見出し画像

何に傷付けられているのかわからない、アメリカでの日々。

何に傷付いているのかわからない瞬間が、アメリカに来て何度もあった。

すれ違う人に舌打ちされたとき。

私の前に並ぶ人たちには "Thank you. Have a good day!" と言っていたレジの人が、私には何も言わなかったとき。

他の保護者とはいつも軽口を叩いている保育園の先生が、私とは挨拶しかしないとき。

私がアジア人だからなのか
私の英語が下手だからなのか
知らずにマナー違反をしてしまっているのか
誰に対してもそんな態度の人に遭ってしまっただけなのか

何が理由なのか、何に私は傷付けられているのか、わからない。

理由が分かればちゃんと傷付くことができるのに。
ちゃんと傷付けば、ちゃんと立ち直れるのに。

嫌なやつに会ってしまった不運を呪ったり
もっと頑張ろうと自分を奮い立たせたりして。


先日、娘の担任の先生が企画したプールパーティーがあった。
近所の小さな屋内プールを貸し切ってクラスのみんなとその家族で遊ぶ、というもの。

こういった大勢の集まるイベントはいつも緊張する。惨めな思いをするんじゃないかと思って。今まで何度もしてきたように。

一辺が25mもない小さなプールはガラスで仕切られており、中は空調が効いて少し暑い。子どもたちはプールのスタッフに任せ、親はガラスの外から見守る。

孫3人を連れてきたおばあちゃんは誰とも交流する気がないようで、端っこの椅子に座り、全員と距離をとっていた。

担任の先生は保護者数名と談笑している。

私は、隣に座るママさんに話しかけた。「息子くんは、次のセメスターもこの学校に通うの?」
「うん、その予定。義母が希望してるからね。でも夫は公立に入れたいみたいだし、私は本当はホームスクールがしたいの。」と彼女は答える。
「そっか、みんな希望が違うのね。」と私が相槌を打つと
「そうなの。ねえ、あなた達は次のセメスターは続けないのよね?」と彼女は、向かいに座る他のママさんに声をかけた。

そこからは彼女たちだけで話が展開されていく。話すスピードもテンポも早く、私はついていくのに必死。内容も6割くらいしかわかっていないので、会話に参加することができない。彼女たちも、私に話を振ってくることはない。

自然に私は蚊帳の外になり、彼女たちはこちらに目もくれなくなる。私は居心地が悪くなり、なんとなく体の向きを変える。変えた先に何があるわけでもないけれど。

惨めで情けない気持ちでいっぱいになる。

会話についていけない自分の英語力も
わからないなりに喰らいつく気概もないことも
ママさんたちに気にかけてすらもらえないことも。

何が。何が違ったらこうならなかったのだろう。英語が流暢だったら?それとも英語以前に私の表情や振る舞いに至らないところがあったのだろうか。

何が。


傷付くたびに「なぜこんな目に遭っているんだろう」と思いを巡らせる。でもそこに答えはない。負の感情の螺旋階段をずんずんと降りていくだけだ。

原因を自分に見つけようとするなんて不毛だ。知らず知らずのうちに相手に無礼を働いていたならいざしらず(その可能性がゼロでないことが厄介なのだが)、たいてい私にはどうしようもできないことだから。

わかっているのだから傷付かないでいられたら簡単なのだけど、そうもいかない。私はきっとこれからも同じような場面で傷付き、その正体を不毛に悩み続けるのだと思う。

そこに費やされる不毛な時間とエネルギーを考えるとうんざりするが、傷付くことには慣れたくない。

傷付けられる自分を「そんなもんだ」と思いたくないし
傷付けてくる社会を「そんなもんだ」とも思いたくないし
傷付いた誰かに「そんなもんだ」とは絶対に言いたくない。

だから今日も私は、惨めで情けない思いをするとくよくよする。どうすればよかったんだろうと思い悩む。
その時間が誰かを傷付けないことに繋がっていると信じて。


この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

サポートいただけたら嬉しいです♡ いただいたサポートは、書籍購入、もしくは仕事と育児の合間の癒しタイムに使わせていただきます…!