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ダイハードにゃんこ

食べることができなくなったら寿命 –––
そう考えていたので、いよいよそのときが来てしまったのか…と覚悟した。
あんなに大好きだったちゅーるを妻が目の前に出しても、顔をそむけて食べようとしない。もう食べたくない、という意思が感じられる。
口の中の状態の悪化で食べることが苦痛なのかもしれないし、食べないことで苦しみに終止符を打ちたいのかもしれない。もしそうだったら無理強いはできない。

薬を注射器で口に入れてもこぼしたり吐いたりしてしまうため、薬を与えることもできなくなった。何かあげようとしても拒絶されるように感じて、妻は落ち込む。

けれども逆に水は前よりよく飲むようになった。水飲み場へ自分で歩いていってピチピチ飲んでいる。生への執着を失ったと見るのは早計かもしれない。
そもそも動物が自ら死を望んだりするものだろうか?

薬の効果が切れたためつらそうで、眠ることができないようだ。あっちに行ったりこっちに行ったり、その度にへたり込み、何も食べていないのだからエネルギーもないだろうに、それでも落ち着きなく居場所を変える。

朝方、「そろそろだめかもしれない…」という不安感MAXで震えるような妻のことばに飛び起きてグッタリ動かないルルちゃんを見つめていると、不意にムクッと起き上がって歩きだしたりもした。
ルルちゃんは大きくてチカラも強いし体力があるので、死ぬのも容易ではないようだ。

何も食べなくなって5日目の晩、せめて輸液をしてあげたらどうだろう?と思いついた。腎臓が弱ってしまった実家のネコに母は獣医さんから教わって自分で輸液を2年間続け、そのおかげでクララは老衰で亡くなるまで19年もの長寿を全うすることができたのだった。
もちろんルルちゃんは状況が違うけれど、まだそう簡単に死ねないのであれば少しでもつらさを緩和できるんじゃないかと。

ここで初めて夫婦の意見が分かれた。
弱っているルルちゃんを獣医さんに連れて行くことで消耗させたくないし自然に任せるべきではないか、と妻は反対。確かに連れて行くのは負担が大きいので、輸液をするなら自宅でぼくたち自身がすることになる。
延命することでかえって苦しみを長引かせることにもなるかもしれない。

ぼく自身もそうするべきか確信が持てなかったため、易を切ることにした。
『易経』と出会ったのは留学時代に友人から本を見せてもらったときで、フランス語だったので全然理解できなかったんだけど、帰国後フィリップ・K・ディックの『高い城の男』を読んで改めて興味を持ち易経の本を買って読んでいた。その後スタイリストを引退して易者になった母のために、紙と鉛筆で計算するには複雑すぎる命式表バイオリズム算出のプログラムを書いたことがあったので易はわりと身近だった。

本卦:火沢睽(かたくけい)
之卦:火天大有(かてんたいゆう)

火沢睽は「反目」「意見の食い違い」を表しまさに今の状況だけれど、火天大有は表面的に見れば「おおいにたもつ」とても良い卦だ。
爻辞は「初めはうまくゆかないが、最後には保護者を得る」、微妙だけど変爻がポジティブな火天大有であることに縋りたい。

そんな折、妻がマヌカハニーを溶かした水を注射器でルルちゃんに飲ませたところ、この注射器からおいしい水が出てくることをやっと理解してくれて飲ませやすいように顎を上げてアムアム飲んでくれた!
「飲ませる私も飲まされるルルちゃんも上手くなった!」と喜ぶ妻。飲むとルルちゃんの眼に光が戻る感じがするそうだ。
「じゃあ痛み止めを混ぜてあげてみて!?」とぼく。これがいけなかった。
結果的に大量の血の混ざった水を吐いてしまった。妻は「ごめんね、ごめんね」と大泣き…。
この様子を見て、安楽死させることを検討しなければいけないのかもしれない、という考えが浮かんだ。冷静にならなくては。

かなりの時間グッタリしていたルルちゃんだけれど、暫くするとトイレをぴょん!とまたいで妻を驚かせた。まだそんな元気が残っているんだ!?
本当にダイ・ハードなタフにゃんだ。

そして翌日、ルルちゃんが今まで聞いたことのない鳴き方をした。カタカナで書けないけれど、何かを頼むような、訴えるように何回も。
それはずっと静かに耐えていたルルちゃんの、初めてのSOSだった。
そしてそれは、「コロシテ」ではなく、「タスケテ」としか思えなかった。




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