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「本物」で、他人の「好き」を否定するとは。

これはちょっと、思い出したはなし。

岡山の観光地には、備前焼のお店がたくさんあり、わたしは散策がてら、ぐるっと器探し。

たまたま入った小さな備前焼屋は「本物」を売りにしていました。ショーケースには、多種多様な備前焼が並んでいるのです。来店すると店主はすぐにその一つを取り出し、説明を始めました。

「……本物は手間が掛かりすぎるから、産業としては成り立たないんです。だから、こういったものは、文化と考えるのが妥当なんですね」
「……、なるほど、そうですか」
「よく、値段が高いんですね、って言われるんですけど、実はそういうのが理由なんです」
「そうですか」
「だからね、あなたには、本物の備前焼がどういったものを知ってもらいたいんですよ」
「うーん」

店主からはどうも、押しが強い印象を感じました。だけれどもわたしは、商売の一環として、そうしているんだなと、何となしに考えていました。しばらくすると店主は「本物」の備前焼に関する講義を始めました。

「電気窯じゃ、まずこの質感は真似できないんですよ」
「そうですか」
「この焼き物、触ってみてください。……気付きましたか?備前焼にしては、絹みたいな触り心地でしょう」
「たしかに」
「これは、とても良い土を使っていて、かなり昔の作品で……」
「うー、ああ、ですね」

ここまで来ると、この店主は備前焼に、ただならぬ愛を持っているんじゃないかと。そう思ってしまいました。ああこれ、捕まってる。

「でね、あなたには本物の備前焼を知ってもらいたいんです」

繰り返しこのワードが出てきます。つまり、買って欲しいということです。けれども、ふらっと寄ってみただけなのが、わたしの中での本音。

「ごめんなさい、ちょっと色んなところを見てから、また購入考えます」
「ああー!それはやめておいた方が良いですよ」

店主は引き止め、器をまたいくらか取り出します。

「他のところの備前は、まず本物じゃないからね、それは間違いない!わたしが断言する。あなたのために言ってるんですよ!本物を知ってしまえば、他のものが本当に安っぽく見えますからね!買えなくなると思うなあ」
「…………」
「ええと、ちょっと時間なので帰ります」
「いつか本物がわかった時、あなた、損しますよ〜」
「かも、しれませんね」
「あれ、もう帰るの?」

そそくさとわたしは階段を降りました。

「またおいで〜よ」
「機会が あれば」



わたしはネコちゃんの備前花入れをカバンの中に入れていました。ここに寄る前、別の備前屋で買っていたのです。おそらく電気窯で作られていて、店主の言う「本物」ではありません。
それでもわたしはそれに「好き」を感じたのです。「本物」と言われる基準ではない、また別の違った良さが、そこにはあったのです。

もちろん「本物」の器には、個性が宿っていました。電気窯ではないので、温度が安定しないのですが、そこから偶然生まれる色や質感は、非常に素晴らしく、店主が強く勧めるのも分かります。


だけれども「本物」で、他人の「好き」を否定してはならない。
見えないところでは、人の心はこういうことに、なっているのである。

見上げれば大空が。見下げれば大地が。 俯瞰の位置では、多くを見ることができる。