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産業の中におけるアート(芸術系技術職種)という考え方

目次

1.世界のデジタルイデオロギー
2.日本の教育におけるアート
3.私が思うアートの定義
4.アートを安定する仕事にするには(芸術系技術職種という考え方)


AI, 5Gなどの普及により急速に変化する社会の中で、日本はいまだに高度経済成長期の栄光にすがるような構造といっていい状況である。特に教育は一番深刻で、人海戦術で大量に仕事をこなす時代は終息しつつあるにも関わらず、いまだにドリル式の計算問題や暗記問題という「間違えないための教育」から変革できていない。答えを求めたり手を動かすのは機械の時代。それどころか考えることでさえ、その一部は膨大なデータから分析し最適解を導き出すAIが担うのだ。代わりに価値のあるモノを創造する妄想力やそれを実行する実行力が必要となる時代である。残念ながら大量の産業兵隊ロボットを作ってきた今までの日本の教育ではこの両方が培われていないのが現実である。そこで私は自身も含め日本人が学び損ねたアートというものに可能性を感じた。

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1.世界の情勢とデジタルイデオロギー**

今学ばなければならないことを探す前提知識として、現在の世界の流れをつかまなければならない。世界は2015年9月に国連で開かれたサミットの中で世界のリーダーによって決められた、国際社会共通の目標に向かって、あるべき地球に向けて動き出している。落合陽一さん著の2030年世界地図帳によるとこのSDGsを語るうえでは、4つのデジタルイデオロギーとSDGsの関係の理解が不可欠である。

4つのデジタルイデオロギー
① アメリカンデジタル・・・GAFAM・イノベーション⇒革新を積極に行い、情報を掌握しコントロールする世界。プラットフォーマーとなりうるトップランナー。
② チャイニーズデジタル・・・国家・労働力・市場⇒国家の保護のもと、自らの巨大マーケットでアメリカ技術を応用してつかう世界。コスト競争で戦う。
③ ヨーロピアンデジタル・・・歴史・思想・ブランド⇒法と倫理(GDPR:EU一般データ保護規則)で抑制する世界。抑止力と誰も到達できない価値を創造する。
④ サードウェーブ・・・ループブロック、リバースイノベーション⇒インフラが整っていなかったが故に、急激に最新技術が浸透する世界。棚から牡丹餅だが、そこから急速に力をつける可能性がある。 
(※全て私の記述であり、完全に引用しているものではないので注意)

 この4つのイデオロギーの中で、SDGsを使いこなそうとしているのがヨーロピアンデジタルである。SDGsは環境や文化や人権などあらゆる人間的な英知を結集して、”あるべき姿”を提唱していくものであるが、ヨーロピアンデジタルは深い歴史に裏付けられた文化的な思想をもって、SDGsの先導を切って世界をうまく導こうとしている。ヨーロッパは環境先進国(ESG投資(環境、社会、企業統治) に優れた企業に投資していく考えなど)であり、長い歴史の中で列強として世界に仕組みや考えを浸透させ、他社が追従できない独自のブランドを作り上げてきた。(スイス・・・ロレックス時計、等)人権という考えもヨーロッパから生まれ、世界のスタンダードとなった。こういった環境・歴史・美徳・倫理観といったものは、比較的豊かで文化の培われた時間が長い国でないと作り上げにくく、まさに日本は世界で独自の地位を築ける立ち位置に居る。したがって、SDGsを使い倒す、今日本人一人一人が取るべき戦略なのである。

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2.日本の教育におけるアート**

 私は、豊かで高度な環境・歴史・美徳・倫理観を培ううえで不可欠なのはアートの存在であると考える。この分野は多くの日本人が学び損ねており、アートの介入による世の中の改善可能性は未知数である。学校の授業では、描き方や作り方は教わるが、意義や将来への活用展開などは教えられない。また、日本の授業ではアートは音楽、美術などと分かれており、アートの領域が不明確なのである。つまり、アートの定義すらあいまいなのである。また、通常絵がうまいと通知表は5になるが、それは必ずしも世界で価値があることではない。世界観や問題提起に価値がある。こうした考えは、アート以外でもやどっているため、「労働時間と技術の向上」≠「価値の対価」をしっかりと根付かせなくてはいけない。私はアートの定義は、今の多くの日本人が持っているものよりも広義であると信じており、一般企業の仕組みや工業製品をも変えていけるアイテムであると信じている。

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3.私が思うアートの定義**

私は、学校教育においてアートはなんとなく創造性とそれを形にする技術であるとインプットされてきたように思う。筆の持ち方を教わり、題材を選んで絵を描きなさいと言われ、といった感じだ。しかし、今思うアートは少し具体的になり「自分で判断して、創りきることができる能力」と考える。それは日常のあらゆる場面で必要とされる。家具を買うにしても色彩の持つ力を理解していないと選択ができず、会社でプレゼンをするにしてもイラストが配置も決められないようでは資料も作れない。そして創りきる能力、これは必要あれば他人の手を借りてもよいと思っている。とにかく自分で事を回して作り上げることである。世界は情報やアイデアがネットにただ同然で出回り、単純作業は機械やAIが行う。この時代に求められることは、それらを駆使して独自の物を創り上げることであると思う。

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4.アートを安定する仕事にするには (芸術技術系職種という考え方)**

 アートを仕事にするには、もちろん創作して売れば良いのであるがそれで生活するのは大変、その他としてまちおこしの起爆剤とするなど様々な活用がされている。しかしながら、これらはパトロン感が強く行政の担当がアートに理解が深いかどうかで決まってしまうなど、ほかの産業と比べて生活に安定がない。地方における産業は大資本以外ではマイクロビジネスしか成り立たないのが現状で、ここへのアートの介入は事実上行政の支援しかない。そこでアートが自ら産業となるもしくは産業構造に組み込んでいくことはできないかと考えた。つまり、機械や電気、情報、土木、建築などの技術系職種と同様にアートを技術として産業に組み込む。これを芸術系技術職種と定義付けてみる。

 あらゆる産業で、ビジネスマンはベストな企画を求められる。多くの場合彼らは会議室に缶詰めとなり、ネットサーフィンをし、本を集めてきて情報収集をする。しかしながらご承知の通り、多くの実験結果では会議室で独創的で革新的な企画が会議室で生まれるということはほとんどないことを示している。ネットや本も誰かが書いた記事を探しているだけ、つまり類似品を探しているのである。ではアートはどうだろうか?アートは技法や理論等を一通り学んだ後は独創性で勝負し、創った世界観を培った技能を駆使して作品を完成させる。これはまさに現代に求められた「妄想力やそれを実行する実行力」ではないだろうか。

独創的なアイデアを企画する専門職としての芸術系技術職種の価値

 資本主義経済としてはアートを組み込む意義を定量的で示すことが一番説得力がある。ここでアートが定量的に効果を示せるなら、介入ができるのである。先の例であれば「町おこしの起爆剤にアート」ではなく、まちおこしコンテンツを作り上げていく過程の企画役として乗り込むといった感じである。

 これまでアートで飯を食べていける人というのは、「絵を描ける人」や「彫刻が掘れる人」と言った「アウトプットがアート」の人に限られていたように思う。これは他の技術者でいうところ、土木屋は橋やトンネルしか作らず発電所の発電機基礎は機械屋が作っていると言った感じであろう。アウトプットのジャンルと、それを作るために必要な技術のジャンルはイコールとは限らない。餅は餅屋がいいに決まっている。独創的なアイデア創出はアイデアマンにさせるのが一番いいはずなのである。今の状況は、逆に言うと価値を知られていないまたとないチャンスである。アートの価値というものを自分の身近に再発掘して活用していただきたい。

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