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泣ける小説 今日から

「えーん。」
電車の中で幼児が泣き叫んでいる。
もう電車に乗ってからずっとだ。その子のお母さんはバツが悪そうな顔をしている。
それでも僕は正直早く降りてくれ、頼むから静かな空間でいさせてくれと思ってしまった。
自分でもなんとなく悪く感じているけど、それでも僕の気持ちは静かにしてくれ、その気持ちが大半を占めている。周りを見渡せば、僕と同じようにしかめっ面の人が多くいる。

「チッ」
小さな音だけど舌打ちする人がいる。まあ僕もこんな気持ちだからこの人の気持ちも分からないでもない。
夜8時、外見はサラリーマン、疲れて静かに家に帰らせてくれ、それがあの人の気持ちなんだろう。そうとは違う状況にした幼児が憎い。立場を考えると文句を言えないから、あれがせめての反応なのだろう。周囲もそれを理解している。

5分を過ぎても、幼児は止めることを知らない。
そうか、あの幼児にとってはこの泣くという行為が仕事なのかもしれない。それを今は叶えられない母親がいる。でも自分の思いを分かってもらう為に泣き続ける。
そう思ったら、あの子の行動も納得出来る。

それに引き換え自分はどうだろう。
そんな小さな存在の行動も分かってあげられない。自分の考えに固執して静かにしてくれ、もうこれ以上ストレスを持ち込まないでくれとそんな気持ちに駆られている。
本来の自分ってこんなだったろうか。こんな余裕のかけらすら持てない人間だったのだろうか。
いや違う特に疲れていない時はそれ程気に留めないはずだ。あの幼児の行動にも良いよ良いよと流せるはずだ。それなのになぜこんなにも小さなことで心を掻き乱されてしまうのか。

それは心に余裕がないからだ。
仕事ではいつも前年以上の結果を求められ、それを達成しても特に褒められることもない。むしろ上司が時々自分のおかげだと感謝の気持ちを忘れないようにと釘を刺す。
そこに輪を掛けて今年からは後輩の面倒を見ろと丸投げにされ、自分のことと後輩の結果が1度に降りかかっている。
お前には期待しているからとあたかも褒めている、評価しているという表円はしているけど、心中は俺の為に今まで以上に働けということ。俺の手足となり、希望通りに働けということ。全て自分の押し付けることを黙って聞いておけばそれでいいんだという意味。
社会人として成長をし続けることが義務だと言っているが、それは本当なのか。
いやそうは思えない。むしろ俺はもっとゆるくのんびりと過ごしたい方だ。特に出世も望まないし、大きな存在になりたくもない。
今の会社で貢献して、周囲に尊敬されるような人物でありたいとも思わない。それよりも家族との時間を大事にしたいし、自分だけの時間ももっと持ちたい。その中で好きな小説も映画も楽しむ。その時間が自分の幸せだったはずなのに。

社会人になっていつしかそれらが消えていった。それはいつも結果を求められ、右肩上がりでないといけない。それによって僕はいつもプレッシャーに迫られていた。それが僕の心に余裕がなくなった原因。
でも僕は本当にこのままで良いのか。これが自分が心から望んでいた人生か。他人に敷かれたレールを否応なしに歩かされている。それは他人が望む自分の姿であり、自分が本当に望んでいる姿ではない。

舌打ちしたあの人も不機嫌にしている人達も自分が望む人生を歩めていないのではないのだろうか。全て自分の望む生き方には出来ないとは思う。それは人間社会で生きている限り、他人が存在しているから。それでも自分の人生の軸が自分にあるのであれば、人は多少なりとも心に余裕を持てるんじゃないか。

僕がそうであるように、他の人ももう少し心に余裕の持てる生き方であれば、もっと自分の人生に幸福感を抱いているはずだ。そうなれば他人にも優しくなれるんじゃないか。
もちろん全員でないことは分かっている。それでもそんな人が一定数はいるはず。幼児なんて、1番弱い存在のような者。そういう存在に腹を立てていても、自分の人生に何も幸福をもたらすことではない。

「大丈夫ですか?何かお手伝い出来ることはありませんか?」
「そんな子供を泣かせて迷惑をかけていますから。」
「子供は泣くことを仕事をしているんです。泣くことで助けてくれと訴えているんではないでしょうか?だから僕に出来ることがあれば遠慮なく言って下さい。」
「じゃあ・・・、荷物を持って頂けませんか?それでこの子をあやすことに専念出来るので。」
「もちろん。」
幼児は次第に泣きやんでいった。
自分がほんの少し動けばこうやって変わるんだ。もしかしたら会社のこともそうかもしれない。もっと自分がどうしたいのか見つめ直してみないか。
どうやったら自分の理想と思える生活に近づけて、他人にもそれが幸福に繋がるのか。今ちょっとした行動で状況が変わったように、自分の人生も変えていけないか。
今行動したのは誰かに押し付けられたからではない、義務からやったことではない。自分がこの子とこの女性に何が出来るかと考えた上でやった行動だ。その結果幼児は泣きやんで、母親の女性は心理的にホッと安堵して、周囲の人も心地良く過ごせるようになった。
たった1言声を掛けるだけで、この小さな空間は過ごし易い空間へと変わった。こうやって世界が変わるんだ。
僕の長所を考えてみたら、今みたいにフットワークが軽いこと、自分から動くことが出来ること。自分から相手に動くから意味が出ることもある。
これをもっと多くの人に出来ないだろうか。

僕には僕の良さがある。その良さをこの社会の中でどう活かしていくか。
それは他人の希望にただ従うということではない。自分が幸せに生きていく為に自分で自分の行く道を決める。
今日帰ったらじっくり考えよう。自分は何がしたいのか。どんな生き方を望むのか。その上で他者に何が出来るのか。ターゲットが何を望み、何を叶えられるのか。
明日になってからでは遅い。今日の夜からそれを考えるだけの時間を設けて行動に移していく。
自分と他者の幸福の為に。

最後まで読んで頂きありがとうございました。
藪田建治でした。

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