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それが私の、『今』noteを書く意味になる


2021年最後のnoteは何を書こうかと迷った。前回書いた7000字の偏愛noteで終わろうかと思ったけれど、やっぱり自分の心情を書いたものでカッコよく締めてみようと意気込むことにした。

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2021年は楽しかったこともたくさんあったけど、社会人になって1番しんどかった1年だった、気がする。それは4年半付き合っていた彼氏と別れたことがめちゃくちゃデカい。つい最近のことなのに、1年分、いやそれ以上の辛さがドーンと背中に乗っているせいだ。

辛い出来事を、インターネットに載せるのは難しい。できれば全世界からは幸せだって思われたい。だからみんなインスタのストーリーに盛れた写真を載せるし、楽しかった出来事を切り取って幸せアピールをする。

もちろんキラキラした出来事ばかりじゃないこともよく見る。noteは良い意味で、ネガティブな経験話も多くて深く読んでいる。

でもその辛い出来事って、インスタのストーリーみたいに簡単に載せられるものじゃない。何度も推考するし、書きながら涙を流すし、『私可哀想アピールですか?』みたいなクソリプ被害妄想もする。

だから天才文筆家じゃない限り、人は、辛い出来事を『笑い話』にできたときに、はじめて辛い話を載せることができると思う。

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でも私は2021年に気づいたことがある。

私はなんで『今』noteを書いているのか。続けているのか。私のプロフィールに書いているとおり、『20代を大切に記録するために』だ。

辛い話は書きにくい。インターンがつまらなかったと書いたnote。就職試験に失敗したと書いたnote。夏フェス会場付近で銃を持った男が逃走して夏フェスが中止になって怒ったnote。全部全部泣きながら書いて泣きながらボツにした。まだ自分の文章力がなくて、うまく伝わらないだろうと拒んで、いろんな被害を恐れて書けなかった。

もうちょっと文章が上手くなってからとか、笑い話にできてからとか、とにかく『今』の私から逃げていた。

それでももちろん良いと思う。それが私の書くスタンスならば、なにも悪くない。

でも意外と、辛い話が笑い話になる前に、本当に辛かったときに『辛い』と吐き出すことも大事なんじゃないかなって思い始めた。

それが私の、『今』noteを書く意味になる気がする。

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何度も考えたし、何度もnoteにしてきた。なんで、現在23歳動画世代の私が、noteに文章を書き続けるのか?ということを。

上記のnoteには、『投稿に重みがあるから』と書いた。

投稿に重みがあるnoteだからこそ、大好きを書きまくった偏愛文章も、泣きまくった失敗談文章も、全部全部全力で書きたい。23歳の『今』しか書けないから『今』書きたい。

頑張って書いたのに『全然スキがつかないじゃん・・・』って落ち込みたい。ヒョヒョイと書いたものがいろんな人に読まれて大喜びしたい。だから簡単に投稿したくない。何度も時間を重ねて創作を楽しみたい。

さっき書いた『4年半付き合っていた彼氏と別れたことがめちゃくちゃデカい。』という文章も、1ヶ月くらい迷って消して泣きながら書いた。でも今、やっと書けてよかった。後悔はない。だってこの辛い感情は、『今』しか書けないから。この感情は10年後にはきっとない。今しかない価値を、私はこれからも大切にしたい。

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2021年の最後に、このnoteが書けて幸せです。2022年は、楽しいも辛いもリアルに書いて、『今』しか書けない文章を書いて最高な1年にします!

そしてnoteを読んでいただいた方、仲良くしていただいた方、本当にありがとうございました!2022年もよろしくお願いします!!!



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