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【当たり前を疑う】沈黙もコミュニケーションの一種

今回は、私が友達と話していた時に「沈黙もコミュニケーションの一種なんだ」と思ったことがあったのでそのことについて書いていきます!

突然ですが、みなさんは誰かと話しているときになるべく沈黙の時間を減らそうと意識することが多いですか?

恋人や家族との会話だったら沈黙の時間があってもそこまで気にしないかもしれないですが、知り合ったばかりの人であれば多少は沈黙の時間を気にするのかなと思います。ちなみに、私は気にする人間だ。

まあ、沈黙の時間があってもそんなに気にしないなぁという人もいるでしょう。

ですが、自分が話題を切り出してばかりの時など「相手も話したい話題があるかも?」と思ったときはあえて自分が黙る時間を作って「あちらから何か話題を切り出すか?」と試す場合もあります。

お友達と話しているときは沈黙がない会話の方が楽しいのかもしれませんね。

ですが会社で後輩と話す場合など、上下関係が発生している場合に先輩側が矢継ぎ早に話を切り出しすぎたりすると後輩も発言しづらくなってしまうかもしれません。

そういった場合はちょっと黙ってみるという「沈黙」という行為が大事だと考えています。

コミュニケーション能力というのは世間的に「話す能力」というふうに思われがちかなと思うのですが私はそうは思いません。

「雰囲気を察して臨機応変に対応する力」だと思っています。だから「沈黙」という行為は相手の様子を見る、発言を促す行為なのでコミュニケーションの一種だと考えるのです。

ですが手当たり次第に沈黙すれば良いというわけではないと考えています。大事なのは「意図して沈黙しているかどうか?」ということです。

「自分が喋りっぱなしだ、相手が何か別の話題を切り出したいかもしれないから黙ってみよう」という場合は意図した沈黙になります。

「自分が喋ってばかりだから、ちょっと話すのやーめた」これは自分が楽したいという理由だけです。何も意図はありません。

大事なのは「その行動の背景に意図(根拠)はあるか?」ということです。

それを常に意識するかしないかがコミュニケーション能力が上達するかどうかの分かれ道だと考えています。

今日は、最近友達と会話して「沈黙」について考える機会ありましたので記事にしてみましたー!最後まで読んで頂きありがとうございます!

自分自身も意図した行動や発言を意識して1日1日を励みます!(^^)/

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