選択と集中って・・・

1.ウエルチ氏と関係する概念なの?

 大騒ぎの最中だったので記憶にないかもしれないですが、2020年3月1日ジャックウェルチ氏が逝去しました。一回忌となるのでこの概念を考えたいと思います。氏の名誉回復のためにも、わが国の経営のためにも。
日本の各紙は、
「選択と集中」は80年代以降の企業経営のキーワードとなり
(日経新聞 電子版)
「選択と集中」は多くの企業の手本となり
(朝日新聞)
「選択と集中」を掲げ
(毎日新聞)
上記のように偉業をたたえる訃報を発信しました。
しかし、海外の主要紙の報道には、選択と集中という言葉はでてきません。
CNNをみても、Bloombergeも。つまり、選択と集中という概念とジャックウェルチ氏とを結びつけているのは我が国だけ。いや、選択と集中という概念そのものが我が国独自なのですが・・・

2.選択と集中とウエルチ氏の関係

 「選択と集中(Selection and ConcentrationまたはConcentration in Core Competence)」は、1980年代にGE社のCEOであったジャック・ウェルチが経営学者ピーター・ドラッカーとの対話で考え出した経営戦略である。日本においてはバブル経済が崩壊した1990年代以降もてはやされ、その導入に成功した企業よりも失敗した企業の方が多数あるとも言われているが、今もなお企業の経営戦略として重要な位置を占めている。」(建築雑誌2017年1月)

 一般的にこう思われている方が多いのではないでしょうか。しかしながら、疫病禍報道で埋まる1年前には「ウェルチはフォーカスと言っただけ 「選択と集中」は誤訳 2019.3.28 5:00という記事がダイアモンドオンラインに掲載されそこには「「選択と集中をやっています」と言っていれば褒められる土壌もあるから、なおさらリスクを取らないんですよね。」という指摘がされています。

3.選択と集中がウエルチ氏と無縁の時代

 日経ニューステレコン21で「選択と集中」をキーワード検索すると日経新聞に始めて出たのは1988年「東ソー(下)「選択と集中」の痛み(会社が変わる)(1988/08/19 日本経済新聞 朝刊)ですが、ジャックウェルチ氏には一切触れていません。同社の事業撤退に関するもので「心血を注いだ計画が中途でつぶれ、士気が低下しはしないか、気掛かりは残る。しかし単なる戦線縮小ではないのが救いだとも思う。「選択と集中、いや、集中のための選択なのだ」」とあります。


 興味深いのはその後で、1991年まで日経新聞の記事件数は0件なのです。

そして1991年に1件のみあるのは、花王の常磐社長の談で「花王社長常盤文克氏――必要な仕事を見極めて(回転イス)1991/08/21 日本経済新聞 朝刊 「今年の社内改革運動のテーマとして掲げているのが「選択と集中」「質の革新」の二つ。」なのですが「仕事を選んでそれに集中すれば質も変わるはず」という狙いだ。」とありますがこれにもウエルチ氏と関連付けることは一切書かれていません。 そして、1991年1月1日-1995年12月31日までの日経新聞朝刊の掲載は11件のみ。いずれもGEもジャックウェルチ氏も出てきません。

4.1994年には古びたスローガン

が、興味深い記載があります。この件数の少なさにもかかわらず「古びたスローガン」とされているのです。

「 「選択と集中」。やや古びたスローガンだが、「一ドル二ケタ時代」が経営につきつけている最大のテーマはここにあるだろう。海外で何を生産し、日本に何を残すのか。限られた経営資源をどこに集中するか、を厳しく問われる。(編集委員 野村裕知)」(日本電産、HDD部品子会社を売却――売り時のがさぬ米国流、好業績のうちに手放す。
1994/11/16 日本経済新聞)

 もう一度言います。ここまでGE社ともジャックウェルチ氏とも関連付けた記事は見当たりません。が、古びたスローガンなのです。

5.1999年ウエルチ氏と紐づけ記事掲載

 その後も記事件数はほとんど無い中、突然興味深い記事がでてきます。

「先ごろ東京で開かれた「世界経営者会議」では、米GE会長のJ・ウェルチ氏に人気が集まった。「選択と集中」という独自の経営理論を実践、戦略的な合併・買収や部門売却で、同社を世界有数の企業グループに育てあげた。」(先ごろ東京で開かれた「世界経営者会議」では、GE会長のJ・ウェルチ氏(ふくろう)1999/10/18 マンデー日経)

 記事検索上は日経新聞ではこれが初登場のようです。

6.2012年ドラッカー先生と紐づけされる

「「選択と集中」のウソ――撤退に見合う投資不可欠(経営の視点)」2012/05/28 日本経済新聞の記事で「 今の日本の電機大手は「選択と集中」の名の下に「撤退」を繰り返しているように見える。「メディアも同罪」としかられそうだが、新たな投資の決断を伴わない単なる撤退を、安易に「選択と集中」と呼ぶべきではない。・・・「選択と集中」を唱えたのは経営学者のピーター・ドラッカーで、それを実践したのがゼネラル・エレクトリック(GE)のジャック・ウェルチ元会長とされる。ウェルチ氏が「選択と集中」で売却したのが、当時GE傘下のRCAである。撤退を繰り返したRCAは、ウェルチ氏に捨てられた。その後GEは撤退に見合う投資で復活した。(編集委員 大西康之)

7.ドラッカー先生を紐解くと

 どうも、昔からあった概念がいつの間にか、ジャックウェルチ氏の言動となり、そしてドラッカーまで担ぎ出されたのではないか。そのドラッカーで該当するのは。私は下記しか思い当たりません。『ドラッカー名著集1 経営者の条件 』より

 集中のための第一の原則は、生産的でなくなった過去のものを捨てることである。 そのためには自らの仕事と部下の仕事を定期的に見直し、 「まだ行っていなかったとして、いまこれに手をつけるか」を問うことである。
集中の決定とは戦場の決定である。
この決定なくしては、戦闘はあっても戦争にはならない。
集中の目標は、基本中の基本というべき重大な意思決定である。
資源は限られている。集中することなくして成果をあげることはできない。

つまり、選択と集中は出てきていません。

8.危険な概念「選択と集中」

 先ほど紹介した「「選択と集中」のウソ――撤退に見合う投資不可欠(経営の視点)」2012/05/28 日本経済新聞の記事にあるとおり編集委員の大西氏は「新たな投資の決断を伴わない単なる撤退を、安易に「選択と集中」と呼ぶべきではない。」(編集委員 大西康之)と警鐘を鳴らしています。

 加護野忠男先生は「 企業の成長にとって「種まき」は重要な意味を持つ。 経営戦力の鉄則である「選択と集中」にもリスクがある。 企業は今、もう一度戦略を見直すべきときにきているのだ。」「選択と集中に人々の目が奪われるのは、集中には効果が早く出るという特徴があり、その効果が華々しいという特徴があるからである。選択と集中は企業が危機にあるときに採用されることの多い戦略である。」(加護野忠男(2007)「シャープにみる「選択と集中」の成長と限界」PRESIDENT 2007.10.29号)と指摘しています。

9.歴史を見ると

  どうも新たな投資を伴わない撤退の言い訳としてウエルチ氏の経営戦略と糊塗したのではないか。古びたスローガンを結びつけて。

 当たればいいですが、外れると会社消滅。それどころか意思決定をしているフリの言葉。生存者バイアスとは何なのかを思い起こさせる経緯ではないでしょうか。


 そもそも集中というのは、キャッチアップ先がある=終着点が明確である時代にのみ有効な概念のはずです。しかし今は・・・

 経緯をたどると、短期的思考(Short-Termism)に陥ってしまった思考の言い訳として「ウエルチ氏の」という話にしてしまったようです。

10.大事なのはこの指摘では?

 今日またカタカナ語の人事用語がBuzzってその和製英語の発案者が誤用であると指摘して回ることまで起きています。

大事なことは、前掲記事のこの指摘を見逃さないことかと。

「選択と集中」の適用実態

 日本企業における「選択と集中」の導入は、実体として不採算部門の切り捨て/短期的に利益を確保する理由として使われることが多く、選ばれなかった部署の人心離反や、選ばれるための利益至上主義が利益の水増しや粉飾決算につながった事例もあり、その負の側面が浮き彫りにされることが多い。また、「選択と集中」の発案者であるジャック・ウェルチがGE社で「選択と集中」を経営戦略として推し進めた際は年間15%の社員のクビを切り続けたと言われているが、GE社の場合、従業員の企業年金の過半数がGE株であり、「選択と集中」の結果として株価が十数倍に高騰すると、クビを切られる従業員も大金を手にして退社することになるだけでなく、再就職にあたってもGE社出身であることがむしろ奏功したと言われている。すなわち、「選択と集中」の戦略自体が問題なのではなく、その適用実態が広い視野で長期的に考えられたものなのか/狭い視野で短期的利益だけを念頭に考えられたものなのかが、(結果論的な部分もあるかもしれないが)この戦略の功罪を決めているようにも思われる。(建築雑誌2017年1月)

 無業の一生、莫妄想


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