自分のことを分かっているというのは錯覚なのではないか
2020/09/16 晴れ
自分を客観視することは可能?
今日は、最後に古株の生徒が1人残った時間帯があったので、勉強は早めに切り上げて、塾の課題について、話してもらった。
もしかしたら、自分が見えていない課題や、見えているけど軽視している課題があるのでは、と思ったからだ。
まず、そういう説明をして、いくつか挙げてもらった。
・合わない生徒には冷徹なときがある(ごめんなさい…)
・先生が1人でキツキツなのでは?
・部屋が狭い
・生徒に自由にしすぎ
といったことがあがった。
自分が思っている課題点とは違うものが挙がったので、とてもおもしろかった。
特に、自由度に関しては、盲点だった。自分自身、あれこれ指示されるのが大嫌いだから、他の人もそうだろうと、無意識に思い込んでいた。
しかし、そもそも勉強が好きではない生徒は、自主的に勉強しない。だから、強制してやることをカッチリ決めてもらった方が、勉強しやすい生徒もいる。
というか、そっちの方が多いと言っていた。その発言自体も、その生徒の主観的なものではあるかもしれないが、当てはまる可能性も高い。
自分自身が、自由度の高さを重要視していることは自覚していたが、それを塾の方針にしているつもりはなかった。
しかし、実際のところ、自由度は確かに高い。見方を変えれば、ガバガバな管理体制とも言える。それで伸びる生徒ももちろんいるが、俺が頭を悩ませている生徒たちは、もしかしたらそれが原因かもしれない。
塾は、基本的に勉強ができない生徒がくるから、勉強が好きでない可能性は高い。ということは、自主的にしないから、自由にしたら、勉強しない。
その、自由と強制をコントロールできていないのが、今の自分の塾の大きな課題点かもしれない。無意識に自由の方がいいと思い込んでいた。
自分にとって、当たり前である自由度というキーワードは、当たり前すぎて意識できていなかった。そこに課題点があるとは気づけなかった。
このように、自分が思い込んでいたところに、課題があった。思い込んでいることは、自分ではなかなか自覚できない。
自分が自分を正確に客観視することは、不可能に近いのではないかと思った瞬間だった。
また、自分を客観視するのと、自分を自覚するのは、大きな違いがあると思った。
客観視は、他者目線から自分を眺めること。
自覚は、自分で自分を見つめること。
後者は日頃からしているから、自分のことを深く理解できている点もあると思う。
しかし、自分が他人を見るように、自分のあるがままを見るというのは、ものすごく難しいし、多分自分はそれがものすごく苦手なのだと思った。
だから、見えてないところは、見えないままであることが多い。
苦手な事は、無理にやろうとしない。人に聞こうと思う。そこから、新たな自分を発見でき、更に自分を理解できるようになると思う。
自分が今思っていること、当たり前だと思っていることを相対的に把握するには、人と意見を交換することが重要だと痛感した1日だった。
以上🖐️
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