コミュニティ作りについて。コンテンツ、教育、対話など。

こんにちは。「個性を育てるコミュニティ作り」を目指す小林佑太朗です。

今回は、コミュニティのあり方について、少し書きました。

非常に断片的ですが。

●キングコング西野
「コミュニティには、圧倒的なコンテンツ=作品が必要。」


●一方で中田敦彦は
「カルチャーを作ることで、コミュニティを。作品を作っていってはない。」

西野さんと中田さんは矛盾したことを言っているようだが、2人とも上手くいっている。この2人の主張を包摂する主張とは何か?
 
それはおそらく、ゴールを目指し、それを叶えるための方法としてコンテンツや文化を捉えるという考え方である。

そう考えれば、「教育」というものでさえ方法となる。
まさに、松岡正剛さんが主宰するイシス編集学校がそれだ。

では、自分がどのようなゴールを持っているのか?
それは、【一人一人の個性が活かされ、同志と出逢いながら、
お互いが関わり合いながら暮らしを作っていける社会の実現】、というものだ。

一言いえば、【同志と暮らす社会】と言えるか。または、【同志と深く繋がる世界】

「個性を活かし、同志と出逢う」には、それぞれが興味関心に従って情報を集め、繋ぎ、発信するような情報発信が必要で、
それが誰もが行うことができるような環境が必要になるだろう。

そう考えると、宇野常寛の『遅いインターネット』計画の、発信者を育成する、という考え方には、非常に共通するものを感じる。

そして、その情報発信からコミュニティを作っていくということが、後半の「お互いが関わり合いながら暮らしを作っていける」
という部分につながってくる。

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上記の発想が浮かんだことから見る、アイディアの発想を生み出す方法。
それは、自分が疑問に思っていることを、形として、
つまり文章に書き表したり、口に出すことが必要だと思う。
そうすることで、疑問に思っていることの全容が露わになり、
そのおかげで、脳の無意識が答えを探すことができるようになるのである。


さらに上記の主張に追記することがある。
松岡正剛「方法にこそコンテンツがある」(『インタースコア』p33)
ゴールのための方法、手段、道のり、途上において、様々に方法を作りだしたり、見つけたり、辿っていくことが、
作品であり、コンテンツである。


以下は、最近考えていることの断片的なメモです。

●東浩紀さん
「哲学の本質とは、結局はひとりひとりの人間との対話でしかない。
 知識や分析なんてなんの役にも立たないのではないか。」(『新対話篇』より)

実践知の話などとも近い。一人一人の自己が体験する世界。それを記述、表現できるような言葉の練り方が必要なのであろう。
特に情報爆発の時代であり、一人一人の内面が多様になることで、抽象的で一般的な言説や言葉、思想というものが、
一人一人の内実、現実に合わなくなってきているという時代背景がある。

誤配とは「間違った宛先に届き、間違って理解されること」。


社会に、そして子供たちに、どのようにして「暴力としての誤配」を作り出すか?
誤配やメディアとしての教育。そういう方向性で、教育は価値を高めていける。


●ジェダイの何がいいのか?
師弟。イシス編集学校に似ている!同行二人。同行二人なゲシュタルト。これは苫米地さんが言っていること。
プラトンのアカデメイア。

●共憶、共読、対話
ノートの共有、などなど。対書。もとはあのオックスフォードの教授が共著の本からアイディアを得た。

●対話の価値
問いかけるということは、その問いかけている本人にとって、今そのとき気になった、つまり今そのとき欲しい情報を尋ねているのである。
それに対して、答える側は、答えること自体が問いかけてくれた人にとっての価値となっているとわかるから、
答えるためにエネルギーを注ぐことができるのである。これは、たとえ同じような内容だとしても、教えることにエネルギーを
注ぐことができる教育者たちの原理なのであろう。

そして教育だけに限らず、対話の場において、問いかけ合うことで、いくらでもそこから価値ある情報が生まれ、湧いてくるのだ。
そこに私は、対話の価値を置く。

●教育
教育、特に授業や指導を実践することによって得られる知識の豊かさに私は魅了されているのかもしれない。
暴力的であり、メディウムてきであり、個別的であり、意識・無意識的であるもの。


●教育の価値とは?学びとは?求められる学びの形とは?
宮台真司の<感染>。断片的な情報を与えるものではなく、儀礼として、パッケージとして、暴力として与える教育!
ホリエモンの教育に関する主張と。自分で必要な先生を見つけていけると。それは楽観的すぎると思う。


●なぜ、子供たちは「読書」を嫌い、Youtubeやアニメ、SNSを好むのか。また、どのようにすれば、探究人になるのか?

以上です。


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