習い事は「好き」なことを「やり切る」と、いい思い出にできると痛感した日。
中学生の息子は空手を習っている。小学1年生から始めて、今年で7年目になる。
「え、今日空手やったっけ。行きたくないなあ…。」
「どうしても行かないとダメ?」
最近、こう言いながら行くのを渋る日が増えた。
そう言いながらたいていは行くのだが、先日は不満がたまっていたのだろう。
「お母さんが行かせたいだけやろ。行けば満足なんやろ。」
「行くのも休むのもオレの勝手やろ。」
激しい口調で私に向かって言ってきたときに、何がなんだかわからなくなった。気がつけば、ふたりでつかみ合いになっていた。
フェードアウトした自分の後悔が重なってしまう。
行ったら行ったで、いつも楽しそうに返ってくるじゃないか。
少年部からずっと一緒にがんばってきた同級生もいるし、合同稽古したり、指導をして下さった一般部の大人の人たちもいる。師範や師範代にもちゃんと覚えてもらえているじゃないか。
こんな環境にいることは当たり前じゃない。週3回、具合が悪いとき以外は通い続けたから、その中で作られていった関係性なのだ。
通い続けてできたものは、通わなくなったら崩れていく。
息子に通い続けてほしいと思ってしまうのは、私自身が子供の頃、習っていたピアノのレッスンに通い続けることがイヤになり、そのときの気まぐれでフェードアウトしてしまったから。それが苦い思い出になり、今も後悔しているからだ。
この程度なら、いつでもできる。
小学校に入学した頃からピアノの教室に通い始めた。
「小学生になってもまだ習いたい気持ちがあるなら、ピアノをやってもいいよ。」
と、幼稚園のときから親から言われていたので、待ちに待ったピアノだった。最初は楽しくて仕方がなかった。先生から渡された教則本を順番に練習した。
最初は片手ずつ弾いて慣れていくような曲ばかりだから、目を通すのは簡単だ。毎回、10曲ほど練習してレッスンに行った。最後の曲にはなまるがつくと、教則本が次の過程のものに変わった。新しい本を与えられるたび、嬉しくて仕方がなかった。音符が小さくなり五線の段が増えていき、教則本に絵やイラストがなくなり、分厚い冊子になったとき、少し上手くなったような気がした。
いつの間にか、自分の得意科目は音楽、将来の夢はピアノの先生になっていた。ピアニストになるわけではないし、このままレッスンを続けていればかなうだろう。この頃は正直、舐めていた。夢と言いながら、夢とも思っていなかった。できて当然くらいに捉えていた。
それが、中学生になってから部活が忙しくて、ピアノの練習ができない。部活があるから、発表会にも出られない。部活が楽しくて、毎日があっという間に過ぎた。だんだん、もういいや、ピアノがなくても部活があるからいいさ、と思うようになった。
今は練習できないけれど、時間ができたらまたやろう。そんなに難しいことでもないし。部活の方だけ見ていた。ピアノなんていつでもできる。その程度の認識だった。
今思えば、随分とふてぶてしく傲慢だったと思う。
気づいたときは、もう遅かった。
時間ができて久しぶりに弾いてみると、違和感がある。頭と指が微妙に一致しないのだ。焦った。こんなはずじゃない。
練習すれば何とかなるか。そう思い、レッスンのときに先生に音大に行きたいと告げた。
「音大?」と怪訝そうな顔をされた。
「今から練習しますか?でも間に合うかなあ…。」
本気で考えていないのがわかる、軽い口調。
このとき、先生がもう自分の方を見ていないことを感じた。
昔とは別人のように遠い声だった。
ほんの2年前、3年前は
「音大目指しませんか?」
「ソルフェージュの教室を紹介します。」
「楽典の教室も紹介します。」
って、ずっと言ってたやん。
でも、それに意思表示をしていなかった。親が、私が本気だと思っていなかった。先生からの話を流してしまっていたから、途中で先生もあきらめたのだ。
実は、誠意のない対応をしていたのは私の方だった。
練習も中途半端、先生の提案もスルー。それで、都合のいいときだけ頼っても、受け止めてくれるはずがない。
終わった。
もう私には何もない。
そのあと、レッスンに行った記憶がない。
先生が出産された時期とたまたま重なったのもあって、うやむやになり、そのまま辞めてしまった。ちゃんと先生に挨拶していない。
習い事で大事なのは、堂々と辞めることができるか。今までありがとうございましたと、笑顔で言えるか。
続けていると、単調に感じるときが来る。先が見えないときもイヤだし、なかなか上達を感じられないときもイヤだ。こんなことやっても何の役にも立たない、自分には向いていないかも、などといろいろ考えてしまう。
そこを少しだけ踏ん張ってほしいと考えてしまう。目に見える結果は出ないかもしれない。でも、続けてよかったと思える瞬間を一度だけでも実感してほしい。
自分にとって当たり前だと思っていたことが、こんなに自分を支えていてくれたこと、自分に自信を与えていたことに驚くかもしれない。
それに気づくのが、辞めたあとだったら。
もう一度頭を下げて、やり直すことはできる。
しかし、今までできていたことが思うとおりにできないストレスと闘いながら、一からやり直し。順調に続けている仲間が、目の前で二歩も三歩も先に進んでいる状態を目の当たりにしながら、もう一度がんばることが、どれだけ精神的にキツいことか。
周りの目も、温かいとは限らない。前は目をかけてくれて、いろいろ指導して下さった方がよそよそしい態度に変わることもある。一度失った信頼関係は、崖から一気に落ちたくらいの衝撃だ。崖をもう一度登り切っても戻るとは限らない。自分にとっては一時の気まぐれでも、相手にとっては裏切りに近い行為になっているかもしれないのだ。親身になって見守って下さった方なら尚更。
こんなこと、私のただの自己満足かもしれない。
それでも、自分を支えるものがなくなってしまったときの、自分という人間が空っぽになってしまったような、漂っているだけの風船みたいになった感覚を、今でも忘れられない。そう思うと、自分の息子には同じ思いをさせたくないと、ついつい口を出してしまう。他のことは流せるが、これだけは気になってしまう。
嫌がっているものを強制するようなことはしたくない。でも、たった1%だけでも好きな気持ち、面白いと思う気持ちがあるのなら、続けてほしいと思うのだ。その向こうにあるものを感じてほしいのだ。
まったく興味がなくなったとき、他にもっとやりたいことができて優先順位が下がったときは、「ここまでやってきた、ここまでできた」と、自分で区切りがつけられる。そんなときは、辞めることを恩師に堂々と伝えられる。一緒に稽古してきた仲間に、ありがとうと挨拶できる。それができれば、少なくとも嫌いにはならなくて済むんじゃないか。
* * * * *
半泣き状態で、休まずに続けてほしいのはどうしてなのか、息子に話した。必死だった。今まで築いてきた良い関係を、壊してほしくなかっただけ。私は欲しくても、手に入れることができなかったものを、息子はもう手にしているから、それが羨ましくてしょうがないから。