長編小説 雨粒のひかり 【1.モラトリアム】 2018年5月

 2018年5月12日 晴れ
「若宮ひかりさん」と名前を呼ばれて、そんな風に呼ばれるのなんて久しぶりだから、すごくくすぐったくて、ついに社会復帰できるんだって実感が湧いてきた。
 就労支援をしているNPO法人に派遣社員の仕事を紹介してもらうことになって、名古屋のカフェで面談。約束の時間より少し早めに行くと、すでに先客と話し込んでいて、私の番になるまで1時間ぐらい待った。
 面談といっても、堅苦しいものではなかった。申込み用紙に名前と住所と電話番号、メールアドレスを書いて、既往歴を聞かれて、それで終わり。いくつか仕事を紹介してもらったけど、まだ決まってない。やっぱり不安が先立ってしまう。
 NPO法人の小林さんは、ニコニコしていて良い人そう。安心した。就労支援がどんなものなのかよく知らないけど、人と関わらなくていい仕事だって言ってたし、うまくやっていけるといいな。


2018年5月20日 晴れ
 小林さんからメールが来た。「隣町にある会社はどうかな?」だって。バスで通勤することになるし、家から少し遠いけど、どの会社が良いかなんて分からないから、とりあえずそこで働いてみることにした。
「9時始業だけど大丈夫?」と聞かれて、大丈夫だと伝えたら、「早起きできる人は、仕事もちゃんとできると思う」と返事が来た。規則正しい生活ができない無職の人は意外と多く、それが社会復帰を妨げていることが結構あるらしい。
 前にいた会社を辞めて無職になったとき、社会の底にまで堕ちてしまった、枠の外にはじき出されてしまったと思っていたけど、私はなんとか再び社会の「枠」に手をかけることができた。それだけでも、十分に恵まれているのかもしれない。


2018年5月26日 くもり
 出勤日が決まった。想像しただけで緊張して、震える。


2018年5月30日 雨
 初出勤。大切な日だというのに、雨。今日という日をなんとか終えることができた。
 私と同じ派遣社員が5人と、パートさんが3人、それと社員さんがちらほら。
 これから量産のライン作業が始まるということで、その下準備をした。単純な作業をこなすだけでも緊張して、体中が凝ってしまった。
 帰り、最寄り駅に着いたとき、小林さんから電話があった。「大丈夫そう?」と。「なんとか続けられそうです」と伝えた。