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結果に至る前の貢献には自分では気づけない。

以前、部下と期末面談をする際の心がけを書きました。

そして、先週、部下たちとの期末面談が終わりました。

色々と意見交換ができて、有意義な時間だったのですが、そこで気づいたことがあります。
それは、「みんな自分が仕事で発揮した付加価値に気づけていない」ということです。

業績については、まず自己評価を申告してもらうことになっています。そうすると、例えば目標は「業務マニュアル作成」だったとして、実績を申告してもらうと、「マニュアル未完成でした」となって、未達成です、と言ってきます。

確かに、目標であるマニュアルの完成品は出来上がらなかったですが、それですなわち評価に値しないということでしょうか?

評価に値しないということは、「会社の業績に貢献しなかった」ということになります。

果たしてそうでしょうか?
わたしから見て、そんなことはありませんでした。

今回の「業務マニュアル作成」という意味でいえば、例えばそのプロセスには「業務の棚卸」「今の事業環境に合わせた業務の要否確認」「作業の見直しによる効率化」など、様々なものがあります。

このプロセスをしっかり踏む中で、業務の無駄な作業が見つかり、そこをしっかり対応して業務を見直すのに時間がかかってしまったのならば、それは決して成果を出さなかったわけではなく、業務が見直されて効率化されるという貢献をしていることになります。

でも、そのように説明できていないんですよね。
だから、面談ではやってくれたことにそのような意味がある、貢献してくれているということを伝えます。

このように、自分で気づけない原因としては二つあると思います。

1.上司が仕事の目的、意義をしっかり説明できていない。

今回のマニュアル作成にしても、ただのマニュアル作成ではなく、仕事の目的や負荷などを整理して、見直してほしいという意義があったのですが、それが伝わっていないので、マニュアルができたかできていないか、というところだけが申告されてしまったと思います。

2.仕事のプロセスでどれだけ組織に貢献できたかイメージできていない。

先ほど述べたような、仕事の無駄を見つけるようなところについて、「無駄を見つけたけど対策まで取れていない」など、結果をどうしても見てしまうところがあります。でも、気づきを得て発信できれば、それの対策を取るのは別の人でもいいわけです。

それよりも、埋もれていた課題を見えるようにしただけで、かなりの貢献をしているのですが、そこに気づけません。

どうしても結果ばかりを求めてしまいますが、組織では役割が分かれていますから、自分がすべてを片付ける必要はなく、周囲に発信するだけでも十分役割を果たしていることがあります。自分の仕事の範囲だけを見ずに、その前後まで俯瞰的に見ればわかる自分の付加価値も、なかなか気づけません。

本当は組織に貢献しているのですから、自分で結果が出せていない、と卑下せず、貢献できていると主張すべきですし、そのような貢献を意識的にすべきです。

意識的に貢献を再現するには、行動しているけれど気づけない自分の付加価値というものを自覚する必要があります。そしてそれを気づかせてあげるのは上司の役割だと思っています。

また、自分自身が気付くために、できるだけ多くの関係者にフィードバックをもらうようにする必要があると思います。

私も、成長の範囲を自分で狭めないように行動していきたいと思います。



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