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己の醜さを愛している

音楽を聴きながら書いたので
流しながらお読み頂ければ幸いです。

時々言われるんだ
あのきゃらをさんといわれ方

それは好意的だけども
実際はそれほどスキがあるわけでもなければ
読まれているわけでもないのに

不意に違和感を覚える
どこかで
「俺みたいなものが・・・」
という自己肯定感は
高かったり、低かったり

欲望に負けそうになることはある
エッセイを書くとき
それなりにイイことを書いている
クオリティーという意味では
内容の有無はともかくとして

読んで爽やかになるようなものは
意図して書いているとき
そこそこ自分の才覚は認めている

だから
ふと思う事があるんだよね
誰でも彼でもフォローをして
まずを知名度をあげたら
俺は何者かになれる速度は
あがるんじゃないか?と

それが出来ない自分を誇るのではなく
どちらかというと
どうしてもそれが出来ない自分を
恨めしく思う事の方が強い

だって嫌じゃない?
フォロバ100をつけてる人から
フォローされても
誰でもいいのねってがっかり
してしまう俺がいるとき

同じように誰かをがっかりさせてしまう

散々ゲーム記事をあげたけど
なんか飽きた時に
時間を持て余すけども
昔のようにnoteで知名度をあげてやろうと
必死になる俺はすでになく

ただ、暇つぶしで記事を
連投しているだけ

音楽をつけて記事を書くとき
感情がでやすくて
そういう記事は読みやすい・・はず

言うなれば雰囲気だけで
北に風が吹けば北にいき
南に風が吹けば南にいく

みんなで盛り上がってる素敵な
noteを見れば羨ましいと
思う俺は既になくて

疲れないかな?と思ってしまう。

人はそれほど人に関心はない
そこを前提に組まない
交流はきっとあとで先細りする

期待をすれば
失望が待っている

そんなことを繰り返し
今日もゆっくりだったり
少し早歩きしてみたり

冒頭に音楽を流してと案内する
俺のこのnoteは異質なのだろう
けど

それで誤魔化せる
そんな事を毎回思うと
がっかりよりもにんまりしてしまう

狡いと好意的にいわれたこともある
そう。それこそ意図するところだ

人は様になろうとなるまいと
様になっていく
そういう風にできている気がするな
音楽で演出が増す。

少し切ない記事を書いたのは
少し切ない音楽を聴いただけの事

雰囲気を楽しんでくれれば
それでいい。

息詰まる時には思い出して欲しい
もっと楽な呼吸はあるよ

呼吸を苦しくするのは
いつだって自分であるということに
気づけたのなら

きっと人生は歩きやすい

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