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評㊲『ミッツァロのカラス』@小劇場B1、4500円~老練な身体・プロ考

 Grass919第6回公演『ミッツァロのカラス』@小劇場B1(下北沢)、前売4500円、全席自由。2022/8/23-28。
 知り合いに誘われ、足を運ぶ。渋い、ベテラン勢の芝居だ。演劇のプロアマ考が頭の中でぐるぐる巡る自分にとって、長年芝居を続けてきた身体を観て、小さなヒントを得た気がする。
 まとまらないが、今後に続く参考でもあり、書いておく。

イタリアの話で短編集で不条理らしい、ピランデッロって?

 チラシのキャッチコピーに「ピランデッロのカオスシチリア物語、短編小説集から選りすぐった豊かで熱い不条理な6つの物語」とある。何やら、イタリアの話で、短編集で、不条理らしい。としか分からぬ。
 ピランデッロって誰だww(事後検索で、1934年のノーベル文学賞受賞者と知る、勉強不足)。

 メーン演者は後で書くとして、自分のいつも最低限事前情報では、客演だが、歌手で女優の秋本奈緒美(59)が目を引き、さらに、PR動画が生き生きとしていた、ミュージカルなどを中心に50年のキャリアを持つ田中利花(70)に惹かれる。
 客席には、小劇場出身の著名な舞台人がいた。小劇場によくある、あちこちで挨拶交わしもある。そんな、よくある光景。

遠い異国の貧しさ、悲哀

 始まる。二面客席のしつらえ。タイトルの通り、カラスが出てくる(人形と、演者と)。シチリアの海沿いの街の模型を持って、役者が説明する。
 ふむふむ。時々笑う。
 遠い異国の、それも行ったことのないシチリアの話。そして、短編なので「へー」と思っている間に、ふっ、と終わる。

 設定はぶっ飛んでいるわけではなく、会話は日常会話の範囲であり、不条理「劇」とは感じない(そもそも不条理劇とはなんぞ)。ただ、遠い異国の世界なので、日本人たる自分の感覚とやや違うぞ的違和感と(人間だから共通項もある)、貧しさ、ハッピーエンドではない(デッドエンドというほどでもない)、悲哀という雰囲気か。
 やるせなさ、ちょっとした悲しさ、が漂うため、「ふっと終わる」もいいかな、と思い始める。全部理解しようとしなくていいぞ、この雰囲気を楽しめ、と自らの頭に言い聞かせる(ちと大変か)。
 貧しさゆえの身代金目当てで知人を誘拐する男たち、自分を捨てた男に資金援助しようとする悲しい女、女に貢いで利用され静かに去る男、勤め先から金を盗み自殺しようとする男、生と死……。

「すんなり早退」場面、働き方観のお国柄の違いを感じる

 そのひとつで、話の流れの中で、家族の病気で勤め先を早退するといい、すんなり「ああ、そう」と通った場面。芝居の出来と全然関係ないが、日本だと、もっと「すみません」とか頭下げてようようなのに、「すんなり」「当たり前のように」話が進んだな。急に「日本とイタリアの働き方への考えの違い」をドーンと思い起こした。少し前に、ネットでこんな記事を読んでいたのだ。

 私「1カ月バカンス取っても会社回るって、イタリアはスゴイね」→出身同僚「全然回ってないよ笑」→やっぱりすごい!(8/2(火) 7:10配信 まいどなニュース)
 
長期休暇でぜんぜん会社回っていないが、イタリア人全員が回ってない状態が当たり前だと思ってるから、それはもはや回っていると言えるのかも…日本の「会社を回さないといけない」という固定観念ぶち壊さないといけない、などの話。

 いわゆる、お国柄の違い、を芝居で再確認した。だけの話だが、自分には印象的だった。そんな感覚を生じさせるのも芝居の効用のひとつと(無理やり)思う。

難解な(?)、異国の不条理世界を成立させる老練な身体

 さて、芝居の間、演者の身体に目がいった。
 若くないのだ。それなりの年齢だ。
 しかし、ねっとりと動き続け、その「不条理っぽい」世界を作りあげている。力強さや速さはないが(この作品がそう作られていない)、下半身がしっかりし、膝の屈伸に問題はなく(勿論滑舌や発声も台詞回しも)物語が途切れない。ふむ。これが長年芝居を続けてきた身体というものか。
 癖がないわけではないが……それは「味」か?

 メーン演者、大森博史(67)、大月秀幸(64)、真那胡敬二(69)。事後検索で、大森はWikiだと、学生時代かその直後辺りに串田和美らが立ち上げたオンシアター自由劇場に参加。アングラ初期世代の少し後か。20歳前後からすると、40年以上役者を続けてきた人たちだ。

 ベテラン役者は「インフラ」の域に至るのかもしれない、と思う。
 数回台詞をかむことはあったが(その程度のことはどんな芝居でもあり、珍しくない)、安心して観ていられた。身体の動きは柔軟だし、台詞を口に出すことに慣れた、安定した演技。そう、インフラ。つまり、問題なく演技して当たり前、は、公共交通やガス・電気・水道などが問題なく動いて当たり前、に近い。
 今回のように、自分は初見のよくわからない筋の外国モノを観た際、安心感のインフラとしてのプロ。は、有効に作用した気がする。
 などと、芝居をそんな風に観ていいのか。いいのだ。

覚書的メモ

 以下、今回作品とあまり関係ないが、プロ考で頭に浮かんだことを、覚書的にメモっておく。

・人間の身体活動のピークは20歳代前半とすると、遅くとも20歳代前半から役者活動を継続してきた人が、プロたる条件を満たしやすい(伝統芸能は子ども時代からなので、その辺りで既に10数年の差がつくが、それはさておき)。運動選手、芸人などは別枠。
 ただ、「20歳代前半から」も相当譲歩した条件ではある。
 また、何年やれば「プロ」と言えるか、これはまた別に考えたい。少なくとも、10年間は「熟達化」に必要であるが、それは最低条件だ。ただ「継続」は重要条件か。

・下半身の安定感。膝の屈伸の際に、上半身を問題なく移動できる身体は、これまで「プロ」の役者でたびたび見てきた。鈴木忠志は参考になるか。

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