掌編小説 遠野の残像

 そこはだだ草っぱらが広がり、手前にやたらと新しい小さな案内看板が据え付けてあるだけだった――。

 僕は、怠惰な学生だ。なんとなく受験をして、なんとなく第一志望の大学に合格、なんとなく授業を受け、バイトは短期間のものしかせず、友達と遊ぶのも億劫。毎日をこなすのがこんなにも面倒くさいものになってしまったのは、いつからだったのだろうか。
 大学3年生になり、「就活」という言葉をよく耳にするようになったとき、僕は逃げるようにして新幹線へ飛び乗った。何でもいいから、逃げ出したかった。無意味に逃げ出したところで、この漠然とした不安が消え去ることはない。そう分かっていても、衝動を抑えつけることができず、あるのかないのか分からない一縷の望みを求めて北へと向かった。

「お兄さん、どこから来たの」
「東京です」
 そんな会話でさえ新鮮で、随分と遠くへ来たのだと実感する。
 観光案内所は人がまばらで、僕はほっとした。あまり人と関わりたくなかった。
 受付をしていた初老の男性と当たり障りのない会話を済ませて、レンタルした自転車に跨がる。ふぅ、と静かに息を吐き、ペダルを踏み込んだ。

 汗だくになるほどに自転車を走らせ、ようやくそこに辿り着いた頃には、日の光が最も高い位置から僕を照らしていた。時折、小さくちぎられた雲が光を遮ってくれるのがありがたく、あがった息をそっと整えるのであった。

 自転車を道端に停め、僕はその場に立ち尽くした。そこには、ただ草っぱらが広がっているだけだった。
 座敷わらしがいたという屋敷があった形跡は全くなかったが、僕にはまざまざと思い浮かばれた。人の気配がした。先ほどまであんなに人を疎んでいたのに、今は人の気配が心地良い。そして、しばらくして、座敷わらしが屋敷を去り一族が没落していくさまを想像し、目の前の光景から目を逸らした。
 永遠なんてありえない。分かっていても、今この瞬間がつらい。弱い自分に嫌気が差していたが、そんな自分を認めなくない自分もいて、負の感情が堂々巡りをしている。
 もう、限界かもしれない。そう薄っすらと考えたとき、突風が吹いた。ずっと無風だったのに、と驚き、どこから風が生まれたのかと不思議に感じて、思わず辺りを見渡した。一面に広がった草木が、今もかすかに揺れている。

 東京駅の売店で買ったグミがあることをふと思い出し、ひとつ口に放り込んだ。帰ろう。
 風はあっという間にいなくなってしまったが、ひんやりとした名残りが僕の頬に残り続けた。


1ヶ月前に書いたこの詩をモチーフにして掌編小説を書きました。