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気にすることをやめるとまわりが変わる

年度末は忙しくてあっという間に一日が過ぎてしまう。

昨年から仕事でゴタゴタがあり、心身ともに疲弊しているのだが、最近その件であまりにも理不尽なことがあり、腹立たしく、休暇中でもそのことが頭に浮かぶ。

怒りというものは、さらに自らを疲弊させる上に、他のことにも集中できなくなるやっかいなものだ。

ぶつかってくる人は、以下の点が考えられる。

  • 追い詰められている

  • 仕事や家庭でうまくいっていない

  • 体調が悪い

  • 心の病

  • 病気

何かしら不満があると、無関係な人に当たる人は割合多い。
心身の不調もイライラに繋がるし、認知症の傾向がある場合も怒りっぽくなるらしい。
心の病(後に判明)の方が突然怒りっぽくなったのは実体験している。

何かしら原因はあると考えられるが、それでも客観的にみて、不誠実だったり、他者のことを一切考えない言動は決して許されないことだと思う。もちろんそれは病気だと仕方はないが、他者の人生を変える恐れのある場合は仕方がないでは済まない。

というようなわけで、あれこれ考え、今回の件は、何が原因だろうと他者に不利益をもたらすことであり不誠実なことなのではないか、という結論に。

しかし私の立場ではどうしようないし変えることはできない。ならばもう自分はどうなっても構わない、でも意見は言うだけ言おう。ということにした。なるようにしかならないし、最後に不誠実が勝つならそこはそれだけのものだ、と。

無になる

一度切り離してしまうと不思議と休暇中にその件が浮かんでこない。
自分の時間は自分のものだ。

もうどうでもよくなってからしばらくして、不思議なことに歩み寄る姿勢が全くなかった相手から妥協案が出された。

さらには不誠実に進められないよう、うまくシステムが構築されるような話しも進み、私が最も懸念していた「他者へ与える不利益」といものが完全ではないが最小限にとどめられる可能性が出てきた。

「怒る」ということは「相手と同じ位置にいる」と誰かに言われたことがある。
怒る相手と同じ位置にいるなんて許すまじきことではないか!
それからは腹の立つことがあっても(しばらくはやはり怒ってそのことばかり考えてしまうが)冷静に客観的に分析するようにした。

なかなか難しいことだが、自分の考え方が変わることで、相手はおもしろくなくなるのか、そもそも位置が変わるのか、不思議とぶつかってこなくなることが何度もあった。

もちろん自分が間違っている場合は素直に謝りましょう(笑)

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