ブッダの生涯⑸ 出家、修行の日々
・出家
ブッダはヤショーダラー妃と結婚した。ヤショーダラー妃についてはよくわかっていないが、コーリヤ族の出身だともつたえられている。ブッダの結婚した歳はだいたい18歳ごろとされている。ヤショーダラー妃は計算上10歳ごろ結婚したとみられる。
29歳のとき2人の間に一人息子、ラーフラが生まれる。『ラーフラ』とは『束縛、障害』という意味で、我が子ですら出家の道を探るブッダにとっては自分を束縛する存在だったのかもしれない。
ブッダは出家以前においては外面上何不自由ない生活を送り一般の人びとと同じような人生を送った。そしてやがてはシャーキャ族の指導者となることが期待されていた。
『樹下観耕』『四門出遊』の経験を得て(物語として形式化されているが)ブッダが少年時代から人間の生、老、病、死についてあれこれと思いめぐらし、また当時盛んになりつつあった『沙門』に強い関心を抱いていたことを伝える事柄であろう。この思いはついに抑えがたくブッダは出家を決意した。
出家は29歳の時だった。ある夜、妻子に別れを告げ従者チャンダカを伴い愛馬カンタカにまたがって密かに城を抜け出した。しばらく行って彼らは森の中に入り髪を剃り、法衣に着替えて沙門の姿になった。そこで従者チャンダカを城に帰らせさらに南へ向かった。愛する妻子や家族に別れ、富と名誉を捨て乞食遊行の生活に入ることはまさしく「大いなる放棄」であった。こうして世俗にかかわる一切を放棄して、少年時代より抱き続けた人間の大いなる苦悩を解決するため、ただひたすら修行を始めたのである。
・修行
沙門となったブッダは南へ向かった。当時の新しい文化の中心地であり、沙門やバラモンがいるマガタ国の首都ラージャグリハを最初に目指した。
この時代の沙門たちの修行には2つタイプがあった。1つは『禅定(ぜんじょう)』で、もう1つは『苦行(くぎょう)』だった。ブッダはまず2人の仙人から禅定を学んだ。最初にアーラーダ・カーラーマの元を訪れた。この師から『無所有処(むしょうしょ)』即ちなにものも所有しないという「無執着」の境地を学ぶ。続いてウドゥラカ・ラーマプトゥラのもとで『非想非非想処(ひそうひひそうしょ)』の境地に至る修行をした。この禅定は「想いはない。想いがないという想いもまたない」という境地である。
ブッダはしばらくしてこの2つを会得した。が、ブッダは自分の悩みを解決できずに2人の元を去った。
禅定だけでは人生の根本的な苦悩を解決できないとした。なぜなら禅定している時は心の平静さが保たれるが、やめるとまた以前の苦しみや悩みが戻ってくるからである。
禅定の次にブッダが求めたのは『苦行』である。苦行は自らの肉体を極度に抑制して、強い意志力を鍛錬し、それによって精神的な自律を得ようとする修行である。
ブッダは苦行林にはいり6年間修行に励んだ。ブッダは苦行林に住み、人間の耐えうる限界まで様々な苦行を試みた。主なものとして……
①心を制御する苦行
②呼吸を止める苦行
③断食による苦行
などであったと伝えられている。
しかし、ブッダは苦行を徹底的に試みたにも関わらず、究極の心の安定を得るに至らなかった。また苦悩の根本的な解決を得るにも至らなかった。そこで次第に苦悩の無益さを知るようになった。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?