甲子園ネタから考える演劇のアマプロ①~芸能とスポーツの共通項

 夏の甲子園の最中なので、ネット中継をチラ見。
 甲子園の高校野球とプロ野球。そこに、演劇のアマとプロの違いを考えるヒントがごろごろ転がっている。
 勿論、全国の地方大会で優勝し甲子園に出場するチームはその時点(夏。春は選抜)でアマの中でも一握りの上位の存在だが、その先にプロがいる。解説者のアマ向けの優しい解説とプロ向けの辛口解説、比較材料は多い。
 そして、芸能とスポーツ、いろんな意味で、立ち位置が近い。

「不要不急」の世界を「真剣に遊ぶ」、芸能とスポーツ

 芸能とスポーツは、生業とする人以外にとっては、人生で「余暇」、夢や希望の世界とも言えるが、つまり「暇つぶし」の分野。コロナ禍当初、貼られかけたレッテル「不要不急」を完全に剥がすのはなかなか難しい。

<命や人生を左右する「責任ある」仕事系>
 医療、教育、経済、社会インフラ(交通、水道ガス電力、治水他)、警察etc、人の命や人生を預かる、あるいは左右する仕事とは明らかに異なる(例えばメーカーの製品が火を噴けば人命に関わる)。
 政治は「必要(悪)」(特に外交は必須)として、これら医療、教育、経済、インフラetc.を間接的に、しかし強制的に動かす。
 公共(インフラ含む)の分野、メンテナンスetc.も、人々の日常生活を滞りなく進める。ごみ収集が止まったら、日本の日常は間違いなく破綻する。
 医療・看護ミス、土木建築工作物の設計ミス、食品の異物混入、交通事故……いろんな場で、人の命を左右しかねない、責任ある仕事。
 それらに比べれば、責任はない。なくてもなんとかなる。

<精神を充足させる「命や人生に責任はない」仕事系>
 とは言え、やはり「人はパンのみにて生くるものにあらず」(旧約聖書、モーゼ)、精神的にも満ち足りたものを求める。
 ただ、やはり順番、優先度はあり、「衣食足りて礼節を知る」(中国の古典『管子』の『牧民』に由来)の後半(礼節を知る)はさておき、大半の人たちは「衣食足りて」からやっと、精神の充足として、芸術(芸能?)なりスポーツなりに思いが至るのではないか。飲食店(外食)や旅行・観光系、遊興・ギャンブル系、がここに入るか。
 また、短期的には直に命や人生にかかわらないが、客の精神健康の維持向上(元気や人生のヒントをもらったetc.)、観客が動くことによる周囲飲食店も含めた経済効果の長期的増大に結びつくこともあろう。

 これらの世界は、「現実逃避」の手段としても使われ、逃避はマイナスなだけではない。逃避は時に、人生を生き抜く手段として有効、必要だ。過酷な労働環境や家族関係、いじめ、ハラスメントからの逃避はもちろん、ただただつまらない先の見えない人生と感じた人の逃避も。また、日本人の場合、大半は精神の根本に宗教が存在しないため、ここでするすると入ってくる可能性もある。

 ともあれ、「不要不急」の世界を「真剣に遊ぶ」のが、芸能とスポーツ。
 
これは、大方間違っていないはず。

プロ役者はアスリート

 芝居や劇団の周辺を何年か見ていると、役者は第一に体力、とつくづく思う。プロ役者はアスリート(=運動選手、スポーツや他の身体運動に習熟している人。スポーツや、身体的強さや俊敏性やスタミナを要求されるゲームについて、トレーニングを積んだり、技に優れている人byWiki)。

 この後は主に舞台中心に考えるが、映像も似たものだろう。
 役者として「売れる」条件、を思いつくままに並べてみた。よく見たら、2.以外は、社会人として働く時にある程度必要な条件と言えるかも。

 さて、不動の1位は「体力(持久力)」。

1.体力(持久力)がある(ばてにくい)
+最低限身体を動かし声を出せる
+ばっくれない(必ず約束の場所に来る)
 体力を持ってそこにいて動ける。
これが最低限の条件。「ばっくれ」は残念ながらある。困る。
 体力がなければ、その時点で落選。稽古をこなし、公演をこなし、連続公演日程、時には地方公演をこなす。体力がなければ、プロ役者は不可能。

 以下は、順不同か。どれかが欠けても何とかなるか。
 2.はやや別格。テレビなどに出る有名人クラスには必須だろう。中堅劇団のプロ役者のひとりなら、この条件がなくとも続けることは可能。

2.商品価値が高い(スカウト・育成が目を付ける=オーラがある、絵になる、美しい、スタイル・体型がいい、個性が際立つ)
3.演技(仕事)の才能(滑舌、台詞覚え、各種演技術)
4.運動能力、身体能力
5.精神力、メンタルの強さ(へこたれない、負けず嫌い)
6.努力、長年の鍛錬、続けること
7.人脈(自分を売り込む営業力)、人間関係の上手さ(一緒に仕事したいと周囲に思われる)
8.
※追加 9.(8.ともやや重複するが)家庭、生育環境(世襲や2世、3世等。裕福で習い事に金が使える家庭。逆に貧乏がゆえに、芸能界やスポーツ界での成功者を目指すハングリー系)

メンバーが息を合わせた集団活動を客に見せる(魅せる)

 野球の場合、打撃力、投手力はある程度個人で鍛えてパワーアップすることが可能と思う。個人評価のしやすい分野だ。
 しかし、守備や走塁等は、複数のメンバーで練習を重ねなければ鍛えることが難しそうだ。打撃、投手、守備、走塁などを総合した試合運びが勝負を決める。

 比して、演劇も、基本、集団活動だ。一人芝居などもあるが。。
 スター役者が抜きんでて、その人目当ての客はそのスターさえ観られれば満足ということもあろう。が、基本的に、誰か「人気役者」「上手い役者」がいても、その人が“浮くような形”になって、全体のバランスがとれない芝居は、客を虚構の世界に誘い込むことができないと思われる。その意味で、たとえアマでも全体の息が合っていればそれなりの世界は作れるし、プロでも漫然と流せば失敗作となる。
 ※追加 監督の采配=演出家の演出、でもある。そして、どんなに監督や演出家が“偉い”(???)としても、いったん舞台に出た選手や役者たちの動きにほぼ任せるしかない(ただ、監督の方が、選手を交代させ、途中の指示が出せる分、本番中も影響力が強いか)。

 メンバーが息を合わせた集団活動を客に見せる(魅せる)。これは共通項ではないだろうか。

学業成績の優先順位は低い

 さらに、芸能やスポーツに進む人の傾向の共通点を考えるとすれば、日本の場合は、中高生(あるいは大学生)時代の学業成績は優先順位がやや低くなる。勿論文武両道の人もいるが、割合は多くないように見られる。

 ※ただ、選抜の過程は異なる(→相違点の項で書く予定)。演劇の世界だと日本以外では、(学業)成績優秀なエリートを集めて俳優養成を行う国もある。韓国、ロシア、フランス等。

一握りの「有名な成功者」はメディアに曝される

 成功した有名人は一握り。勿論、ビジネスの世界でも成功者や大出世者は一握りだが、芸能やスポーツの成功者は、否応なくマスコミの取材攻勢を受け、“準公人”扱いとなり、プライベートもある程度探られメディアに曝されるところが異なる。
 
芸能の場合は、名前を売ること自体が仕事につながるので、当たり前と言えば当たり前だが。スポーツ選手も一種の芸能人化する。金、名誉、人気等を手にし、庶民の羨望の的、あるいは子どもの将来の目標という位置づけだ。

 ……と、ここまで、芸能とスポーツの共通項的なものを考えた。
 まだまだありそうだし、その一方ろくに推敲もしてはいないが、頭の中に置き過ぎても何なので、とりあえず、①はここまで書いておく。追加修正するかもしれない。
 この後、以下のようなことを考えたい(あくまで予定)。 

<芸能とスポーツの相違点>
 選抜の過程
 勝ち負けの明確さ、曖昧さ

<アマとプロの違い>
 高校野球の甘口な解説と、プロ野球の辛口な解説の、対比。
 アマは「真剣に遊ぶ」まででいい。思う存分、遊び、楽しむだけでもいい。心身の鍛錬と承認欲求充足のためのものでOK。自分が楽しむもの。
 プロは、『真剣に遊ぶ』姿を見(魅)せる」までが仕事、客に。実は遊んでいないのかもしれないが、観る人にそう勘づかせては興が失せる。「遊んでますよ、楽しんでますよ」の本音と建て前を使い分け、客に何かを持ち帰ってもらう

<高校野球の有名スレ「最弱代表校はどこだ?」から考える、逆転した「評価」>

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