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仏教福祉 総論

仏教は一言で言うならば『慈悲』の宗教である。

社会福祉は非常に範囲が広い。法律のような制度的側面や、現場の介護職員、ボランティアのように実際対象者自身に最前線で接している人もいる。しかし、法律などと最前線で接している人も基本的な理念は同じである。異なってはならない。人間関係の構築はいつの時代、どこでもいかなる場合でも社会福祉の根幹をなす。あくまで相手と自分のためである。

仏教は一言で言うならば『慈悲』の宗教である。仏教辞典によると『慈悲』とは、『特定の人に対してだけでなく、すべての人に友情を持つこと(慈)、苦しんだ人が同じ苦しみを理解し、同感し癒すこと(悲)』とある。
また、仏教の人生観として『無常観』と『無我観』がある。
『無常観』とは、全てが同じ状態にとどまっていず、永遠に存在するものはないということ。
『無我観』とは、わたしという存在を捨てること。とらわれをなくすこと。

この『慈悲』『無常観』『無我観』そのまま社会福祉の根幹ということができる。なぜなら両者とも人間が対象になっているからである。ブッダは人間である。人間から悟りを開き人格の完成を成し遂げた人物である。つまり仏教は人間としてその人格完成に向かう人間の宗教である。対象として考える存在は人間である。

社会福祉活動の対象も人間であり、人間のみが行う行為である。最も重要な特質は人間関係の相互性を現実的に正しく認めることにより、その相互的な共同生活の中で人格完成を目指し、互いに自(無常)、他(無我)の価値を高めながら人間相互の結合を維持、拡充することを意図するところにある。
自分と他人という存在を認めながらその人格完成に一歩一歩近づいて行く。人間であるからその存在を相互に認め、価値を高めながら歩んで行くことこそが人格の完成につながる。

日本仏教は現在多種多様な宗派に分かれている。しかし基本的には全ての宗派において、完成した人格者であるブッダに対する帰依の心を中心とする。

ブッダに対する帰依の心を持つことはブッダの前で皆同じということである。むろん、身体にハンデキャップを持つ人、高齢者、子どもも大人も男女もない。そういう区別は一切ないということである。一切の区別なく生活しているわけであるから、人と人が助け合うのは至極当然であり、価値を高めながら歩んで行くことが人格の完成につながる。即ち、仏教の菩薩行でありいわゆる修行である。また、この姿勢が社会福祉のあり方であり、理想形であり、意義目的である。ここで仏教原理と社会福祉原理が根本的な一致をみる。

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