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DVと児童虐待の関係について

 離婚後共同親権の導入の議論の中で、DVという夫婦の問題と親子の問題は別だと言われることがありますが、DVと児童虐待は密接な関係があります。内閣府の政府広報による説明がとても分かりやすいので、引用してお話ししたいと思います。

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 この事例は、一番、社会的に認知されている類型だと思います。配偶者に対してふるう暴力を子どもにも見せ、子どもに対してふるう暴力を配偶者に見せることは、被害者側からみれば、自分が受けた暴力の痛みと、大切な人を暴力にふるわれたくないという思いとの相乗効果で、怒らせないよう最大限の注意をはらって顔色をうかがうことになりますので、支配のための手段として有効で、多く用いられてきたことも事実だと思います。

 この類型において、DV被害者と虐待されている子どもはともに被害者という立場に置かれるため、被害者同士が協力関係になりやすく、一緒に頑張ることで耐えてしまい逃げ遅れることもありますが、一緒に決意して家を出るという場合もあります。この類型で、別居にいたった場合に、離婚後共同養育をせよという意見はさすがに出にくいのではないかと思っています。

 実際の事件では、子ども達は、調査官調査において、目撃したDVと自分の受けた虐待について語り、自分の意思で面会交流を拒否して、面会交流は間接的なものにとどまることが多い類型だと思います(なお、間接交流も行わないということは性虐待でもないとありえないのが、この国の家裁の実務です・・・)。

 この類型の加害者像ですが、すぐにカッとして感情をコントロールできないタイプである場合も多く、逃げた妻子には面会もしないし養育費も払わないという解決も多いと思います。私は、それはそれで良いと思っています。こういうタイプに、養育費を払わせようとして執着心を呼び起こすようなことを国が要求することは危険です。法制度を考える上で、養育費なんていらないから、関係を断ちたいという被害者の意思を尊重して欲しいと思います。

 揉めやすいのは、こうなることが目に見えて明らかだから、子どもが赤ちゃんのうちに家を出るという事案です。子どもに対する虐待が顕在化していないので、加害者は、「私は子どもには暴力をふるっていない。夫婦と親子は別だ。私は安全な父親だ。」と言って正当化します。この類型が、DV家庭のステレオタイプでありながら、DVがあることが認識されているにもかかわらず、その危険性が顧みられることなくスルーされます。子どもの安全よりも、親の権利が優先されている運用です。

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 この事例は、「面前DV」と言われる事案です。この構図だと、一見すると、子どもへの虐待はないように見えます。でも、DVを目撃することは、子どもの心を壊します。面前DVは、子どもに対する直接の虐待です。そして、そこで目撃されるDVが身体的暴力であるときより、精神的暴力であるときの方が深刻だといわれています。 

 面前DVにさらされた子どもの感情は一様ではなく、加害親の暴力を止められず、被害親を助けてあげられない無力感を感じる場合もありますし、怒られるような被害親が悪いと被害親の方を軽蔑する場合もあります。私の経験では、面前DVの類型の方が、子どもがDV加害者から直接の虐待を受ける場合と比べて、精神的な回復が遅い場合が多いと感じます。

 夜中、喧噪から耳を塞いで子ども部屋で震えていたという子どもの話を何度も経験してきました。翌朝、なにごともなかったかのように、加害者が優しい笑顔で「おはよう」といい、被害者は泣きはらした顔をしている。子どもは何事もなかったかのように振る舞います。気付いているけれど知らないふりをします。でもそれでは、罪悪感が生じてしまうから、子どもは、防衛的に何も感じなくなっていくことがあります。スルースキルといえば聞こえは良いけれど、それは感情を押し殺す訓練にほかなりません。DVの加害者が、大声で怒鳴っている様子が録画されている画面に、無邪気にピースサインをした笑顔の子どもがうつりこんでいたことがあります。これは、現在の家裁の実務では虐待とは扱われず、加害親の面会交流が禁止制限されることはありませんが、面会交流の場でも、被害親を馬鹿にする発言を繰り返す事案も多く見られるところで、野放しで良いのかと疑問に思うところです。

 この類型は、親が他方の親に対して、否定的もしくは軽蔑する感情をもち、それに基づく上下関係を子どもに見せつけるという構造をもちます。これは、「差別」の構造ではないかと思います。「差別」を見せつけることは、子どもの心を壊します。これが虐待の類型に入っていないことを不思議に思うほどです。誰かに対する差別を子どもの見せつけることは、子どもに対して直接の暴力が向かう場合よりも、虐待としての威力が大きいように感じます。その最たるものが、「教育虐待」ですが、それは別稿で取り上げます。

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 これは、DV被害者が児童虐待をする事例です。男性が家事や育児を積極的に担うケースが増えて、共同親権を求める人が増えてきたと言われることがありますが、かけ離れた実態があります。性別役割分業は日本の家庭に根強く残っていることを重く受け止めなくてはいけません。

 令和2年版男女共同参画白書でも、6才未満の子どもを持つ夫婦の場合、妻が無業の世帯で約9割、夫妻ともに有業の世帯でも約8割の夫が家事をしておらず、妻の就業形態にかかわらず、約7割の夫が育児をしていません。そして、これは、2011年、2016年との比較でもほとんど横ばいです。男性が家事や育児に参加して、女性が社会で活躍できるような実態は存在していません。家事も育児も女性が担って当然視する社会で、男性はそもそも育児にほとんど関わっていないという場合も多く、DVを受けた被害者が、さらに弱い立場の子どもたちに向かって暴力をふるったり、DV加害者を怒らせないために子どもに対して過度なしつけを行っていることが虐待につながることがあります。女性からの虐待の件数が多いという背景には、男性が、婚姻時において、そもそも家事・育児を担ってこなかったということに目を向ける必要があります。

 この場合、DV加害者と被害者を離別させることで、被害者の精神が安定して、子どもへの虐待が止まることがあります。他方で、子どもからみれば、直接虐待を行ってきたDV被害者よりも、DV加害者に保護を求めてしまうという場合もあります。DV被害者だからといって、親権者になれるわけではないというのがこの事案です。

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 DVもあって、両親からの虐待を受けるケースもあります。DV加害者による子どもへの虐待を知っていて放置するような場合もこれに当たります。以前に、ご紹介した、2018年3月の東京都目黒区の船戸結愛ちゃんの虐待死事件や、2019年1月の千葉県野田市の栗原心愛さんの虐待死事件でも、父親から母親へのDVが確認されていますが、母親は加害者として刑事罰に処せられました。

 この類型は、まず逃げ遅れます。逃げ遅れているから、こうなったとも言えます。1個目に紹介した類型が熟成して、こういう状況になるのです。

 悲しいことですが、こういうことを言われたことがあります。「私に対する暴力が、子どもに向かうようになって、少しホッとしてしまったんです・・・。」鬼母だと批判することは簡単でしょう。でも、私は、そう思いません。頑張ったんです。耐えて、耐えて。もっと早く、誰かが、逃げていいよって言ってあげたらよかったのに。

 この段階にいたると、DV被害者は、自分の意思や気力でこの歪んだ家族関係をなんとかしようとは思わなくなります。祖父母などがみかねて、ご相談にきて発覚する場合がありますがまれです。児童相談所が子どもを一時保護する流れが多いだろうと思います。

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 最後にご紹介する類型がこちら。「面前DV」の類型のところでも触れましたが、DV加害者の矛先が配偶者のみに向かい、子どもには溺愛という形を取ることがあります。DVを見させられ続けた結果、子どもは母親を軽んじて、DV加害者と一体になって母親を無力な存在として扱います。

 まだ、未就学の年齢の子どもが、法律相談についてきて、母親に向かって「まだ?いつ終わんの?いい加減にしろよ」と言って背中を蹴るようなシーンに出くわすことがあります。皆さんはどう感じるでしょうか?子どもは天使とは限らず、DV加害者予備軍でもあります。

 事務所のスタッフにお願いして、子どもを別室に連れていってもらい、疲弊した母親に、「もうこれ以上頑張らなくていい。子どもを置いていくという選択肢もある」ということがありますが、私の発言に誰もがびっくりして、「先生、何を言ってるんですか?置いて行くことなんてできませんよ」と言います。

 何故、この母親はそう言うのでしょう?自分勝手ですか?離婚を有利に進めるため?子どもはパパに懐いていて、舎弟のようです。この子のパパは良いパパですか?この子を連れて家を出るママは非難されますか?離婚後、共同親権だったらどうなりますか?

 上記の例は、子どもが幼少という例を出しましたが、子どもが中学性以上に成長してくると、生命・身体に危険が生じる場合もあります。子どもをおいて、一人で逃げると、社会的には散々な評価を受けるけれど私はその母親を責める気持ちになりません。本当に、よく頑張った・・・。

 この記事を書きながら、過去の依頼者が何人も思い浮かび、切ない気持ちになります。DVのある家庭は、子どもの心を壊します。DVは家族の問題です。DVは夫婦の問題で親子の問題とは関係ないなどと言っているようでは、DVや虐待を減らしていくことはできないし、DV加害者に加担することに等しい考えだと思います。                   

(kana)

*本稿は、執筆者が別のブログで発信したものを修正のうえ転載しました。 


 

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