容易に想像できるから二度と関わりたくない、子どもも会わせたくない」となるわけだ。

講演後、サンドラさんへ尋ねた。「ドイツにもモラハラがあるのか」と。モラハラに相当する言葉はないそうだが離婚理由としてなくもないらしい。
ただし、ドイツの女性は気が強く、たとえモラハラだったとしても離婚後も元夫婦は親同士としてやりとりをするそうだ。


そもそも、「会わせたくない」という感情で会わせなくても済むこと自体が間違えている。子どものためにも感情と行動は切り分けなければならない。これ、正論だ。
この正論で真っ向勝負もよいが、「関わりたくない」と思われているのであれば、自分自身が関わってもいい相手になることも案外近道かもしれない。


また、「関わりたくない」と思っている側も、ずっと逃げ続けていてはせっかく離婚しても相手の呪縛から解放されることはない。
「会わせたくない」という感情は子どもに見せなければそのままでもかまわない。一歩踏み出して会わせるスタンスを行動として見せていくことで、関わりたくない相手が関わってもよい相手に落ち着いていくこともあるだろう。

鶏と卵のようだが気づいた方が先にやればよい。


共同親権と共同養育。ハード(しくみ)とハート(心)。
共同親権になれば「離婚してもふたり親」が共通認識となり共同養育しやすい社会になる。ただ、共同親権になったからといって円滑な共同養育をできるわけではない。親同士が冷戦状態の中、子どもが行き来するのでは子どもも生きた心地がしないだろう。
子どもが顔色を見ずに発言や行動ができる環境を両親が整えることこそが共同養育に向けた大事な親の心得だ。

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自分次第で今すぐできることはある。共同養育していくために必要なのは、相手を変えようとするのではなく、共同養育しやすい相手に自分自身がなること。
では、共同養育しやすい相手って? 各家庭によって状況は違うが、ファイティングポーズを取らないこともひとつ。そして、更なるこたえを見つけにいくことも今日からできることだ。

争うよりも歩み寄りを。北風より太陽を。


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