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評㊶医療モノの難しさか『最後の医者は桜を見上げて君を想う』@CBGK シブゲキ︎!!

 『最後の医者は桜を見上げて君を想う』@CBGK シブゲキ︎!!(渋谷区道玄坂) 9,000円(税込/全席指定)。9/8~9/11。
 原作は、二宮敦人(にのみや・あつと)作の同名コミック
(2016)で、続編も出ている人気作らしい。医療モノ、病院モノ。Wikiによれば二宮は一橋大経済部卒、つまり“文系”であり医学の専門家ではない、と事前確認。自分は原作は読んでいない。
 出演:細貝圭、山本涼介、鳥越裕貴、今泉佑唯(ゆい)(欅坂46の元メンバー)ら ※今泉は当初、女性のメーン役だったが、8月に「突発性難聴」の診断が出たため、降板はしないが配役変更で出演。

 毎度「とにかく行ってみよう」で、事前情報はあまり仕入れない。今回もだいたい以上の情報だけで観にいく。コミック原作、2.5次元系の人が出るらしい、程度である。9000円はちと高いかもと感じつつ。

初めて行った、CBGK シブゲキ︎!!は開館11年目

 正直、いつもの自分と観劇傾向がかなり異なるが、違う傾向を観るのも勉強だし、何より初見のCBGK シブゲキ︎!!という劇場に行ってみたかった。
 Wikiによると、
映画館・シネセゾン渋谷(2011年2月閉館)の跡地を改装し2011年9月にグランドオープンした劇場、とある。もう11年選手だな。芸能事務所・キューブが初めて劇場運営を手掛け、所属俳優・古田新太が劇場アドバイザー。劇場のスーパーマスコット「ふるちん」は古田がモチーフ。座席数は242席(車椅子スペース 2席含む)――だそう。

 道元坂の一階にユニクロがあるビルの6階。若者に交じってエレベーター上がると、左側に別のハコがある。後で検索したら、音楽やパフォーマンスを発信する「SHIBUYA PLEASURE PLEASURE」、音楽ライブ系ということか。
 右側は、CBGK シブゲキ︎!!の前、人々がソーシャルディスタンスで並んでいる。若い人、中年、混じっている。開場時間になると検温して入場。
 公演パンフ(クリアファイル付き)3,000円(税込)、並んで買う人たち。自分は買わず。椅子はふかふか、沈み込むよう。
 ※以下ネタバレあり

天才外科医と「死神」医の対決、仲裁する同期医者

 構成演出:岡村俊一。
 さて、筋は

自分の余命を知った時、あなたならどうしますか?
死を肯定する医者×生に賭ける医者 対立する二人の医者と患者の最後の日 衝撃の医療ドラマ!

舞台『最後の医者は桜を見上げて君を想う』特設サイトより

 天才外科医、福原雅和役に細貝(37)、死神と呼ばれる風変わりな医者桐子修司役に山本(27)、福原や桐子と同期の医者の音山春夫役に鳥越(31)。
 この3人は大学医学部同期生で、福原の父親が院長を務めていた病院に勤務、福原は現副院長。最先端治療や手術により延命に前向きな医療を推進しようとする福原(=生に賭ける医者)と、治療を止めて残りの人生を好きに生きる選択肢を患者に示す桐子(皮膚科医)(=死を肯定する医者)の対立。ふたりの間に立ち仲を取り持とうとする音山(神経内科医)

 白血病、がん、筋萎縮性側索硬化症(ALS)などの重病患者が次々に登場する。難度の高い手術を経て生き抜いた者もいれば、高度治療に必須のドナー(提供者)に恵まれず死んでいく者、治療を止める者、在宅医療で看取られていく者。音山もがんに侵され、脳に転移するが、余命いくばくもない祖母に伝える「声」のため、延命につながらない手術を希望する。福原と桐子は音山の治療方針を巡って再びぶつかるが、最後に友情を取り戻し……(?)という内容。

 後から検索で追加情報。詳しい方ごめんなさい。不勉強の人間です。
 細貝はミュージカル・テニスの王子様に出ていた人で、佐藤仁美(42)の夫。山本はファッションモデル系の人で仮面ライダーなどにも出ていた人。鳥越はミュージカル『刀剣乱舞』などに出ていた人。いずれもかなりの舞台、映像出演経験を持つ。
 出演者のひとり、本西彩希帆が所属する「劇団4ドル50セント」は、2017年に秋元康とエイベックスの松浦勝人の共同プロデュースで設立(Wiki)
 ……知らないことが多い。多すぎる。

頻繁に入る派手な音楽は逆効果?

 さて、感想。以下はすべて私見である。が、真剣に考えた。
 精神病院以外の病院モノ、は、おそらく初めて舞台で見た。その意味で興味深かった。
 エンタメとして、また友情物語として楽しんだが、医療モノ、医者モノ、病院モノとしては気にかかる点があった。
 気になった点を挙げる。

<舞台効果>
・誰かの台詞が終わったかと思うと、派手な音楽がジャーンと入り、照明もすっと変化し、さっと場面を切り替えることしばしば。「劇画チック」な効果を狙ったと思うが、自分は却って演技に集中できなかった。うがった見方をすれば演技のアラをごまかすのかと思うほど、頻繁だった。こういう系の芝居はそうなのかな? 若い人はこういうのが好きなのかな?

キリコのアクセント、「地下足袋療法」に聞こえたあれは?

<台詞>
桐子(キリコ)のアクセントが気になった
 ①キにアクセントを置く「ー__」、②すべて平坦な「ーーー」が、話す人によって混在していた気がした。気にする人は多くないかもしれないが、自分はそこでひっかかった。
 桐子は「ドクター・キリコ」(手塚治虫『ブラック・ジャック』あるいはそれを模した名称を用いて起こった実際の事件)をもじったのだろう。

・後半、「造血幹細胞移植手術」と言う言葉が頻繁に出た。これに対立する言葉として何度も言及された言葉が、何度聞いても「地下足袋療法」にしか聞こえなかった。「自家〇〇療法」と思われる。
 もしかすると後方スクリーンに言葉が出ていたのかもしれない(後方スクリーンには時々言葉が映し出されていた記憶)。ただ、演者の演技を観ていると、スクリーンの言葉は見逃す可能性は高い。
 医療関係の専門用語を多用する舞台なのだから、べたな手法だが、劇団チョコレートケーキ他の劇団のように、「用語説明」のプリントを配布してもよかったのでは(おじさん臭いか)。もしかして、もしかするとパンフ3000円に用語説明が掲載されていて、それでよしなのか?まさか?とは思うが。

医者の心情表現にうううむ疑義

<ストーリー>
 人気原作通り舞台設定も病院のようだが、正直、舞台が病院である必然性を感じなかった。というか、病院のように見えなかった。ベッドはあるし、白衣を着た医師や看護師、患者はその辺を動き回り、時に心臓マッサージをしているわけだが。
 死期が迫り治療の選択を迫られ悩み苦しむ患者(夫)、夫の選択に迷いその死に肩落とし震える妻、ふたりの愛の物語、ALSで在宅医療を選びのたうち回る患者、の演技は見ごたえがあった。しかし、その人間物語を表現する舞台は、病院でなくとも(自宅でも)可能だった。
 なぜだろう。

 素人があえて勝手な想像で言わせていただくと、医者、の表現に問題があったか。

 多くの舞台では、医者は登場人物の病気や生死にかかわる脇役であり、淡々と職務を遂行する。冷静に仕事を遂行するプロとして、感情は示さないことが多い。

患者の生死を背負う、職業・医者ならではの苦悶

 しかし、この舞台では、医者が主役だ。ならば、職業を医者とする者ならではの苦しみ、悩みが示されるはずだ。生命倫理、最新の医療技術への関わり方、手術・治療の手腕、緩和ケアやQOL(生活の質)向上も含めた患者との関係、病院経営・看護師他医療スタッフとの関係etc.

 かつ、特にこの舞台の医者たちは、生死を分ける治療の選択を迫られる重病患者を相手にしている(桐子は皮膚科だが、「相談」を通じ患者により「死」に近づく選択肢を示す)。自分が患者に示す選択肢は、患者の身体的生死のみならず「精神的生死」にかかわる。自分が示し患者が選んだ選択肢が、本当に患者のためになっているかで悩み苦悶する姿(現実の医者の心情がどうかは別にして)を示すことが、多くは患者の立場に感情移入しやすい客の共感を呼ぶのではないか。

医者ならではの苦悶を演じたのは、三番手・音山役の鳥越

 この舞台で、私の見る限りでは、医者ならではの苦悶を演じたのは、三番手たる音山役の鳥越だった。患者が難病であることを知って驚き(さらっと患者に告げてしまうが)、苦しみもがき続ける患者の声を聞き、一緒に悩み、寄り添う姿が表現された。

 しかし、W主演たる福原役の細貝、桐子役の山本の演技に、その「医者としての苦悶」の部分をあまり感じなかった(あくまで私見)。「友情」の部分は問題なく表現されていたと思われるが。

 細貝演じる福原は、熱意を持った医者として「患者の命を救うためには、この治療が必要なんだ!」と訴えるように叫ぶ場面が何度かあったが、ひたすら自分の主張をする人、に見えた。その主張する治療の先にいる患者を思う姿が、観ている私の心に浮かび上がらなかった。
 それが、細貝の演技のせいなのかどうかはわからない。その演技は、他の物語、例えば勇者が戦地に赴く、正義が悪に対峙する、恋人に愛を告白する、などであれば、何の問題もない熱演として評価されたかもしれない。
 ストーリー、構成によるものか。

 また、冷静な「死神」だった桐子(演じる山本)が、がん末期患者となった音山に対し「死んでほしくない」と絞り出すように言うところは、唯一、「余命」と「友情」が交錯した部分に感じた。ただ、それも「友情」が桐子の心を揺さぶったのであって、患者を死に誘いかねない自分の医者としての倫理観そのものの見直しには至っていない。

 公演のキャッチコピーで「自分の余命を知った時、あなたならどうしますか?」とうたっている。これは、明らかに患者側の視点だ。もとい、観客の大半は医者ではなく、かつ患者になる可能性大の人たちで、患者側の視点の方が共感しやすい。
 ならば、医者かつ患者であった音山を主役にしてしまえば、心情も表現でき、客の共感も得られやすかったのではないか。プロデュース上、そうもいかないだろうし、原作を改変することになるので容易ではなかろうが。

 ただ、医術と友情の両方で真剣に煩悶したのは、私が感じた限りでは、音山だけなのだ(私見)

友情には揺れたが、医術やその先の患者に揺れない医者?

 まとまらないが、まとめるとこんな感じか。
 患者たちが自分たちの病に苦しみ、生について考え、苦しみながら生き、あるいは死んでいく様子は表現されていた。医者であり患者でもある音山でも、それは表現されていた。
 しかし、それが主役の医者たる福原と桐子の場合、各々の医療には自信を持つが、友情が何故か前面に出てそれで心が揺れるものの、生死やそれにかかわる医術、その先の患者を思っての煩悶があまり語られないまま終わった感がある。
 それが、構成・演出によるものか、演技によるものか、あるいは他の要因によるものか、私には判断がつかない。

 構成としては、細貝演じる福原、桐子演じる山本、を劇画チックに際立たせる必要があったのか。そのため、人間らしい心情は音山に任せて「動」「静」で際立たせたのか。そこが、自分には物足りなかったか。
 あるいは、細貝37歳、山本27歳が同期を演じるため、細貝が若く、山本がやや老けて演技する必要から、何か無理が生じたか。
 コミックの世界を、2時間の舞台の世界に圧縮する困難があったか。
 医療モノの舞台化は難しいのか。

 まあ、普段あまり観ない系の芝居なので、そもそも自分の見方が間違っているのかもしれない。間違っている部分があったらすみません。

 ここまでの駄文を全く無視して、劇場規模からして7000円くらいが妥当かと感じた。近くのシアターコクーンでS席11000円であるし。という結論。最近はコロナ禍の補填の意味合いもあってか、全体的にチケット料金の上昇傾向を感じる点もあるが。

 お疲れさまでした。 


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