掌編小説 私の住む街には

 私の住む街には大きな浄水場があって、そこには巨大な白い建物がどっしりと構えている。街のどこにいてもその建物は存在感を放ち、いつかその建物が街を飲み込んでしまうのではないかとさえ思えるほどだった。
 浄水場のそばにある小さなハンバーガー屋も、浄水場と同じく私が物心ついたときにはそこで営業していた。雨風にさらされ、すっかり年季の入った建物と看板は、未だに開発途中のこの街では目新しく、中高生の溜まり場になっている。もれなく私も、学生時代は友達とそのハンバーガー屋に通っては他愛もない話で盛り上がっていた。
 ハンバーガー屋の窓からも浄水場のあの巨大な建物は見えるが、覗き込まないとてっぺんまでは見えない。ただその無機質な白い壁だけがハンバーガー屋から見える景色であり、それが日常なのである。

 勤務先も何もかもこの街にあるため、私は未だに実家暮らしで、街の外に出ることをあまりしない。
 自宅の前の道をまっすぐ西へ行くと、国道に出る。そこを南に曲がった先に、浄水場とハンバーガー屋がある。私はいつも、それらを見ながら出勤していた。
「なんか、取り壊されるらしいよ」
「え?」
「だから、取り壊されるんだって」
 自宅で両親と夕飯を食べていると、母がそう言ったのだが、あまりにもピンと来なくて思わず聞き返してしまった。語気を強めた母に私は苦笑して、もう一度聞き返した。
「何が取り壊されるの?」
「浄水場のあれよ、あれ!」
「あれって、もしかして……」
「そう、あのでっかい建物!」
 まさか、と思った。あれが取り壊される? そんなこと、ありえるのだろうか。
 あれがない街を想像してみる。やはりしっくり来ない。まだ噂の段階かもしれないというのに、すでに虚無感が大きかった。あんな建物に、思い入れなどないと思っていた。この街のどの景色にも映り込むあれが鬱陶しく感じることもあったが、「見慣れた景色」というのはこんなにも自分の心に焼き付いているものなのかと、たった今気付いて放心した。
 黙り込んでしまった私を見て、父がボソッと呟いた。
「あの建物、お父さんが子どもの頃からずっとあるんだ。なくなるなんて、信じられないよな」

 ただの噂ではなかった。数ヶ月後、あの建物は跡形もなくなってしまった。そこには、ぽっかりと空白ができたように感じた。その先に見える青空が、なんだか虚しい。
 私は、いつも通りに出勤する。私自身は何も変わらないのに、なんだろうか、この違和感は。知らないうちに、重大な何かを喪失してしまったのかもしれない。
 ハンバーガー屋は、相変わらず営業していた。